侯爵家の問題児
毎夜、個人の別宅で行われている社交。
音楽が流れる広い室内でダンスを踊る者もいれば、ワインボトルを何本も開け大騒ぎする者や、賭け事に没頭する者など。社交と言えば聞こえはいいが、招待状などなく顔見知り同士が集まり享楽的なことにふけるだけのお遊びである。
広い室内の中央に置かれた丸テーブルの上には無造作に金貨が積まれ、二人の男が席に着いている。その内の一人、赤い髪の男マルスは、自身の手札を見て舌打ちするとカードをテーブルの上に放り投げた。
『くそ……!』
『よし!これでお前の農園も俺の物だ!』
『今日はついていない!』
まだ半分ほど残っているワインボトルに口を付けたマルスは、ゴクリ、ゴクリと喉を鳴らし飲み干す。
『くそ、くそっ……!』
『落ち着けよ、マルス。たかが農園でそう荒れるな』
『たかが農園だと?あれを取られたらもう賭ける物がないんだぞ!』
『賭ける物はいくらでもあるだろう?お前は由緒正しきオルダーニ侯爵家の次男なんだからさ』
『そうそう。それにマルスは、次期王候補の叔父になるんだぞ?』
『……それもそうだな』
この国の王妃の実弟であり、次期王候補の叔父で、侯爵家の次男。
野心的な姉や偽善者の兄のようにあくせく生きる必要などなく、夜ごとこうして友人達と集まって賭け事を楽しみ、浴びるようにワインを飲むだけでいい。
『なあ、マルス。例の王女について何か聞いているか?』
『王女?』
『死んだとされていた側室との子だと、先日通達されただろう?』
『ああ……あの没落貴族が生んだ子か』
『おい』
いくらなんでも不敬だと咎める友人達に、マルスは声を上げて笑う。
『あれは王族籍のないただの子供だぞ?王女ではなく、平民だ』
『だが、国王陛下が可愛がっていると社交界で噂になっているんだぞ?』
『そんなものただの噂だろう?』
『それがただの噂かどうか、母上がお前に訊いてこいって煩いんだよ』
『うちもだ。で、王妃殿下とオルダーニ侯爵はどうするつもりだ?このまま静観か?』
『さあな』
どうするのだと訊かれても、そういった政治的なことをマルスが父親と話すことはない。
だから自分には関係のないことだと、マルスは再びカードを手に取った。
※
夜明け前。
マルスにしては早い時間帯に邸宅に戻ると、すすけた色の一枚布のマントを羽織った男達が邸宅から出てきた。客人が訪れるような時間ではなく、侯爵家の当主や嫡子が直接会って話すほど身分の高い者にも見えず、どこか不穏な空気を感じたマルスは、すれ違いざまに会釈した男達に『おい!待て』と声をかけ呼び止めた。
――恐らく、マルスの人生の分岐点はここだった。
不穏な男達の正体は、第二王子が騒ぎを起こし処罰された騎士だった。もとより彼等は王妃であるルイーダの所有物であり、処罰されたところでどうということもなく、こうして裏で暗躍する人形になり果てるだけ。
そんな男達が侯爵家の邸宅にいる理由は、国王の娘だと言う王女の始末を命じられたからだ。しかも既にマルスの姉であるルイーダが事を起こした後だと言う。
『同じことの繰り返しで代りばえのしない手だが、成功するのか?』
浅知恵だな……と鼻で笑い小馬鹿にしていたマルスだったが、これは好機なのでは?と考え直すことにした。ここでマルスがルイーダに貸しを作れれば、侯爵家の跡継ぎになれるかもしれないと甘い夢を見たからだ。
男達の役目は王女の動向を探り、王宮から出るようなことがあれば雇った粗暴な男達に王女を始末させ、遺体を確認するだけという楽な仕事。実際に手を下すわけではなく、確実に死んだという証拠を持ち帰るだけでいいのだから、自分にだって出来る。
『よし!私が指揮を取ろう。父には私から言っておくので、心配はいらない』
問題を起こさず大人しくしていろ!と、そう日頃から父や兄に窘められているマルスが指揮など任されるわけもなく、勿論事後承諾である。
酔った勢いというのもあったが、こんな幸運は二度と巡ってこないと思ったのだ。
――けれど、夢は夢のままにしておくべきだった。
ルイーダの画策通り、王女は騎士を一人だけ連れ馬で王宮を抜け出し、途中で馬車に乗り換え王都から離れた。王女と騎士、そして御者のたった三人という少な過ぎる人数にマルスはほくそ笑み、直ぐに事は終わるだろうと高を括っていた……のだが。
『また馬車を乗り換えたのか!?』
馬を早く走らせ、碌に休憩も取らずどこかに向かっている王女の馬車。
そんなことをすれば直ぐに馬は駄目になると呆れていたマルスだったが、行く先々の街や村で馬と馬車を乗り換えているのを目にして驚愕した。
『早くしろ!金ならある!』
王女達は予め準備していたかのようにすんなりと乗り換え、水と食料を受け取って直ぐに出発してしまう。それなのにマルスは法外な値段を請求された挙句、少し待っていろと足止めを食らうのはどういったことか……。
焦ったマルスは、馬車ではなく馬で追わせろ!と指示を出したが、その所為で雇っていた粗暴な男達の半数が馬と金を持って行方をくらましてしまった。
『くそ……!』
王女を乗せた馬車を何度も見失いそうになりながら、何とか辿り着いたのは辺鄙な村。
道中にあった村で、行方をくらました粗暴な男達の代わりをこれまた法外な値段で補充し、準備は万端の筈であった。
深夜。
近隣にあるいくつかの村で雇った者達は誰も姿を現さず、マルスは頭を抱えた。
仲介者である女性達に確かに金を渡したと言う元騎士達を、マルスは『黙れ!』と怒鳴りつけ、残った者達に指示を出す。
『たった三人だが、王女の側にいる騎士は国王の矛と盾と言われている家の者だ。まあ、どうせ、家の力で騎士になったような自惚れた小僧だろう。この人数さえいればどうとでもなる。いいか?私は村の外にいるので、王女を始末したら呼びに来い』
大変な道のりではあったが、あとはただ待つだけ。
事が済んだあとの自身の輝かしい未来を思い浮かべニヤついていたマルスは、突然背後から首を叩かれ気を失い、気付けば拘束され地面を引き摺られていた。
――どうしてこうなった!?何がいけなかったんだ!?
「どうやって、ここに……?いつ……」
酷く混乱していたマルスは、目の前に立つイシュラ王を見上げ、そう呟いた。




