予想外
(凄い。本当に罠に掛かった)
ジリジリと後退する男性を見下ろし冷笑するイシュラ王を見て、言っていた通りだと心の中で拍手を送る。
「この人?」
堅い表情で男性を注視しているリオルガの肩をトンと指で叩き小声で尋ねると、リオルガは首を軽く左右に振ってみせた。
どうやら、狙っていた獲物はこの男性ではないらしい。
「どうやって、ここに……?いつ……」
王都にいる筈の国王陛下がこんな片田舎にいるのだから、この男性が驚くのも無理はない。
国王が政治的な理由なく外出することも、他国に赴くこともなく、王都から出るとしても侍従、侍女、側近、護衛騎士という大所帯での移動が当たり前。
だというのにイシュラ王はリオルガ一人をお供に、御者に扮して王都からこの村まで馬車を操ってきたのだから。このとんでもない計画を聞かされたとき、私もこの男性と同じくらい驚いたことを覚えている。
――そう、あの日。
『リオルガ。夕食の後に話がしたいって、イシュラ王に伝言をお願いします』
王妃様はいつから策を巡らしていたのか、メリアと解雇された侍女を使って、王宮内で堂々と私に対して警告をしてきた。
しかも、王妃様の息子で次期王候補に一番近いクリスからは、脅しに近い忠告までいただいたのだから堪ったものではない。
もう平凡な人生など送れないのだと身をもって知った私は、夕食後に話し合いという名の尋問を行った。
『今日あったこと、全部報告を受けていますか?』
『あぁ……。騒ぎを起こしたのは先日処罰したソレイル付きの侍女だ。解雇と同時に家から勘当され、それでリスティアを狙ったと自白したそうだ』
『解雇されたのにどうやって王宮に入ったんですか?』
『恐らく王妃の仕業だ。後宮と王子宮の侍女、使用人の管理は王妃が担っている。その為、クリスとソレイルの侍女は、王妃の生家である侯爵家の派閥から選任しているんだが、言いたいことが分かるか?』
『元々そういったことに使う人材なんですね』
『王妃の消耗品だな』
裏に誰がいるのか分かっていても、証拠がなければ問い質すことすら出来ないと……それなら。
『どうして迎えを寄越したんですか?』
地位、名誉、権力、お金、それら全てを手にしている王妃様。
そんな人が存分に力を振るえるような場所に、どうして私を呼び寄せたのか。
母とお腹にいた私を守る為に王宮から逃がしたと言うのであれば、王妃様という危険人物から隠し続けるべきだった。
『祖母が手紙で私を託したと言うのであれば、保護者となりえる人を見繕うとか、お金を送るとか、そういったことでもよかった筈です』
『……』
『王妃様が私の存在を知ったらどうするか、分かっていたんですよね?』
『……』
『村へ戻ったら、また以前のような生活が出来ますか?』
王宮にいるかぎり、また同じようなことは何度でも起きる。でもシリルが言っていたように、王宮を離れ村に戻ったところで、あの王妃様が私を見逃すだろうか?
答えは否だ。
『リスティア』
『はい……っわ!?』
暫く無言のまま何かを考えていたイシュラ王は突然立ち上がり、向かい合って座っていた私を持ち上げ自身の膝の上に横向きに乗せた。
『これでいいか』
『捕獲?』
『逃げるかもしれないからな』
『捕獲だった……』
『話さなければならないことが、沢山ある』
『そんなにあるんですか?』
私の腰に両腕をギュッと巻き付けコクリと頷いたイシュラ王に呆れつつ、さっさと話せと腕をパシパシ叩けば、そのまま静かにとんでもないことを語り始めた。
『えーっと、冗談ですよね?』
『いや』
まさかどこにでもある田舎の村に、国王直属常備軍を引退した人達が集まって住んでいるなんて、誰も想像すらしない。
『国王直属常備軍?』
昼間から酒盛りして大声で歌っていたおじいちゃん達も、奥さんに叱られたと道端でしくしく泣いていたおじさんも、大喧嘩をして村の中を走り回っていた夫婦も皆、元国王直属常備軍の騎士だったと……あれが?
しかも、関係を断ったと見せかけて実は密かに母と私を援助していたとか。
『そのことを母は知っていたんですか?』
『いや、知っていたのはお前の祖母だけだ』
『リオルガは?』
ゆっくりと首を左右に振ったイシュラ王は、『誰にも言っていない』と私の頭を撫で、目を細めた。
『それと……』
『それと?』
『リスティアを囮にして、王妃と侯爵家の力を削ぎ落とすつもりだ』
『囮……』
隠していた王女が王宮に現れ、王妃様と侯爵家、その派閥の貴族達は、大きく動揺を見せた。
その隙を狙ってイシュラ王側が動き出し、私を統括宮に置いたことで王妃様を煽ることにも成功したと言う。
『これからのことだが』
全てイシュラ王の策略通りに事が進んでいるらしく、これからのことについて淡々と話している。何か凄く大事なことを話しているのに頭の中に入ってこず、囮という言葉に何だかもやもやして唇をギュッと噛み締めた。
『リスティア?』
『……』
『聞いていたか?』
『あの!』
『ん……?』
『囮として使うなら、隠さずきちんと説明して私に同意を求めてください。何も知らないと誤解してすれ違ったりするし、何より信頼することが出来ません』
『そうか』
『そうですよ!』
『唇を噛むな。切れるぞ』
『……っ』
口元に伸ばされたイシュラ王の手を避けて目を伏せると、私の腰に回っている腕に力がこもる。
『他には、何が不満だ……?』
不満?不満だらけである。
関わりたくなかった因縁相手と再び出会い、王妃様という権力おばけから命を狙われ、村に戻ることも出来ず、だからと言ってこのまま王宮に残ったところで私には何の力もない。
だけど、王宮に行くことを選択したのも、王妃様を無駄に刺激したのも私で。
ここは潔く腹を固めるしかなく、ではどうすれば細く長く生き延びていけるのか?と頭を捻る。
『……難しい』
『何が難しい?』
色々と頭の中でシミュレーションした結果、王妃様にボコボコにされてしまった。
生温い手で勝てるような相手ではなく、頭の中で頑張って戦っていたミニチュアの私が地に伏して地面を拳で叩いている。
『やっぱり』
『やっぱり?』
『放っておいてもらうのが一番だった』
『……』
そんな妄想をしていた所為で、言わなくていいことを口から出してしまった。
あっ……!と口を閉じるが既に遅く、ギュッどころではなくギューッと腰が締まり、『うぐっ』とくぐもった声が出た。
『し、締まってる……!』
『……』
『放し……っ』
苦しいとイシュラ王の腕をバシバシ叩きながら伏せていた目を上げ、物凄い衝撃を受けた。
『放っておけと……?だが、それだと俺はお前に一生会えないままだ』
か細く掠れた声でそう口にしたイシュラ王の瞳から、ぽろぽろと涙が零れているから。
宝石のようにキラキラと光を放っていたバイオレットの瞳は暗く淀み、瞬きすることなく私をジッと見つめている。
『ジュリアもリスティアもいないのであれば、俺は何の為に生きている?』
頬を伝って零れる涙を眺めながら、小さく息を吐く。
腕を伸ばし指でそっとイシュラ王の濡れた目元を撫でると、目を瞬かせ首を傾げた。
それを見て、自分が泣いていることに気付いていないのだろうと苦笑する。
(本当に手のかかるお父さんだわ)
『母は何も知らないと言っていましたけど、知っていたと思いますよ』
『……』
『母にお花を贈るよう、行商人に頼んでいませんでしたか?』
『……』
『村に来ていた行商人が、これくらいの高そうな花束を断っても押し付けるように置いていくんです。気味が悪いので捨てるように言ったんですけど……って、その顔はやっぱりそうですか』
『気味が悪いのか?』
『よく知りもしない人から花束を贈られたら、気味が悪いですよね?』
『……』
『でもおかしなことに、母はその花束を大事に抱えて笑っていたんです』
『ジュリアが?』
捨てたほうがいいと騒ぐ私に『これは大丈夫よ』と言い、花びらをそっと指で撫でて嬉しそうに唇をほころばせていた。
『知っていて、知らない振りをしていたんだと思います』
『……花は』
続く言葉は、『喜んでいたか?』それとも『飾っていたのか?』だろうか?
期待させて申し訳ないが、私の知っている母は現実主義者である。
『花は食べられないからと言って、千切ってお湯に入れていました』
『お湯に……?』
(愕然としていたけど、母はそんな女性である)
だからこそ私も図太いのだと、イシュラ王に睨まれ震えている男性を見る。
随分前から用意周到に準備をしていた罠に引っ掛かったのは……。
「ど、どうして……ここに、貴方が」
「それを尋ねるのは俺だ。王妃の実弟が、何故この村にいる?」
王妃様の実弟!?と叫びそうになり、咄嗟に両手で口を押えた。




