耳を塞いで眠る
『クラウディスタ家の次男が?』
『はい。どうやら統括宮に出入りしているようです』
『それは確かなの?』
『メリア様に付いていた侍女が、統括宮の扉前で二日続けて見たと』
クリスは勉強が忙しく、ソレイルは自室。
暇になったメリアは、王妃様の部屋でお菓子を食べながらその日あった出来事を話すだけ。
『メリア。その子が何をしに統括宮に来ているのか知っている?』
『え、えっと、国王陛下に呼ばれているって言っていました』
メリアは自室から出て来ないソレイルに会いに行く途中、庭園で会ったシリルという男の子を見かけて追いかけ、暇だから遊ぼうと誘ったら断られてしまった。
シリルの肌は透き通るように綺麗で、銀の髪と灰色の瞳は先日読んだ絵物語に出てきた王子様のよう。照れているのか少しだけ素っ気ない、とても綺麗な男の子。
『その子はまた明日も来るのかしら?』
『明日も……?』
小首を傾げるメリアの頬を撫でる王妃様が、『遊んでくれるといいわね』と言う。
クリスもソレイルもいなくて寂しいメリアは、パッと表情を明るくし頷いた。
『探しに行ってみます!』
『メリアは誰とでも直ぐ仲良くなれるものね』
『仲良く……それなら、ソレイルがいればもっと』
『駄目よ』
庭園でソレイルとシリルが仲良く話していたのを思い出したメリアが、ソレイルも一緒にと口にする前に、険のある冷たい声音に遮られてしまった。
メリアの頬を撫でている王妃様の手に力がこもる。
『ソレイルは駄目』
王妃様は優しく微笑んでいるのに、何故か叱られているように感じたメリアは『王妃様』と声を震わせた。
『メリアは良い子よね?』
『……はい』
『可哀想なソレイルは罰を受けている最中だから、まだ部屋から出られないわ。だから、メリアが先にその子とお友達になって、クリスとソレイルと皆で一緒に遊びましょうね?』
『……っ、はい!』
『ほら、メリアの好きなお菓子を用意させたのよ。沢山食べてちょうだい』
(大丈夫、いつもの王妃様だ)
叱られないとほっとしたメリアは、シリルに断られることなど微塵も考えず、翌日も元気に統括宮へ向かったのだが……。
『シリル!あのね、今日はメリアが一緒に遊んであげる』
『一昨日も昨日も言いましたが、お約束をしていませんよね?』
『したよ?一緒に遊ぼう?って言ったもん』
『……』
『ね?だからメリアと一緒に』
『すみません。今日はもう予定がありますので』
『えーっ、それなら明日は?』
『残念ですが、明日も予定が入っています』
『もう、いつならいいの?』
『そうですね……僕も忙しいので、半年ほど前から言っていただければ考えますよ』
メリアがにっこりと笑ったシリルに目を奪われ『半年?』と呟いているうちに、シリルの姿は統括宮の中に消えていた。
――翌日。
『シリル……!』
『……何か?』
『メリアが王宮内を案内してあげる!』
『昨日僕が言ったことは忘れてしまったのですか?』
『えっと、遊べないってことでしょう?』
『はい』
『だから、遊ぶんじゃなくて、案内を……あっ、シリル!』
まだメリアが話している途中だというのに、シリルは統括宮へ入って行ってしまった。
それを唖然としながら見送ったメリアはその場で地団駄を踏み、次の行動に移す。
――また翌日。
『ねぇ、シリル。お花とお手紙は届いた?』
『すみませんが、ああいった物は困ります。どのような意図があってあのようなことを』
『もーっ!そうやってシリルはいつも訳が分からないことばかり言うんだから!』
『……』
『これから毎日送るから、お花は飾って、お手紙はちゃんと読んでから返事をしてね?』
『……』
『あっ、シリル、待って!今日は後宮で一緒にお茶をしようって……あーっ、もう!』
――そのまた翌日。
『シリル!あのね、お返事が届かないんだけど、っ、待って、シリル!』
『……』
『シリルってば!』
『……』
――無視されること数日。
『そこを退いてください』
『駄目!シリルはメリアと遊ぶの!』
『扉の前に立っていたってどうすることも出来ませんよ?』
『出来るもん!』
『そうですが、それなら……なっ!?』
『メリアと遊ぶの……っ、遊ぶって言うまで放さないから!』
『腕を放してください、っ……』
『いーやー!』
結果は、ことごとく玉砕。
仲良くなって遊んでくれるどころか、シリルに『退け』と吐き捨てられたメリアは頭を掴まれ退かされた。
その様子を毎日王妃様に報告しているメリアは、今日も駄目だったと悲しげに口にする。
『実はね、その子をクリスが運営している社交クラブに誘ってみたの。でも、リスティアとのお茶会があるからと断られてしまったわ』
『リスティアとの、お茶会?』
『そうよ。用事というのは、リスティアとのお茶会のことだったようね。彼にとって、第一王子の社交クラブに入ることはとても価値があるものだというのに、残念だわ』
『価値があるのに断ったんですか?』
『リスティアのお話し相手兼友人候補として、とても忙しくしているみたいなの。ほら、教養のある子ならいいけれど、リスティアは……少し奔放な子でしょう?だからきっと凄く苦労していると思うの』
『苦労?』
『メリアのように聞き分けの良い子ばかりではないのよ。あのくらいの歳の子なら、色々と我儘を言っていてもおかしくはないから』
『シリルが、あの子の我儘に付き合わされているんですか?』
『……』
『酷い!シリルが可哀想です!』
『ふふっ、メリアは本当に良い子ね』
『助けてあげたいけど、どうすれば……?』
『そうね……明日は侍女にも手伝ってもらうとか』
シリルをリスティアの我儘から助ける為に、メリアはいつも付いて来てくれる侍女を頼ろうとしたが、何故かその日は皆忙しく、王妃様付きの侍女に先に一人で向かうよう言われてしまった。がっかりしながら歩いていたメリアだったが、統括宮へ向かう通路で偶然顔見知りの侍女を見つけ駆け寄った。
『ねぇ、貴方、ソレイルの侍女よね!』
『……っ、はい』
『あのね、一緒に来てほしいの!』
ソレイル付きの侍女が手伝ってくれれば、シリルを助けることが出来るかもしれないと、メリアはそう思っていた。
――それなのに。
ドン……!と隣にいたソレイル付きの侍女に押されたメリアは、何が起きたのか分からなかった。
床に思いっきり腕を打ち、『痛い……!』と言っても誰も助けてくれず、それどころか目の前ではソレイル付きの侍女が騎士に拘束されていた。
狂ったように何か叫ぶ侍女と、『扉を閉めろ!』と声を荒げたシリル。
『……っく、な、なに……?』
メリアは状況が把握出来ないまま、扉を守るように立つシリルに向かって両手を伸ばした。
『シリル……!手が、痛いっ……』
メリアが転んだときや疲れたとき、クリスとソレイルは必ず抱っこしてくれる。
だからメリアはシリルに向かって手を伸ばしたのだ。
こうすれば、必ず抱っこしてくれると思ったから。
『……は?』
『早く!メリアは手が痛いから、抱っこして!』
『何を、言って……?』
急かしても動こうとしないシリルに、メリアはどうして助けてくれないのだと泣き出す。
痛くて、怖くて、悲しくて、目からポロポロと涙を零しているのに、慰めてすらくれない。
『うえぇぇん……っ、えぇっん!』
声を上げて泣いていると、そっと頭に手が。
やっと来てくれたと喜ぶメリアが目にしたのは、シリルではなくクリスだった。
『こんなところで、どうして泣いているの?』
『っう……クリス……?』
『ほら、おいで。母上のところに連れて行ってあげるから』
『……っ、うん!』
メリアは両手を広げるクリスに抱き付き、これが正解なのだと頬を膨らます。
王子であるクリスがメリアを大切にするのだから、ただの貴族であるシリルだってそうしなくてはいけない。
(リスティアのような悪い子と一緒にいるからだわ)
もうメリアのことなど見ていないシリルを睨み、クリスに促されるまま背を向けた。
「可哀想な、メリア。とても怖かったわね」
泣き過ぎて疲れたメリアはソファーに横になり、王妃様の膝の上に頭を乗せ、目を閉じた。
トン、トン、と優しく肩を叩かれ、くわっと欠伸をすると「そのまま寝なさい」と囁かれ、コクリと頷く。
うとうと……と、意識を手放す寸前だった。
「上手くいったようですね」
「警戒心が薄れた頃に餌を撒けば、ああいった生意気な子ほど余計なことをして自滅するものよ。傷の一つは付けてほしかったのだけれど、まあ、いいわ」
柑橘系の匂いと共に、コポコポとカップに紅茶が注がれる音がする。
「あの方はリスティアを統括宮に閉じ込め安心していたみたいだけれど、子供を誘いだすくらい簡単なことだわ。ふふっ、顔を真っ赤にして怒っているかしら」
トン、トン……と優しく叩かれながら微睡む。
「あの侍女に口止めは?」
「必要ないわ。そういう使い方をしても困らない家の者だし、私は何もしていないもの。王宮に返却せず持っていた許可書と服を使い、勝手に王宮に侵入したのでしょう?怖いわね。ふふ、あはははは。庭園如きに拘り、解雇した侍女に逆恨みされた国王なんて、何て間抜けなのかしら……!」
肩を叩いていた手が、メリアの髪を撫でる。
「はーっ、久しぶりに凄く気分がいいわ。よい脅しになったし、これであの方はまた同じ過ちを繰り返すのでしょうね。きっと、ここからまた逃がすわよ……」
「解雇された王子宮の騎士は既に動かしております」
「王族籍のないあの子は、たとえ王族の血を引いていてもただの平民よ。殺しても問題はないわ」
「そう伝えておきます」
「前回のような失敗は許さないわ。確実に息の根を止めたか確認する者が必要ね……」
「またあの男を使いましょうか?」
「あの男は駄目よ。大きなことを言っていたくせに、ジュリアマリアのときに失敗していたのだから。報酬として、遠縁の子をあげたのにねぇ……」
「では、どの者を?」
「お父様が手配すると言っていたから大丈夫よ。きっと、裏切ることのない誰かを動かしているわ。それと、この子もそろそろ教育を始めるべきね。馬鹿なままの方が利用しやすいのだけれど、可愛いあの子達を巻き込む駄犬は必要ないもの」
ふわっと身体に暖かい毛布がかけられ、うつらうつらしていたメリアはそこで意識を手放した。




