攻防戦
「リスティア様。念の為にお伺いしますが、私達の他にご招待された方は?」
私の次に招かれざる客に気付いたのは、リオルガだった。
まだそう近くには来ていないので足音もしないのに、気配か何かを察知したのだろうかと考えつつ、首を横に振る。
「あれはただの侵入者です」
若干いつもより声が低くなったのは、イシュラ王が母の為に造ってくれた花畑を、足で蹴りながら歩いて来るソレイルに怒っているからだ。
私が怒っていることに気付いたのか、彼等を見るリオルガの目が険しくなる。
「あの花は全て、母の物なのに……」
そしてソレイルと歩いて来るメリアの腕の中に、大量にある摘まれた花を見つけ、悲しさを通り越し怨嗟となり、あと少しという距離まで近付いて来たメリアとソレイルを見て。
「捻り潰す」
精神的にも肉体的にもと、心の中で誓う。
それをつい声に出してしまい、シリルが驚いているが構っていられない。
私の獲物が、大切なガゼボの中に足を踏み入れたのだから。
「ここで何をしているんだ」
第一声がそれかとソレイルを鼻で笑い、顎を上げた。
「見て分からないの?」
「お前っ……」
「貴方こそ、ここで何をしているのかしら?」
「……っ」
背筋を伸ばし、声を張り、強者の前に跪けと圧をかければ、社交慣れをしていない子供は怯んでしまうもの。
それが正常で、メリアのようにぷうっと頬を膨らませて腰に手を当てながら、「もう、リスティア!」と可愛らしく怒るのは、とても異常なこと。
「ソレイルは第二王子なんだよ?リスティアより偉いんだから。そんな言い方をしたら叱られちゃうよ?」
「っ、そうだ」
メリアに庇われ威勢を取り戻したソレイルが吠えるが、敵ではない。
晩餐のときとは違って、私にも頼もしい味方がいるのだから。
「ソレイル様。ここが統括宮と知りながら、許可のない者を連れているのですか?」
メリア達がガゼボに入って直ぐリオルガは席を立ち、周囲を警戒するよう見回したあと、二人の前に立ち塞がっている。
「父上の側近であるクラウディスタ卿が、どうしてここに……?」
「もう一度だけお聞きします。そこの令嬢は、統括宮に入る許可を得ていますか?」
「それは……その」
許可を得ていないことは此処にいる誰もが分かっていた。
王妃様も簡単に入れないような所に、自分は免除されているからとメリアを連れて来たのだろう。
「リオルガ。統括宮に入る扉の前には騎士が立っていましたよね?」
「はい」
「それならどうやって二人は入れたのですか?」
「恐らく王子宮から入られたのではないかと」
「王子宮から?そこには騎士が立っていないのですか?」
「いえ、必ず騎士が二名ほど立っていますが、そこの管轄は王子宮の騎士なので」
「ああ……そういう」
王子宮に所属する騎士は、王子であるソレイルに言われればメリアを通してしまうような人達なのだろう。
王妃様の息が掛かっているのか、それとも打算が働いたのか、どちらにしても誰も得をしない。このように勝手なことをしてこれが露見すれば、例外として認められている王子達の立ち入りも制限されてしまうかもしれないからだ。
「騎士様?どうしてそんなに怒っているのですか?メリアは何か悪いことをしたのでしょうか?」
「話を聞かれていなかったのですか?統括宮は国王陛下の許可が必要な区画です。その許可がなくては立ち入ることが許されていません」
「でもソレイルは大丈夫だって言っていましたよ?」
「ソレイル様は制限されていませんので問題はありません。問題があるのはご令嬢ですよ」
「私?」
「許可をお持ちでないなら、直ぐに此処を立ち去るべきです」
「でも……ソレイル」
目に涙を浮かべ自分に助けを求めるメリアを見て、ソレイルが「不敬だぞ」と騒ぎ出す。
晩餐のときも思ったけど、ソレイルは不敬という言葉を一度辞書で調べるべきだと思う。
「クラウディスタ家だからといって、王妃である母上と王子である私が大切にしている子に命令する権利はない」
「命令ではなく」
「黙れ。その許可がどうというのは父上から言われることで、お前に言われることではない」
これはコントか何かだろうかと様子を見ていたが、お兄ちゃん大好きっ子は我慢が出来なかったようだ。
「お久しぶりです。第二王子殿下」
立ち上がって振り返ったシリルを見て、ソレイルは目を見開き、メリアは頬を染める。
リオルガが止めようとシリルの前に手を伸ばすが、それで止まるほどお兄ちゃん愛は甘くない。
「不敬と仰っていましたが、どの辺りが不敬だったのか説明してみてください」
「シリルには関係のないことだ」
「説明できませんよね。だって兄上は何も不敬なことはしていませんから」
「命令をしただろう」
「もし例え命令のように聞こえていたとして、それの何がおかしいと?兄上が命令したのはそこの令嬢であって、第二王子殿下ではありません」
「メリアは」
「王族ではなく、ただの貴族の令嬢ですよね?」
「……相変わらず嫌な奴だな」
「第二王子殿下も、相変わらずですね……」
相変わらず馬鹿な奴だと、そう聞こえたのは私だけだろうか?
元々二人は知り合いだったのか、どうやらとても仲が悪いらしい。
この世界で顔が美しい人は皆、性格に癖がある人ばかりだと残念に思いながら、さてどうするのかと椅子の背に凭れ眺め続ける。
「あの……!」
そして空気を全く読まないメリアは、大量の花を小道具として使い、小首を傾げ上目遣いでシリルに話し掛けてしまった。
「初めましてだよね?」
「……そうですね」
「私はメリア・アッセンです。貴方は?」
「名乗るほどの者ではありません」
「恥ずかしがらなくてもいいのに。じゃあ、シリルって呼ぶね」
「……」
不躾に距離を詰め、相手に同意を求めず勝手に名前を呼ぶ。
恐ろしい手腕だと感心していると、くるりとこちらを振り返ったシリルが私を見て、くわっと眼光鋭く睨みつけてきた。
「……」
これは流石にそろそろ私も動くべきかな?と手にしていたスコーンを置き、コホンと咳払いをする。
そんなに睨まなくても、自分でも動きますよ。
「そろそろ戻ったらいかがですか?いつまでも此処にいると、国王陛下に叱られますよ」
「叱られるのはお前だぞ。この庭園は父上が誰も入れないように規制をかけている場所だ。それなのにお前もシリルも、勝手なことをしているのだからな」
「第二王子殿下も入っていますけど?」
「私は、お前を見かけたから注意しに来ただけだ!」
地団駄を踏むソレイルは幼い子供そのもので、私より年上には到底思えない。
どれほど甘やかされて生きているのだと呆れながら、お馬鹿さんでも分かるよう説明してあげることにした。
「勝手と言いますけど、よく考えてください。国王陛下の許可がなければこのガゼボでお茶会なんて出来るわけがありませんよね?お料理作ってくれる料理人も、給仕してくれる侍女も、全て国王陛下の指示がなければ動きません。それがどうして分からないのですか?」
「父上が許可を出すわけがない」
「ジーナさん。国王陛下の許可は?」
「得ています」
「ほら」
「嘘……では」
「ありません」
「ほら」
統括宮の侍女であるジーナさんの言葉を疑うほどお馬鹿さんではなかったらしく、ソレイルはそれ以上何も言えず口を閉じてしまった。
分が悪いと判断したのかじりじりと後退するソレイルとは逆に、メリアはどうにかシリルと距離を詰めようと奮闘していたらしい。
「ねぇ、シリル。リスティアは王族じゃなくて平民だから、一緒にいると格が下がっちゃうんだよ?」
「……は?」
「だから、その子は偽物なの。卑しい血が混ざっているから、私達とは違うんだよ。だからシリルは私と一緒に遊びましょう?」
そう言ってシリルの腕に手を伸ばしたメリアは、パシッと音が鳴るほど強く手を叩き落とされてしまった。
「……えっ、どうして?」
「どうして?君は自分が今何を言ったのか分かっているの?王族に向かって、卑しい血だと、そう言ったんだよ?」
「でもその子は平民だから」
「じゃあ、君は?」
「メリアは男爵家だけど、王妃様が娘のように可愛がってくれて、クリスとソレイルの妹でもあるんだから」
「ああ、噂になっている王妃様のペットか」
「ペット……?」
「シリル!メリアに何てことを言うんだ!」
「本当のことですが、もしかしてご存知なかったのですか?貴族の誰もがそう噂していますよ」
「この……っ!」
意気消沈していたソレイルは息を吹き返し、メリアの為にシリルに飛び掛かろうとするが、此処には国王直属常備軍というリオルガがいる。
「第二王子殿下。このまま陛下の元までお連れいたしましょうか?」
「……くっ、離せ!」
首根っこを掴まれ止められたソレイルを見て、メリアはやっと何かおかしいと気付いたのか、言い訳を口にし始めた。
「私はただ、庭園を見に来ただけなの。統括宮には凄く綺麗な庭園があるって、そう王妃様が言っていたから」
「王妃様が?」
思わず聞き返すと、メリアは私をキッと睨みながら「そうよ」と口にする。
「昨晩、王妃様が花畑のような庭園があるって侍女と話していたの。とても綺麗で夢のような場所だって。でも王妃様は見たことがないってとても悲しそうにしていたから、だからどうすれば見られるのか侍女に聞いたら、王子宮から見えるかもしれないって」
「見えるんですか?」
「いえ、統括宮の奥にあるこの庭園はどこからも見えません」
そうですよねとジーナさんと話していたら、メリアが「嘘じゃないもん」と涙をぽろぽろと零しソレイルの腕にしがみついた。
「でも全然見えなくて、だからソレイルにお願いして少しだけ中に入れてもらったの。それなのにリスティアは此処でお茶会をしていて、此処は平民が使えるような場所じゃないのに、だからソレイルが怒ったのよ。だってずるいもん!」
わっと泣きながら話すメリアは支離滅裂で、最後は自分が言いたかったことだけ言って終わってしまった。
(王妃様は統括宮にいる私を探らせようとしたのかな?)
メリアとソレイルならまだ子供だからという理由で、統括宮に入っても許してもらえる可能性が高い。だから態とメリアが興味を持ちそうな話題を出し、王子宮から見えると言って誘導したとか……そこまで考え、思考を中断する。
「煩い」
いまだ泣き止まないメリアにうんざりしながら、これは私が対応した方がいいと、メリアに話し掛けた。
「あのね、何度も言うけれど、私は国王陛下からこの場所を使う許可を得ているの」
「……っ、それなら、私も許可をもらってくればいいの?」
「どうやって?」
「どうって、リスティアがいいよって言われていること、全部。私もいいですか?って訊けばいいんだもん」
「だからどうやってそれを訊くの?メリアは国王陛下にそう簡単に会えるの?」
「私は王妃様の」
「それなら国王陛下からは何て言われているの?娘?王女?」
「……」
「何も言われていないんでしょう?だったらそれが答えだよ」
明確なものを与えられていないのだとしたら、イシュラ王は王妃様や王子達がしていることをただ傍観しているだけ。
もしかしたら興味がなく、メリアの名前すら知らない可能性だってある。
「自身のものでもないのに、権力を笠に着るのは危険だよ?」
「かさに?」
「王族じゃないのに、王族のように振る舞ってはいけないってこと」
「……っ、自分だって、王族じゃないくせに!」
王族籍には入っていないから王族ではないのは確かだと苦笑すれば、何を思ったのかシリルが「王族ですよ」と声を上げた。
「……シリル?違うよ、その子は」
「リスティア様は王族です」
リオルガではなく、彼の弟であるシリルがメリアを咎めている。
「その子は半分だけしか」
「国王陛下と血の繋がりがあるのだから、半分だろうが、少量だろうが、王族だ」
「でも」
「それに君も第二王子殿下も知らないみたいだから教えてあげるよ。リスティア様は、国王陛下とご側室であった伯爵家のご令嬢との子だ」
「伯爵……?だってソレイルが平民だって、そうでしょう?」
「母上はそんなこと……出自が分からないとだけしか」
「既に今朝方、社交シーズンで王都に来ている上級貴族には、僕が今言ったようなことを通達された」
シリルの突然の告白に驚きリオルガを仰ぎ見るも、彼も今初めて知ったのか同じくらい驚愕している。
え、でもそれなら何でさっき言わなかったの!?あとで説明してあげてとか言っちゃったし……。
「それに元貴族で平民になろうと、第二王子殿下が拘る血筋は王族と貴族ですよね?そもそも、王子である君だって半分しか王族の血を持っていないじゃないか」
返す言葉もないのか完全に沈黙した二人に、「あの」と若干羞恥心で死にそうな私は渋々助け舟を出す。
「国王陛下には言わないから、早く戻ってください」
訝しげに私を見るソレイルとメリアに頷き、早く行けとぞんざいに手を振ってみせる。
リオルガとシリルが何か言いたげな表情をしているが、王妃様を無駄に刺激したくはないので許してほしい。
「メリア、戻ろう」
「……っ」
「メリア!」
ソレイルはシリルを見つめ足を動かそうとしないメリアの腕を掴み、ガゼボに背を向け駆けて行く。名残惜しそうに何度か振り返ったメリアを見送り、ふーっと息を吐き出した。
「疲れた……」
これでやっとお茶会が終わると心から安堵しつつ、リオルガとシリルに念を押すことを忘れない。
「二人共、国王陛下には言わないでくださいね」
「もし訊かれたら?」
「訊かれたら、庭園を見に子供達が入り込んでしまったとだけ。王妃様については他言しないでください。ジーナさんも」
「承知いたしました」
統括宮の中にいる間はイシュラ王が守ってくれるかもしれないけれど、此処から離れたらそうはいかない。
「どうせ一月しか此処にはいな……っ」
シリルがいたことを忘れそう口にし、咄嗟に口を閉じるも、何も言われなかったのでよしとする。聞かれたところでどうということはないけれど、私も母のように亡くなったと言って逃がされるのであれば迂闊に口にしない方がいい。
「本日はありがとうございました」
「またお越しください」
ごっこ遊びから始まったのでごっこ遊びで終わる。
色々あったけれどお茶会は楽しかったので終わり良ければ総て良し。
リオルガにまたあとでと言いシリルに向き合うと、スンとして私達のやり取りを見ていた人が急に恥ずかしそうに「兄上は少し離れていてください」と言い出した。
「リスティア様にお話があるので」
「では、あちらに」
私達から少し離れた位置に立ったリオルガを見て、シリルがスンと表情を戻す。
ほらやっぱり演技だったと身構える。
リオルガは騙せても、私は騙されない。これはきっと何か嫌味の一つや百は言われると心臓をバクバクさせながら挨拶をする。
「本日はありがとうございました」
「またお越しください」
軽く首を傾げ微笑むと、突然目の前にシリルの顔が……。
「本当に元の生活に戻れると思っているのですか?」
「……っ」
そう耳元で囁かれ眉を顰めると。
「どうかご無事で」
と意味深なことを口にし、シリルは帰って行った。
夕食時。
「今日はどうだったんだ?」
と訊かれた私は、何だかこそばゆくなりながらも今日あったことを、大分色々と省略して話した。
イシュラ王のことだからもう既に色々と聞いて知っているかもしれないが、それでも話し続ける。
「疲れているのか?」
「はい……」
けれどやはり体力は限界で、眠いですと頷けば、サッと抱き上げられベッドに放り込まれる。
リタさんはこうなると予想していたのか、お茶会後直ぐにお風呂に入るよう言われ、いつでも寝られるよう寝間着で夕食を食べるよう着替えさせられた。
「寝ろ」
お決まりのように頭から毛布を被せられ、暫くすると頭を撫でられる。
もうこの寝かしつけでなければ眠れなくなったらどうしてくれるのだと、そんなことを考えながら気絶するように眠りについた。
※※※※
――ガシャン。
床にグラスを叩きつけ、割れたガラスの破片を見つめる王妃殿下。
侯爵家にいた頃から専属だった侍女は、人払いをしておいてよかったと安堵する。
「どうして、どうしてよ……っ、ああああああああああああああああ!」
――ガシャン、ガチャッ、ガシャン。
聖母と名高い自身の主人が、このように取り乱し暴れているところなど誰にも見せられない。
次々と割られるグラスや陶器、そして姿見に手を出したところで止めに入れば、床に膝から崩れ落ち頭を掻きむしる。
「どうして、どうして、どうして……」
まるで怨嗟のように同じ言葉を繰り返す主人の姿を、侍女は十年ほど前にもよく目にしていた。だからこそ周囲にある物に当たり、叫び、暫く放心したあとは、いつもの主人に戻ると侍女は知っている。
「……」
ルイーダ・オルダーニは、名門侯爵家の長女として生まれた。
父親から幼い頃から王妃になるよう育てられ、本人も王妃という最高権力者の隣に立つことを望み生きてきた。
貴族の結婚とはそういうもの。互いに利益があって、そこで初めて成立する。
「……」
次期王候補としてイシュラが指名されるのを心待ちにし、指名されたあとは数多の令嬢を蹴落とし、二つ歳が上というハンデを乗り越え王妃となった。
「……ふふっ」
ジュリアマリア・スカルキが現れ、全てがひっくり返った。
だからジュリアを追い出そうと手を尽くせば尽くすほど、それは全て裏目に出た。
「ははっ、あはははははははは」
ジュリアはルイーダが本当に欲しかったものを全て手に入れ、それを見せつけるかのように生きていた。
だから、証拠は残さず、でもルイーダがしていると本人にだけ分かるよう、ありとあらゆる手を使い、やっと、そうやっと……。
「死んだと思っていたのに」
ジュリアが子供を身籠ったと知り、直ぐに行動に移した。
その子は必ず、私の大切な子供達の邪魔になると分かっていたから。
だからジュリアの葬儀をするイシュラを見た日、嬉しくて、これで何の憂いもなくなったと喜んだというのに。
「また現れるなんて」
次はリスティア。
今度は絶対に、逃がさない。




