寂しくはありません
本日の夕食は、カットされたチーズとトマトのカプレーゼ、とろみのあるかぼちゃスープ、少し硬めのパン、チキンのポワレ。昨晩のようなナイフとフォークでのフルコースということはなく、この国では一般的な夕食のラインナップ。
ただそれらの夕食をイシュラ王の私室で、たった一人で、食べている。
「まさか顔すらみせないとは」
丸パンを半分に千切り、ホイップバターをたっぷりつけかぶりつく。
もぐもぐと咀嚼しながら扉を睨むが、そこからイシュラ王が入って来ることはない。
「一人にするならここにいる必要はないし」
今この部屋には私とリタさんの二人。
リタさんは私の専属侍女なので常に側にいるけど、一緒に食事をすることはない。
どれほど親しかろうと、主人やその家族と侍女が食卓を囲むことはないから。
だから一人寂しく食事をしているのに、自称父親はこの時間になっても現れない。
慰謝料を盾に取って王宮に滞在するよう要求したくせに、留まらせただけであとは放置。
これが釣った魚に餌をやらないという手法かと、丸パンを片手に唸り声を上げる。
別に一緒に食事をしたいというわけではない。
ただ、丸一日放置され、顔すら見に来ないとは何事かと、少し、ほんの少しだけ腹が立っているだけで、断じて、私がイシュラ王に会いたいというわけではないのだ。
もう半分の丸パンを更に千切りながら「呪われてしまえ」と怨嗟を口にすれば、側にいるリタさんが小さく吹き出した。
「……」
「すみません、可愛らしくてつい。そんなに頬を膨らませないでください」
「……」
「リスティア様がうちの娘の小さい頃にそっくりだったもので。あの子も仕事が忙しく帰りの遅い夫を待ちながら、恨み言をずっと口にしていました。父親が大好きな子だったんですよ」
父親が大好きという言葉に目を瞬き、慌ててそうではないのだと否定する。
「好きとかではなく、ただ、自分から此処に残るよう言ったのに、顔すら見せないから」
「そうですね」
「放置するなら、始めから放っておいてほしいと、そういうことです」
「寂しいのですね」
「寂しい……?」
イシュラ王が顔を見せないだけで寂しくなるわけがない。
母や祖母が亡くなったときですら、ただ悲しくて、やりきれなくて、初めて手に入った大切な宝物を無情に奪われたような気分だった。
「それとは違う気がします。寂しいなんて、思ったこともないので」
「それはリスティア様が寂しくならないよう、ジュリア様とお婆様が頑張られたのですね」
母と祖母はいつも私の側にいてくれて、寂しいと思ったことすらなかった。
「寂しいと、腹が立ったりしますか?」
「そうですね……甘えられる相手に対しては、そのように思われることもあるかもしれませんね」
極悪非道、人外、暴君である、あのイシュラ王に甘える?そんなことは許されないのでは?
「甘えることは悪いことではありませんよ。寂しいのならそう口に出し、側にいてほしいと頼めばよいことです」
「……忙しい人でも?」
「恐らく、リスティア様のお願いならどんなことでも叶えてくださいますよ」
それはどうか分からないけれど、取り敢えずイシュラ王と会えないことには文句の一つも言えない。いてもいなくても人をイライラさせるとは、とんでもない自称父親である。
――コンコン。
不意に扉がノックされ思わずそちらを睨みつけるも、この部屋の持ち主がノックなどするわけないと、三個目の丸パンを掴む。
でも他にこの部屋を訪れる人などいるのだろうか?と思いながら丸パンを千切ると、扉が開き、疲れた顔をしたリオルガお母さんが入って来た。
「リオルガ……?」
「すみません、まだ夕食の途中でしたか」
眉尻を下げ申し訳なさそうに謝るリオルガをジッと見つめ、やっぱり少し疲れているようだと顔を顰める。
「リオルガ、少し草臥れた?」
「くたび……それほど酷い顔をしていますか?」
「うん」
自身の頬をペタペタと触るリオルガに力強く頷く。
透き通るように綺麗な肌はくすみ、目の下には薄っすらと影が。浮かべる笑みもどこか儚く、一人で外を歩かせたら攫われてしまうくらい危うい。
国王直属常備軍の騎士で、男性であるリオルガに使うような言葉ではないかもしれないけれど、それくらい美しいのだから仕方がない。
「何かあったの?」
「何かというほどは」
「でもずっといなかったし」
「お一人にしてすみません。昨夜のうちにリスティア様の護衛騎士の手配を済ませておきたかったので」
「今日は?」
「朝から王都にある別宅に。社交シーズン中なので両親と弟がきているので、挨拶をするついでに少し用事を済ませてきました。それくらいでしょうか?」
「でも凄く疲れていそうだけど」
「疲れては……いるかもしれませんね。ですが久しぶりに弟と会えましたから、嬉しさの方が勝つかと」
「弟……」
そう言えば王都に向かっている途中、話題の中に度々リオルガの弟が出てきた気がする。
あのときは自称父親のことで頭がいっぱいだったので聞き流していたけれど、リオルガの弟……と目を輝かせた。
「弟がいるんですか?」
「はい。リスティア様より二つほど歳が上かと」
「どのような子なんですか?」
興味津々だったのがばれたのか、リオルガは一瞬きょとんとしたあとふっと口角を上げ、「そうですね」と口元に指をあてた。
「弟は明るく社交的というより、静かにそこにいるような、大人しいとはまた違いどこか達観しているというか……とても大人びた子です」
リオルガに似た感じの年相応な少年を想像していたけど、実際は年相応ではない仙人みたいな子らしい。
どういう子なのか全く想像つかず、弟への興味はポイッと捨て目の前にいる人にフォーカスを当てる。
「リオルガはどんな子だったんですか?」
「私ですか?どのような……弟とはまた違った意味で大人しい子供だったと思います。ですから友達はあまり多い方ではありませんでした」
「多そうなのに」
「よく怖いと言われ泣かれていましたから」
怖いと言われるような子供とは何だろう?と悩み、もしや小さい頃から怒らせてはいけない人だと認識されていたのではないかと慄く。
「うーん……」
ジーッとリオルガの端正な顔を見つめ、唸る。
メリアがヒロインの本にリオルガが出てこない理由が歳の差だとしたら、彼の弟はどうなのだろう。
リオルガの弟なのだから容姿は優れているとして、年齢、家柄、性格と、メリアを取り巻く男性達に引けを取らない筈。
私の関わりたくない脳内リストには既に数名の名前が書き込まれている。
メリアが殿堂入りなのは当然として、元婚約者、この国の王子達、それとイシュラ王。
もしリオルガの弟がメリアの取り巻きになる一人だとしたら、このリストに名を書き込み絶対に関わらないようにしなくてはいけない。
(可能性が高そうなんだよね……)
因みに自称父親がリストにいる理由は、彼がメリアを隣国に遊学させた元凶だからだ。
遊学だけではなく、娘同然に可愛がっているからと書状まで寄越した人。
娘は、私なのに……。
そんなことを考え、絆されすぎだと慌てて顔を左右に振り、そこでまた疑問がわく。
小説の中にリスティアという王女は出てこないけれど、現に私はここにいる。
イシュラ王やリタさんが言っていたこと、私が実際に目でみたことが真実であれば、イシュラ王が他人であるメリアを娘同然に扱い遊学などさせるわけがない。
だとしたらどうしてだろうと考え、サッと血の気が引く。
「私の身代わり……?」
もしこの先、私の身に何か起こり亡くなってしまったとすれば、イシュラ王はどうするのだろうか。愛した人もその娘も亡くし狂ったとすれば、娘と同じ歳のメリアを大事にするようになるのでは?
でもそれは、私が死ぬことが前提で……。
「リスティア様?」
「……っ、え?」
「どうかなさいましたか?」
心配そうに私の顔を覗き込んだリオルガにへらっと笑い、何でもないと首を横に振る。
大丈夫、ただの憶測だからと自身に言い聞かせた。




