母の痕跡と変態の軌跡
イシュラ王の私室から徒歩一分という近さにある、王妃様に与えられる筈だった母の部屋。
歴代の王妃様が使用していたというだけあり、国王陛下の部屋とは目と鼻の先。
部屋は扉一枚で繋がっていないのですか?と聞くと、情報漏洩や防犯上の観点から扉はないですよと言われてしまった。
「どうぞ中にお入りください」
鍵のかかっていた扉が開かれた。
この部屋はイシュラ王が母の為に改装させたと言うのだから、きっと母の名残が沢山詰まった部屋で、尚且つ母の絵姿まである天国のような場所。
「入ります……」
どこか緊張しながら、そっと部屋へ足を踏み入れると、そこは……。
(ここは、どこ?)
完全に別の場所へ迷い込んだ。
「リタさん。この部屋が、母が使っていた部屋ですよね?」
「はい」
そうですよね……となりながらも、まだ信じられず視線を彷徨わせる。
イシュラ王ほどとはいかないが、母の性格を考えシンプルな部屋を想像していた。
それなのに室内は完全ロココ様式とくれば驚かない人はいない。
繊細、優雅、エレガント、そういったものが詰まった部屋の壁や天井は、植物をモチーフとした装飾。
家具は全て猫脚の可愛らしい物で、大きな鏡、水晶で作られたシャンデリアと、優美さ、豪華さに圧倒されるほど。
(まさにお姫様。どう例えても、お姫様の部屋としか言えない)
母といえば、度胸、根性が据わっていて、芯が強く、ポジティブ。
家具や食器は使えればいいし、服は着られればいいという人だったのに。
「リタさん。母はどのような人でしたか……?」
「ジュリア様ですか?そうですね、とても穏やかでお優しく、ゆったりとした方でした」
(誰だろう、それは……)
祖母ならまだしも、母はすぐ怒るし、厳しいし、兎に角テキパキと動く人だった。
リタさんの言う母と一致するところは、優しいというところだけでは?
「お花がお好きで、よく自身で摘まれて飾っていらっしゃいました」
花は食べられないから不必要だと言って、時折やってくる行商人から押し付けられた花を千切ってお湯に入れていた。
「そこのカウチでよくお昼寝されていましたよ」
時間は有益だと、お昼寝する時間があれば野菜を育てるような人だった。
「編み物や刺繍もお好きで、お食事を忘れるほど熱中されていました」
それは知っている。
うちにも編み物の棒や刺繍の針があったから。
(でも、毛糸や刺繍糸より、生活に必要な生地を買う必要があったから)
リタさんの知る、ジュリアマリア・スカルキという人は、質素にたくましく過ごしていた母の姿からは想像もできないものだった。
「こちらへ」
案内されるままに足を動かし、部屋の奥へと進むと、そこには待ち望んでいた母の絵姿が。
凄く久しぶりに見る母の姿。
そこに描かれている母は着飾った貴族の令嬢なのに、笑っている顔は同じで胸が苦しくなる。
「ここに来て良かった……」
大好きな母をまた見られただけで王宮に来て良かったと思えるのだから、凄く現金な人間だなと苦笑する。
「陛下もよくそうして絵姿を眺めておられるのですよ」
「……よくとは、どれくらいの頻度でしょうか?」
「頻度ですか?そうですね……週に二日?いえ、三日かしら?でも先週は五日くらいだったような」
いっそ毎日くればいいのでは?
見た目と中身のギャップが凄くて、段々とあの人外系美形が残念なおじさんに思えてきた。
「……」
ぐるりと室内を見回し、ほうっと息を吐く。
こういったお姫様のような可愛らしい部屋に憧れていたときがあった。
けれどこういった実物は王太子妃教育に必要なく、ただ知識だけが詰め込まれる。
だから部屋は眠るだけのものという認識で、そういったところは母より自称父親と同じだったのだろう。
イシュラ王もきっと私室は寛ぐ為の部屋ではなく、ただ眠るだけの部屋。
彼にとって寛げる場所は、母の側だけなのかもしれない。
「綺麗ですね」
「とてもお綺麗でしたよ」
「私はやっぱり母にはあまり似ていないようです」
「リスティア様は、陛下とジュリア様のよいところを全て受け継いでいらっしゃいますよ」
自称父親の要素がなければ苦労することもなかったのに……とは口にせず、奥にある扉をから寝室へと移動する。
そこもまた隣室と同じロココ様式。
天蓋付きのベッド、ドレッサー、大きな姿見、そして一人掛け用のソファーに置かれた猫の人形。
「この猫の目、紫色?」
「後宮に入られたときに陛下が贈られた物です」
それを聞いて何かこう凄い執着を感じ、猫の人形へと伸ばしていた指先を丸めた。
「あの、ここは使っていない部屋なんですよね?」
「はい。普段は鍵をかけ閉じております」
「それなのに埃臭くはないんですね」
閉め切っていた部屋特有の、埃臭さとかジメジメした空気が全くない。
「毎日掃除をしております」
「それも国王陛下が?」
「はい。いつか戻って来られたときにと」
部屋をそのままにしたのは、戻ってきてほしいという現れなのだろう。
でも、母がこの部屋に戻って来ることはもうない。
いずれは次期王候補として指名された者が王位を継ぎ、王妃となる女性に与えることになる。そうなればこの部屋に今ある物全て、他に移動させるか、片付けることになるのだろう。
「リタさん」
「はい」
「もしかして、国王陛下が王位を譲って隠居するときに、この部屋の物を全て持っていく計画とかありますか……?」
「まあ、よくお分かりになりましたね!やはり親子なのでしょうね」
「あるんですね……」
「離宮にこの部屋と全く同じ部屋を作らせているそうですよ」
自称父親は変態なのだろうか?
百歩譲って部屋をそのままにしておく気持ちは分かる。でも隠居先に全く同じ部屋を作るというのは同意出来ない。だって意味が分からないから。
「あの、母が使っていたハンカチとか櫛とか、そういった小物はありませんか?」
このままでは母の全てを持って行かれてしまうという焦りから、気付けばそう口にしていた。私は娘なのだから、母の形見の一つや二つは譲ってくれる筈だと、多分。
「小物なら沢山ありますが、リスティア様の物は別にご用意してありますよ」
「あ、その、母の物はあまり持っていなくて。だから何か貰ってもいいか国王陛下に訊こうと思って」
「それでしたらこちらへどうぞ」
優しくそっと肩を押され、寝室にある洋服部屋へ移動する。
イシュラ王の寝室にあった部屋より狭いが、こちらも十分な広さがあり、やはり大量の私服やドレス類が。奥の方には装飾品の棚が二つほどあって、そこにいくつかハンカチが置かれていた。
「……これ」
そのハンカチの端には可愛らしい小鳥のような刺繍が施されていて、その小鳥は母が使っていたエプロンやタオル、私の服などによく刺繍されていたものと同じ。
「これが欲しいです」
震える声でそう呟けば、リタさんがハンカチを私に手渡してくれた。
家にある物はもう古く、刺繍が解け小鳥ではないものになっていたから、これは凄く嬉しい。
ハンカチの小鳥をそっと指先で撫でていると、リタさんが棚の上にあった箱を下ろし蓋を開けた。
「これって、靴下?」
箱の中には編み物の棒と毛糸、それと作りかけの小さな靴下。
どうして作りかけの物が?とジッと靴下を見つめていると、ふふっと笑ったリタさんが私の物だと言う。
「これは王宮を出て行かれる前にジュリア様がお作りになっていた物です」
「お腹の子に?」
「他にも沢山お作りになっていたのですが、出来上がっていた物は全て持って行かれました」
「これも欲しいです……」
「ではお部屋にお持ちしますね」
ハンカチとこの靴下くらいならくれるかな?とほくほくしていると、リタさんがまた棚から何か出してきて私の前に並べ始めたのだけど……。
「これは……」
「装飾品です。ジュリア様がお持ちの物で宝石が小ぶりな物を選んでみましたが、いかがいたしますか?」
「いかがも何も、装飾品はいらないです」
宝石が小ぶりな物というが、どれも一級品で価値ある物。
とてもじゃないけど平民が持つような物ではなく、付けていく場所もない。
それに母はきっと、こういった物は思い出と共にここに置いて行ったのだから、それを持ち帰ったら夢に出てきて叱られてしまう。
「これはきっと国王陛下が母に贈られた物ですよね。だから国王陛下の側に置いておくべきです」
リタさんが「そうですか」と少し残念そうな顔をするが、私にはこのハンカチと作りかけの靴下で十分だと説得し、洋服部屋を出た。
「うわあっ、凄い……!綺麗っ……!」
隣室に戻りガラス扉から外へ出ると、そこは花畑のよう。
辺りいちめんに咲き誇る花を眺めながら声を上げ、スーッと花の香りを嗅ぎ、いい匂いとはしゃぐ。
これはイシュラ王が母の目を楽しませる為に造らせた物らしく、長い間ずっと同じ景色のまま保たれているらしい。
そしてその花畑の中心にあるガゼボ。
そこで母がよくお茶をしていたと聞き、思わず「私もしてみたい」と口にしていた。
「それでしたら明日にでも。ご用意しておきますね」
お茶もお菓子も母が好んでいた物だと言われ、またもや子供のように飛び跳ねてはしゃいでしまったが、これはもう興奮するなと言う方が無理。
でも一人でお茶をするのは寂しい。
だからまだ今日は見ていないリオルガでも誘おうと計画を立てつつ、夕食の時間までずっとカウチで寝転び、母の絵姿を眺めて過ごしていた。




