知らないと思っていました
統治の全機能を所有し権力を自由に行使でき、長年国を拡大させ他国を支配してきたフィランデル国の若き優秀な統治者。それがこの自称父親であるイシュラ王。
有り余るほどの財源に、確固たる地位、欲しい物は何でも手に入るような環境にいる人の私室。
「……何もない」
質素、堅実、無駄を省く、そういった類のものではなく、本当に何もなくこれはがらんどうという言葉が相応しい。
これが私室の奥にある寝室ならまだしも、この今いる部屋は人が訪れることもある。それなのに窓側に長机と椅子があるだけで、こういった部屋に置かれるソファーやテーブルはなく、本棚や絵画、ラグすらないのだから驚かないわけがない。
他に何かと素早く周囲を見回し、辛うじてカーテンは見つけたがそれだけ。この部屋は本当に国王の私室なのかと疑うレベルである。
此処へ連れて来られたのは恐らく話し合いをする為で、それなら私は立っていることになるのだろうか?と考えていたのだが、床に下ろされることもなく長机まで運ばれ。
「……へ?」
イシュラ王はそのまま一人掛け用の大きな椅子に座り、そのまま私を膝の上に座らせた。
標準より若干小さいとはいえ私はもう九歳。こうして誰かの膝の上に座るような年齢ではない筈なのに、これは何だろう?
「で、先程お前が言っていたことだが」
「異動のことでしょうか?」
「これの専属騎士になるのは構わないが、騎士職を辞めるというのはどういうことだ?」
「そのままの意味です」
「……これが此処から去るような意味に聞こえたが?」
「寧ろ何故残られると思っておられるのですか?陛下はリスティア様を王宮に連れて来るよう言われましたが、その先に関してのことは口にされていませんでしたよね?ですから一度会うという名目で王宮に来ていただきました」
「……」
「私はリスティア様のご意思に従うつもりですので、この王宮に残られるのであれば専属護衛騎士に、そうでなく元の生活を望まれるのでしたら騎士職を辞めお供するつもりです」
「余程気に入ったようだな」
「私の父が常々口にしておりますが、こうビビッときたらそれに従い逃がしてはならないそうです」
「ビビッ……?」
「父は陛下を見てそう感じたのではないでしょうか」
「……」
「嫌そうな顔をされても」
「家はどうする気だ」
「優秀な弟がおりますので。ですので自身の直感を信じてみようかと思います」
「従順な犬だな」
抱っこされて膝の上に設置され羞恥心でわなわなする私を放置する二人は、平然と話をしている。逃げ出そうにもお腹にあるイシュラ王の腕にがっちり拘束されているし、助けを求めようにもこの部屋には侍従すらいない。
けれどもし侍従や侍女がいたとしても、戦力にはならないことに気付きガクッと項垂れた。
「何だ……?急に力が抜けたが、腹が減ったのか?」
「あのような状況で食事が喉を通るわけがありませんからね」
「何か持ってこさせるか」
「遅い時間ですので果物が良いかと」
あのような状況でも出されたものはしっかり完食したのでお腹はいっぱいである。
見当違いなことを言う自称父親に呆れ、母親力が上がっているリオルガに当惑するも、これでは埒が明かないと勢いよく顔を上げ「椅子を!」と声を張り上げた。
「椅子……?」
「椅子でしょうか……?」
「ひ、一人で座りたいです!だから椅子をっ……なければ立ちます!」
「椅子も何も、座っているだろうが」
「それは、そうですけど、そうじゃなくてっ……」
「リオルガ、通訳しろ」
「陛下の膝の上は居心地が悪いので椅子が必要だということでは?」
「……」
「初対面なのですからご配慮が必要かと」
うちのリオルガお母さんは猛獣使いだと尊敬の眼差しを向けていれば、背後から「チッ」と舌打ちが聞こえ、それと同時に長机に置かれていたベルが鳴らされた。
「ご用でしょうか?」
数分経たずに扉から入って来たのは、ダイニングルームでイシュラ王の側に控えていた老年の男性。よく見ると通路で出会った侍従らしき人達とは衣装が違っているので、この男性はイシュラ王の側近なのかもしれない。
「椅子を」
「……椅子、あぁ、はい。直ぐにご用意いたします」
老年の男性は一瞬何を言われたのか分からないといった顔をしたが、主の膝の上に座る私を見て数度瞬きしたあと目尻を下げ、直ぐに扉の外に向かい誰かに指示を出す。
「今の男は執事のローガットだ。何かあればあれに言え」
何かとは何だろう?と思いながら小さく頷けば、イシュラ王はジッと私を見つめながらポンと頭の上に手を乗せた。
何をするでもなくただ乗せられた大きな手。
それはとても温かくて、椅子が運ばれて来るまでの間、身動きせず大人しくその手を享受していた。
「満足か?」
「……」
ローガットさんが用意してくれたのは、一人掛けの子供用の椅子とふわふわのクッション。
これでやっと一息つけると安堵した矢先、イシュラ王の直ぐ隣にその椅子は設置されてしまった。
対面ではなく並んで座る意味とは?
唖然とする私を子供用の椅子に座らせ投げかけた言葉が「満足か?」である。
確かに、私が椅子と一人で座ることを切望したがこれではない。
「父親は必要なく、放っておけと聞いたが?」
私の方に椅子を向けたイシュラ王が、椅子の背に寄り掛かって足を組み、前置きもなくそう訊ねてきた。横柄な態度なのにそれが似合ってしまうのはこの人だからだろう。
「……はい」
「お前はどうしたい」
エドに焚きつけられ此処まで来たけれど、思っていることをそのまま口に出しても大丈夫なのだろうか?とそっとリオルガを窺えば、笑顔で頷いてくれた。
それならばやることは一つ。
「今迄住んでいた村に戻って隠れて生きていくので、一生家から出ないで暮らせる生活を保障してください」
望んでいるのは王女としての待遇でも、贅沢な暮らしでもない。村人一人が普通に生きていけるくらいの援助をお願いしたいだけ。
だからきっと二つ返事で了承してくれると思っていたのに、眉間にぐぐっと皺を寄せたイシュラ王がとてつもなく不機嫌そうなのはどうしたことか。
「あの、家から出ない生活といっても贅沢するつもりはなくて、ただ毎日パンとスープが食べられるくらいでいいというか……あ、でも家の修理も」
「……」
「修理と言っても抜けた床と建て付けが悪くなった玄関の扉だけで……屋根もかな?でもまだそんなに雨漏りはしていないし」
「……」
「それだけでいいのですが……あとは村に家族のような人達もいるので、大丈夫です」
「リスティア様。私も居りますよ?」
「リオルガもいるそうです」
「……」
ずっと無言のまま私の話を聞いているだけのイシュラ王に困り果てていると、部屋の隅に控えていたローガットさんがいつの間にかイシュラ王の背後に立ち、「陛下」と声を掛けた。
「ただ黙っているだけでは何も伝わりません」
「……」
「初めからやり直さなくては、また失われますよ」
「……」
ローガットさんにやんわりと窘められたイシュラ王は、椅子の肘掛けを指で叩きながら目を伏せ、深く溜息を吐き。
「リスティア」
低いけれど優しい声で、初めて私の名前を口にした。




