試合終了です
聖母の仮面を外した王妃様の眼差しは、底なし沼のように暗く恐ろしい。
身体の中に冷たいものが抜けていくような感覚に陥りながら、王妃様からの圧に耐える。
私がただの子供であれば、この人の手によって人知れず消されていたかもしれないと思わせるほどの物恐ろしさだ。
大人しくしていなかった私の所為でもあるが、王妃様がどのような人か分かっていて私を呼び寄せた自称父親は何をしているのかというと、テーブルに片肘をつき顎をのせながら私達を……と言うより、私を飽きずにジッと観察し続けているのだから役に立たない。
(今こそ父親として庇うべきでしょうが、この鬼畜がっ……!)
怒鳴りつけてやりたいのを必死に我慢していると、ようやく話の内容を理解したのかメリアが「酷いわ」と声を上げた。
「どうして私を悪く言うの?仲良くしましょうって、色々と教えてあげるねって言ったのに。リスティアは私のことが嫌いなの?」
目に涙を溜め酷いと連呼するメリアは、これほど頭が弱い子だっただろうか?
侯爵令嬢だった私の婚約者の腕に抱かれほくそ笑んでいた印象が強く、勝手にずる賢いイメージを持っていたのだけれど、そもそもあのときが最初で最後というくらい大して絡んでいなかったことを思い出した。
これが本当のメリアなのか、それともまだ幼いからなのか、どちらにしても王妃様より脅威ではない。
「会ったばかりの人に好きも嫌いもありませんよね?」
「……えっ?」
「それにさっき言いましたけど、仲良くする時間はないし、分からないことは専門の先生から教わります」
「あ、そうだったけど、でも、えっと……」
混乱しているメリアから顔を背けると、「おい」と次は彼女のナイト気取りのソレイルが噛みついてくるのだから面倒な人達である。
「母上もクリス兄様も平民の無礼を許してやっているからって、調子に乗るなよ」
「それはどうもありがとうございます?」
「っ……この、卑しい血が混ざった偽者のくせに……!」
ソレイルのあんまりな言い様にパチパチと目を瞬かせる。
確かに王族と平民では身分は違うが、流れている血は同じ。どちらも真っ赤な血で卑しいとか高貴とか見ても分らない。
「偽者?」
「平民の血が入っているのだから、お前なんか王族ではない」
溺愛するメリアが悪く言われたからか、それとも平民である私が気に入らないのか、そのどちらであったとしても、感情のまま言葉を口にしてはいけない。
「ソレイル。言い過ぎだ」
「クリス兄様がそうやって許すから、メリアが侮辱されたんです」
「許すも何も、その子は父上の娘だと聞いただろう?」
「だとしても得体の知れない平民の母親の血が入っています」
クリスの方はまだまともなのか、興奮しながら私を罵倒するソレイルを止めているが、母親である王妃様は眉を顰めているだけで止める気配はない。
大人が介入せず、ソレイルと私がもめるだけであればまだ幼い子供達の喧嘩だったと大事にせず終えられるからだろう。
それなら私も何を言っても無礼講ということで。
「侮辱と言いましたが、卑しい血や偽者、ましてや母のことまで悪く言うことは侮辱ではないのですか?」
「だって本当のことだろう?」
「本当のことなど平民ということしかありませんけど?」
「それが偽者の証拠だ」
「第二王子殿下は鏡を見たことがありますか?」
「……は?」
運ばれてきたデザートに口元を綻ばせながら、眉根を寄せ低い不機嫌を全開に出すソレイルに向かって首を傾げた。
「偽者の私の方が、国王陛下に似ていますよ」
外見だけなら偽者はお前だと言ってやりたいが、私は馬鹿ではないので黙っておく。
クリスはどちらかというと顔のつくりがイシュラ王よりだが、ソレイルは王妃様によく似た顔のつくりをしている。言うならば美少女ということ。
サッと顔色の悪くなったソレイルに肩を竦め、羨ましいことだと苺をフォークで刺し口に運ぶ。
うん、物凄く美味しい。
「リスティア」
王宮は食事もデザートも格別だと全く別のことを考えていた私は、王妃様の冷たい声に「はい」と元気よく返事をする。
「ソレイルがよくなかったことは分かるわ。でも貴方も先程から言い過ぎよ。自身を王族だと思うのは構わないけれど、王族籍に名を連ねていないのだから現状はまだ平民なの。だからソレイルの言いたいことも分かってあげてちょうだい」
「私は侮辱されても黙って聞いていないといけないのですか?そうしないと自分を王族だと思い込んだ傲慢な者になるからと?」
「貴方はどうしてそうよくない方へ取るのかしら。やはり家庭環境がよくなかったのね」
まるで私が聞き分けのない子供のように話す王妃様は、また私の家族を侮辱した。
この瞬間、大人しくと自身にかけていた暗示はどこかへポイッと飛んでいってしまった。
「王妃様が仰っていた、マナーや常識、最低限のことすら出来ないのは、正統な血筋をお持ちの王族様ですよね」
今から口にすることは不敬罪になる可能性があるが、自称父親は面白そうな顔をして見物しているのでそこまで酷い罰は与えられないと、そう思いたい。もし危なくなったらきっとリオルガが私を担いで逃げてくれることを信じ、言葉を続ける。
「少なからず国王陛下やその周辺の方達は、私が平民だということを知っていた筈です。だというのにきちんとした正装が用意されないまま、テーブルマナーのある晩餐の席に呼びました。挙句、教育をされていないだの、卑しい血だのと言われるのですから、まるで吊し上げですよね」
「吊るし……?」
「多数で一人を嬲ることです。それを平然と行うのが王族だというのであれば、私は王族だと名乗りたくはありません」
「リスティア……それは不敬よ」
「ですが、不本意なことに私は王族らしいのです」
「ですから貴方はまだ王族ではないと言ったでしょう」
「絶対君主制の国王陛下が、私のことを娘だとこの場で宣言したのに?」
「宣言したからといって王族になれるわけではないわ」
王妃様の言う通り法的にまだ私は王族ではない。
でも何度も言うが、それは何よりも法を重視する国のルールであり、この国には当てはまらない。この国のルールを決めるのも捻じ曲げるのも、それができるのはたった一人。
「いい加減にしろ」
この恐ろしく人外であるイシュラ王だけ。
国王である彼が口にしたことは法に匹敵する。
「そろそろ耳障りだ」
ずっと黙っていたイシュラ王が咎めるように発言したことで、王妃様は勝ち誇るように私に向かって笑みを浮かべた。
「それは俺の娘だと言った筈だが、聞こえていなかったのか」
が、その顔は直ぐに歪んだものに変わることになってしまった。
リスティアという母が付けてくれた大切な名前があるというのに、これとかそれとか、あんたがいい加減にするべきである。
明らかに機嫌の悪そうなイシュラ王を見て誰もが口を閉ざす中、空気を読まず壊すことが得意な人達がいた。
「悪い子のくせに」
「メリアに謝罪するべきだ」
涙を溜めた瞳で私を睨みながら呟いたメリアと、彼女を慰めながら悪意を通り越して殺意を向けてくるソレイル。
この二人は何故王妃様が黙ったのか分からないらしい。
「私が、悪い子?」
「そうよ。だってリスティアは国王陛下の娘なのに平民なのでしょう?そんなのおかしいわ。そうよね、クリス、ソレイル」
「おかしい」
「えっ、と……」
メリアから賛同を求められギョッとするクリスに同情しながら、メリアは何が言いたいのだろうかと続きを待つ。すると彼女は何を思ったのか胸を張り、私を指差した。
「罰を受けていたのよ」
「……罰、ですか?」
「王族だって罪を犯せば罰を受け平民になるって、そう習ったわ。だからきっと、リスティアのお母様は何か罪を犯して平民にされたのよ。悪い人の子供は悪い子なんだから」
どうだと誇らしげなメリアだが、王妃様はメリアから顔を背け黙ったまま。流石にこれを仕方がない子だと流すことは出来なかったらしい。
「……ないわ」
家族を亡くし、実の父親が呼んでいるからと初めて村の外に出て、王宮という未知の場所へ足を踏み入れた子供に対する配慮などなく、それどころか継母とのバトルが待っていた。
半分だけど血の繋がりがある兄達は因縁のあるメリアの完全な取り巻きで、一応庇ってくれた自称父親は何を考えているのか分からない。
こんな場所で暮らせと?無理に決まっている。田舎で貧しくても、やっぱりあの思い出の詰まった家がある村が私の居場所なのだと再確認することになった。
身の安全の保障と慰謝料を貰ったら、綺麗に此処を去ろうと決意したときだった。
「もういいな」
「……へ、えっ!?」
横から伸びてきた太い腕に身体を持ち上げられ、状況を把握する間もなく目の前にはイシュラ王の顔が……。
幼子のように縦抱きにされ硬直する私を余所に、イシュラ王はそのまま退出しようとする。
「見せなければ認めないと喚くから付き合ったが、もう十分だ」
「……えっ、っ、ふえ……?」
「間抜けな声を出すな。面倒だったが、お前の為に晩餐に出てやったんだぞ」
ゆっくりと扉へ歩いて行くイシュラ王を止める者はいない。頼みの綱であるリオルガは私とイシュラ王を眺めながらニコニコ笑っているだけ。
これは何が起きているのだろうかと口を閉口させていると、何を思ったのかイシュラ王は足を止め振り返り「これは側室の子だ」と口にした。
「……陛下。何を仰られているのですか」
「王妃はよく知っているだろう?随分と昔に、側室として僅かな期間この王宮で暮らしていた伯爵家の娘だ」
「その娘はっ、家が没落し貴族ではなくなり、側室という立場が危ぶまれていたような者です。それなのにいつまでも……今迄一体、どこに隠されていたのですかっ……!」
地を這うような低い声で怒鳴った王妃様に皆驚くが、イシュラ王だけはふっと冷たく笑い背を向けた。
「陛下……!」
あれほど狼狽する王妃様も気になるが、今一番気になるのは側室という言葉。
側室の子とは私のことだろうか?と眉根を寄せると、そんな私を見てイシュラ王が口元を緩めた。
先程までの人を小馬鹿にしたようなものではなく、どこか母を思い出させる、優しい笑みだった。




