過去は死神の鎌を持ってやってくる
女神ティアマットがふたりの前に現れた直後、この空間は異質な空気に包まれた。
自分達以外の何者をも寄せ付けぬ、まるで時間がここ以外全て停止して自分達だけ動いているような。
現実か幻覚かはどうでもいい。
あの巨怪グリフォ・ドゴールと出会ったときのように、ティヨルは一瞬固まってしまった。
無論、光の中から突然現れた彼女をセバスもティヨルも知らない。
グリフォや国王、アルマンドのこと等で頭を悩ませているときにこの未知との遭遇。
混乱に混乱が重なって思わず発狂しそうになった。
「……」
光の中から出てきた未知なる存在こと、女神ティアマットはふたりを睨みつけるように見据えている。
全身は神々しいほどに蒼白く、肌と服が一体化したような姿だった。
人間の少女らしいフォルムをしているが、明らかに人間ではない。
見慣れぬ風貌のそれに目を奪われる。
花飾りを施した足元まで伸びる蒼白い髪、半目でこちらを見る少女の姿をした存在。
「……何者であるか? ここを、この御方をどなたと心得るッ!」
セバスがティヨルを背後にしてティアマットに吠える。
彼自身嫌な汗で顔色も悪くなっているがそれでも気丈に振る舞っていた。
だが女神たる彼女は意にもかえさずふたりを睨みつけたままフワフワと浮いている。
そればかりか……。
――――セバスの顔を見るや激しい憎悪を抱いているのがわかる。
その憎悪をなんとか抑えているという印象をティヨルは受けた。
セバスと因縁があるのだろうか。
だが、彼も自分も……そればかりかこの国にいる全員が目の前の存在を見たことなどないだろう。
こんな稀有な存在を一目でも見たらきっと誰もが忘れない。
「セバス下がって……」
「王女様危険です、ここは私めに。早くお逃げください」
「大丈夫、任せて」
セバスの制止を除けてティヨルが前に出る。
ティアマットはなにもしない。
睨みつけたまま佇んでいる。
「……言葉は、わかりますか?」
「……」
「私はこの国の王女、名をティヨルと言います。本名を告げると長くなりますしそれは私自身面倒なので省きます。……我が国、そして私達に何用ですか? ……そも、アナタは何者なのです?」
「質問の多い女ね。グリフォもさっさと殺せばよかったのに……」
ようやく口を開いた。
だが同時に驚愕の発言をする。
"グリフォ"……。
確かにこの女はそう言った。
彼となんらかの繋がりがあるのは最早疑いようもあるまい。
もっと問い質したかったがここは彼女の話を聞こうとティヨルは黙った。
「教えてあげる。私は女神ティアマット。かつてお前達に我が愛する部族達を抹殺された……夫である邪竜と共にね」
「部族……? 邪竜? ……あっ! まさか!」
ティヨルの知識にそれはあった。
遥か昔に様々な部族達がこの地を統治していた。
彼等は同じ神を崇め、ときに争い、ときに交わり、この大自然の中で生きていたという。
だが我が国の教えに反する邪教徒及び蛮族と軽蔑され、長い年月をかけて滅ぼされていった。
その神には特徴があり、夫婦そろってひとつの神と成していた。
邪竜と女神……確か文献ではそうあったはず。
「遥か昔に夫は私を逃がす為に殿を務め、聖人とやらが持っていた聖剣で殺されたわ。……そしてつい数十年前に最後の部族達が死んだ。神格も信仰も喪い私は本当に独りぼっちになった」
ティアマットは自らのことを吐露する。
愛する者を失った怒りと孤独。
それはどこかグリフォ・ドゴールと通じるものがあるのを感じる。
「報復はもうじき終わる……誰も止められないわ。アナタ、報告でちょくちょく聞いてたけど結構頭良いんですって? でも無駄よ。この国も民も、歴史も全ては無に還るわ」
「待って、異教の女神であるアナタも復讐者なの!? そんなにも……そんなにもこの国が憎いの?」
「そうよ、憎いわ。……グリフォは勇者を、私はこの国を。民草1人残らず殺してやる……かつてお前達が部族達にそうしたように」
この女神は本気だ。
説得も改心も最早不可能だろう。
憎しみは晴れる晴れないだのという問題ではない。
それが何十年前だろうと何百年前だろうと、必ずと言っていいほどに現在へと持ち越される。
憎しみに時間は関係ない。
抱けば最後、人間であろうと神であろうと自らが燃えるか敵を燃やし尽くすかまで終わらない。
否、終わってくれない。
憎しみは善悪の物差しで測れるその範疇をいつの間にか超えてしまっていた。
憎しみに対してこちらが言えることなど大抵限られている。
要約すれば『やめろ!』、この一言だ。
憎しみを裁くことは出来ない。
であるからこそ女神も巨怪も、あそこまで魂を荒ぶらせるのだろう。
どうしようもない理不尽によって生み出された憎しみを晴らす術、それが復讐なのだから。
「女神ティアマット……どうかその荒ぶる魂を御鎮め下さい。我が父祖達が子孫に繁栄をと起こした数々の宿業。私が責任を以て追及致します。部族達や邪竜を弔う碑を建て、これを過去からの教訓とし未来へと繋ぎます。二度とこのような悲惨なことが起こらぬように……ですからッ!」
「もう遅い……ッ! 恨むのなら、そこの男も一緒に恨むことね」
そう言って女神ティアマットは光の粒子となり消えていった。
辺りに静かな空気が戻る。
再び時間が動き出したかのように、身体が少し軽く感じた。
「……セバス?」
振り向くと老執事セバスは蒼ざめた顔で壁に寄り掛かりながらブツブツとなにかをぼやいていた。
「……そんな……いや、まさか……」
普段のセバスでは考えられないその状態にティヨルは底知れない不安を感じた。
同時に脳裏に浮かぶのはこの国が灼熱の炎で包まれている風景。
悪夢が現実となるのではないかという恐怖ほど、恐ろしいものはない。
ティヨルは今まさにその感覚を味わっていた。




