旅の始まり(4)
「四国へ行く。そこにオレ達の目的地がある」
虫取り屋の言う四国は、漢字を入れ替えれば死国──死の国と云う意味になる。
「鬼の住まうは黄泉の国。黄泉の国とは死の国の事。……だから、四国なんですね」
理沙は、分かったような分からないような、中途半端な顔をしていた。
「ふむ。なるほど……、そうですか。確かに四国なら、さもありなん。幽気の中で育つと、昆虫も変わったモノがいる可能性がありますよね。瀬戸内海には、『平家ガニ』っていうのも住んでいるくらいですから」
そう言ったのは、鬼村拓哉。さっきから、ストーカーのように理沙達にくっついていて離れないのである。しかも、理沙達が四国へ向かう理由も、何だか勘違いしているようだ。
「オジさん、未だ居たんですか。皇宮護衛官だかなんだか知りませんが、こんなところでプラプラしてて良いんですか?」
理沙は、明らかに嫌そうな口調で返事をした。本当は無視したかったのだが、鬼村はきっと返事があるまで絡んでくるだろう。それを延々と聞かされるのも、彼女には苦痛であった。
「だから、『オジさん』じゃなくって、『キムタク』って呼んで下さい。自分、まだ若いんで」
彼は、『オジさん』と呼ばれることが、大層お気に召さないご様子。ここは折衷案にするしか無いだろう。理沙は、両手で頭の髪の毛をクシャクシャとかき回した。
「うぅー、面倒臭い人ですね。……では、『鬼村さん』と呼びます。これ以上の譲歩は、却下です。よろしいですね」
理沙は、覚悟を決めると、そう言った。しかし、見ず知らずの人間に絡まれて、呼び方で文句を言われるのも、何だか理不尽な気がする。彼女は、さっさとココを飛び出して、適当な列車に乗り込みたい気分だった。
「えー、『キムタク』じゃないんですかぁ。……まぁ、良いです。それでいきましょう。じゃぁ、自分は、『理沙ちゃん』と呼びますんで。ヨロシク。……えっと、『虫取り屋』さんは、『虫取り屋さん』でいいですね」
鬼村の謎理論によって、二人は馴れ馴れしく名前で呼ばれることになったらしい。理沙は、それも嫌だったが、適当なところで妥協しないと、話が終わらない。
理沙の座っている椅子の脇では、ゴツイ体格の男が揉み手をして返事を待っていた。彼女は、ジロっと彼に一瞥を投げると、フイっと再びパソコンの画面に戻った。今も胸の中は煮え繰り返っていたが、これは理性で押さえつける。列車に乗ってしまえば、この人ともオサラバだ。
そんな理沙の心中を知ってか知らずか、鬼村は今度は虫取り屋の方へ、にこやかな笑みを向けた。だが、虫取り屋は、相変わらず無表情だ。その腐った魚のような瞳は、どこを見るとでもなく、ボヤッと前方の宙空へ向いていた。そんな無関心な虫取り屋の顔を、如何にも『良い人』っぽい表情で、鬼村は見つめていた。細い目が更に細くなる。これで、前が見えるのか? とも思える程だった。
「……オレは虫取り屋だ。何とでも呼べ」
そのあまりにもひつこい鬼村の態度に業を煮やしたのか、遂に虫取り屋もそう発した。
鍔広の帽子の下の表情も動作も、時が凍りついたように微動だにしなかったが、理沙の背中は虫取り屋がいつになくイライラしている事を感じ取ることが出来た。
現世には徹底的に無関心なこの男に──理由はともかく──何かしらの感情を示させるのは脅威である。その意味で、鬼村も普通の神経をしていなかった。
「そうですか、そうですか。では、今後共よろしくお願いします、虫取り屋さん」
鬼村はそう言うと、理沙の方に少し近付いた。
「理沙ちゃんもね。いやぁ、嬉しいなぁ。こんなカワイイ女の子とお近付きになれるなんて。自分は果報者です」
(ううううー。馴れ馴れしいわね。何が「今後共よろしくお願いします」ですか。今後なんて有りませんよ。電車が来たら、即、サヨナラだからね)
そんな鬼村の態度に、理沙のイライラは頭の天辺まで湧き上がりそうになっていた。しかし、こんなつまらない事で、いつまでも時間を無駄には出来ない。彼女は、検索キーワードを追加して、『鬼無』についての情報をもっと得ようと、再検索を行い始めた。
「うーーーん。なかなか『これ』っと言った情報がありませんね。虫取り屋さんは、他に何か知っている事はありませんか?」
彼女は、マウスを操作しながら、検索画面を上へ下へとスクロールさせていた。なかなか仕事がはかどらない彼女に、鬼村は、こう話し掛けた。
「あのー、理沙ちゃん。難儀してるねぇ」
こんな時に馴れ馴れしく声をかけられると、イライラが爆発しそうになる。彼女は、それをようやっと押さえ込むと、
「ええ、さっぱりです。それが何か?」
と振り返りもせず、鬼村に応えた。マウスを握る手が、若干震えている。
「鬼無についても、自分、少しは知ってますよ。ちょっと貸してくれませんか」
鬼村はそう言うと、座っている理沙の側に、グイと入り込んできた。彼の顔が、間近に迫ってくる。
「あっ、ちょっと、鬼村さん。何するんですか! 近い近い。顔、近いですよ。うっ、ぐぅー」
あまりの無作法に、少女はムサイ男から逃げるように上半身を反らせた。
「さっきも言ったでしょう。自分、日本の古史には強いんです。なんたって、皇宮護衛官ですからね」
鬼村は、ココぞとばかりに、自分をアピールした。
「オマエ、確か事務職だって言ってなかったか。それなら、護衛官ではなくて、技官ではないのか」
ドタバタとパソコンの前で、理沙と場所の取り合いをしている鬼村に、虫取り屋がツッコミを入れた。
「まぁ、良いじゃないですか、細かい事は。今日、自分、非番だし」
そんな虫取り屋の指摘も平気で受け流すと、彼はキーボードを片手でパチパチと叩いて幾つかのワードを入力すると、検索ボタンをクリックした。
「ああっ、勝手にいじらないで下さい。わたしが使ってるんですよ!」
傍若無人な鬼村の行動に、理沙は文句を言い続けていた。
「ちょっと、鬼村さん。やめてって」
そんな理沙を尻目に、鬼村は作業を続けていた。警察学校で鍛えられた彼の肉体は頑強で、十代の少女には抗う余地が無かった。
「ああっーと、ほら出た。鬼無の古伝ですよぉ。自分に任せれば、ほらっ、この通り」
鬼村は、あるウェブサイトにアクセスすると、液晶画面にその内容を表示させた。そこには、鬼無の桃太郎伝説について、簡単にまとめられていた。
「まぁ、色々な説がありますが、世間的に言われているのは、こんなところでしょうかね」
鬼村の言葉に促されて、理沙は画面に表示された内容を読み始めた。
「ええーっと、孝靈天皇の皇子、大吉備津彦命と、その弟である稚武彦命が、備前国の平定に派遣されていた。稚武彦が、ある時、姉である、や、やまとひ、ひひももも……、難しいわね。えっと、倭迹々日百襲媛命を訪ねて讃岐国に来た時に、川で洗濯をしている美しい娘を見つけた。……虫取り屋さん、この主人公って、吉備津彦じゃないじゃないですか」
最初の数行を読んで、理沙は、昨日、虫取り屋に教わった噺と違うことに気がついた。
「何でも知っている筈じゃなかったんですか」
疑いの目で見上げる理沙をどう思ったのか、虫取り屋は、
「そんな時もある」
と、無表情で応えたのである。
「もうっ。……ええっと、彼女は宇佐津彦命の子孫で、『神高』の地にお爺さん・お婆さんと住んでいた。彼女を見初めた稚武彦は、神高に入り、婿となった。……へぇ、洗濯をしていたのは、お婆さんじゃないんだ。桃も流れてこないし、そもそも吉備津彦も稚武彦も、桃から生まれてないし……」
不思議そうに言う理沙に、鬼村はこう説明した。
「知っていますか? 元々の『桃太郎』のお噺は、こうなんですよ。……ある時、お婆さんが川で洗濯をしていると、上流から大きな桃が流れてきました。あら珍しいと、その桃を持って帰ったお婆さん。家でこれを食べると、歳をとったお婆さんから、ピッチピチの若い娘に若返りました。そこで、山から帰ってきたお爺さんにも桃を食べさせると、彼も逞しい青年に若返りました。それでですね、若い二人は、その夜にムフフな事をしたんですよ。分かるかなぁ、理沙ちゃん。ムフフな事だよ、ムフフな」
僅かな細い目の奥からイヤらしい光を覗かせながら語る鬼村を遠ざけるように、理沙は両腕で彼を押しのけていた。
「もう、分かりますよ、それくらい。ちょっと、それ以上近づかないで下さい。やらしい」
そう言う彼女の顔は、羞恥で赤くなっていた。
「そう、若返った彼等は、仲睦まじく、毎晩せっせと子作りに励んだんだよ。その結果、誕生したのが我らが桃太郎! これが、お伽噺の真実なのさ」
鼻息も荒く、グッと拳を握る鬼村とは対照的に、理沙は顔を赤くして画面を睨んでいた。
「古い伝承は、時としてエロ本よりもエロい事を語っているものだ」
理沙の心情を解っているのかいないのか、虫取り屋は眉一つ動かさずに、平然とそう言ってのけた。
「虫取り屋さんも、いったい何言ってるんですか。嘘教えたくせに。……もうっ、ここから先は、わたし一人で調べます」
男二人に呆れ返った理沙は、ふくれっ面をしながらも、続きを読み始めた。
「ええっと、その頃、沖の女木島を根城にした鬼どもが暴れていた。お爺さん・お婆さんも、元は『おおふるや』に住んでいたのだが、鬼が来て悪いことをするので、神高の『やらい屋敷』に移り住んだのだと言う。なるほどね。で、それを聞いた稚武彦は、島に赴き鬼討伐を行う事とした。仲間になったのは、犬島の島民、猿王の地の住民、雉ヶ谷の地の住民の三勢力。ああ、なるほど、犬・猿・雉ですね。それから……、見事、鬼どもを退治した稚武彦が凱旋するも、生き残りの鬼が追いかけてきて、復讐に表れた。しかし稚武彦は、鬼どもを返り討ちにし、一人残らず殺しつくした。鬼が皆殺しになってすっかり居なくなったので、この地を鬼無と呼んだ……。うーむ、後半は、虫取り屋さんの話の通りみたいですね」
ざっと斜め読みをして、理沙は虫取り屋に教わった事を思い出していた。
そんな時、またもや鬼村がしゃしゃり出て来た。
「でもねぇ、その噺も伝承かどうか怪しいんですよ」
そう言って近付いてきた男に、彼女は露骨に嫌そうな態度をとった。
「もう、何ですか、いったい。皇宮警察は暇じゃないんでしょう」
そんな彼女の態度にも、鬼村は動じなかった。
「まぁまぁ、自分の話も聞いて下さいよ。そもそも、鬼無は、古くは『毛無』──つまり『髪の毛が無い』と書いたそうですよ。毛無って言うのは、要するにハゲの事で、『毛』──『木』が生えてない事に由来します。つまり、この地が、木が生えていない野っ原か荒れ地だったと言う事なんですよね。鬼が無い方の鬼無は、当て字だろうとも言われていますよ」
鬼村が自慢げに語る事に対して、理沙は不審げな目を送っていた。
「ええっ、そんな目で見ないで下さいよぉ。こういう説もある、って事ですよ。よく調べますとねぇ、どうも鬼無の桃太郎伝説は、時の外務大臣、大隈重信がこの地の珍しい地名に興味を示し、「桃太郎」に喩えて演説を行ったのがきっかけらしいです。地元の小学校教諭が、讃岐の伝承を調べて論文を新聞に掲載したところ、ブームになった……と云うのがホントのところらしいです。『桃太郎神社』だって、昭和六十三年までは、ただの『熊野権現』だったんですから。鬼無に桃太郎なんて、元々関係ないんです」
鬼村の話に、理沙の心は揺らいだ。
「そ、そうなんですか……。やっぱり、鬼無なんかに行っても、何にも変わらないかも知れませんね……」
力なく俯く理沙に、
「確かに、最近まで桃太郎神社などと云う物が無かったのは本当だ。だが、他の伝承には、『熊野権現が悪行を働く鬼の害を除き、『鬼無し』になった。そこで祠を建て奉斎し、遂に地名の由来となった』と云うものもある」
と、虫取り屋は語った。
「嬢ちゃん、いつまでもボヤボヤしている訳にはいかんぞ。オレ達の行き先はどこだ。何のために行く。忘れたとは言わせんぞ」
いつになく力強い虫取り屋の言葉に、理沙は自分の為すべき事を思い出した。
(そうだったわ。わたしが自分で決めたんだ。鬼無へ行くって。そして、鬼の呪縛を打ち払う。そうしなきゃ、わたしの為に死んじゃったお父さん達に会わす顔が無いわ。わたしは、わたしの運命に負けたりしない。わたしは、アカシアの端末……、いいえ、端末の能力が無くったって、運命を切り開くのは、わたし自身だ。自分でそう決めたんだから)
「虫取り屋さん! 忘れていました。わたしは、わたしの為すべき事をしなければ」
そう言う理沙の顔は、自信に満ちていた。
「……そうか」
虫取り屋は、ただ一言、そう言っただけだった。しかし、理沙には、その中に語られた無限の言葉を感じ取っていた。
「虫取り屋さん。列車の時刻までは、まだ少しありますよね。わたし、時間ギリギリまで、鬼の事について調べようと思います。少しでも、アイツらの事を知っておかなけりゃ」
理沙は、傍らの無表情の帽子の男に向かってそう言うと、再びパソコンに向かった。




