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鬼怪神  作者: K1.M-Waki
22/50

発現(6)

 それは、言葉ではあったろうが、声ではなかった。

 具体的なイメージでもなく、何かしらの概念に近かったかも知れない。


──デバッガ、オマエをリビルドしました


(リビルド、創り直した? ……そうか、オレは何かをしくじったのか)


──オマエだけの所為ではありません、しかし、この時空間には、無視できない程の大規模な破壊が起こりました


(破壊? そうか、お嬢ちゃんの能力(ちから)が暴走して、オレのプログラムに干渉した)


──そうです


(オレは、……お嬢ちゃんは、どうなる)


──オマエ達の修正は終わりました、この時空間のプロセスをリスタートします


(やり直し、って事か。済まねぇな)


──それから、ターミナル・デバイスには制限がかかっています


(え? 制限? ソースから書き直したのか?)


──いいえ、オマエの注入したスクリプトが、暴走を喰い止めています


(そうか。……間に合ったのか)


──この時空間の諸元は、新たに書き直されました、どのように書き直されたかは……


(オレ自身で確かめろ、って事かな)


──そうです、しかし気を付けなさい、鬼無(きなし)へ急ぐのです、分かりましたか


(分かっている。プロセスをリスタートしてくれ)


──では、この時空間のプロセスをリスタートします




 理沙(りさ)は虫取り屋とともに、廃墟と化した街路の縁に立っていた。

 陽が陰って、もう薄暗くなりそうな時刻だというのに、目の前では事故処理や避難・誘導のために県警や消防の隊員達が、右へ左へと忙しく動いていた。

 何の間違いか、ガソリンを満載したタンクローリーが、突然通りに飛び込んできて大爆発を起こしたのだ。

 それ程賑わってはいなかったものの、通りに居合わせた人々の殆どが死傷していた。死者・重症者・行方不明者の合計は、三十名以上に登った。屋内に居た者も、死こそ免れたものの、例外なく重軽傷を負っていた。

 爆発の規模が大きかった為か、犠牲者の総計は今に至ってもはっきりしない。破壊の中心部では、原型を留めない焼死体や『その一部』が散らばっており、本人の特定は困難を究めた。そんな状況で、理沙がちょっとした擦り傷程度の怪我で済んだのは、虫取り屋の素早い判断に拠るところが大きかった。

 そんな前代未聞の大惨事を国民に知らしめるために、空には報道のヘリが、立入禁止のロープの向こうにもメディアのカメラとマイクが、傍若無人に押し寄せていた。

 そんな外界の騒ぎから取り残されたような二人だった。


「酷い有り様ですね。……もしかして、これも鬼の、……いいえ、わたしの所為なんでしょうか?」

 しばらく呆然として立ち尽くしていた理沙は、傍らの虫取り屋を見ると、呟くようにそう言った。

 訊かれた方の虫取り屋も、ボウっと突っ立っていた。いや、これはいつも通りか。その腐った魚のような瞳は、何処にも焦点が合っていないように思えた。

 当然、応えはない。

 理沙は、「フゥ」と溜息を吐いて、もう一度、通りだった場所を眺めた。

「酷い」

 理沙は、もう一度呟いた。そして、ふと顔を上げると、

「虫取り屋さん。アカシアの超能力(ちから)で、事故を無かった事に出来ないでしょうか」

 尤もな意見である。死なずに済む人が居たのなら、その方が良いではないか。

「それは出来ん相談だ」

 虫取り屋の返事は、いつも通りだった。

「彼等は、既に死ぬ事に決まっていたのだ」


(いや、違う。理沙の暴走が鬼を産み、人々を死に追いやった)


「中には、跡形もなく消滅しなければならない者も居た」


(そうだ。巨鬼(きょき)に変じた若者。彼は時空の彼方に消え去った)


「既に起こってしまう事を変更する権限は、オレには無い」


(いや。あそこで巨鬼を喰い止められていれば。……そもそも、理沙の暴走に早く気が付いていれば、惨劇は避けられた筈だ)


「オレの仕事は、(バグ)を潰す事だ。死んだ人間を生き返らせる事ではない」


(何を言っている。オレこそが最大のバグではないか)


「お嬢ちゃんの所為じゃない。気にするな」


 虫取り屋は、心中で葛藤していた。

 勿論、この惨劇は、理沙が意図して起こしたものではない。アレは事故(・・)なのだ。虫取り屋は少し首を傾けると、両手で口元を押さえ付けている理沙を見やった。

 手首に肌色の絆創膏が貼り付けてあった。爆炎を避ける為、テーブルの影に飛び込んだ時に、床で擦り剥いたのだ。

「痛くはないか?」

 いたわりの感情など微塵も感じさせない言葉だったが、声をかけてくれた事、それだけで理沙は嬉しくなった。彼女は、再び虫取り屋の方を向くと、ぎこちない笑顔を見せた。

「大丈夫ですよ。こんなの、かすり傷です。すぐに治っちゃいます。虫取り屋さんのように、あっと云う間には治りませんが」

 そこまで言って、理沙は、ハッと気が付いて口を閉ざした。

「気にするな。オレは『生命(いのち)』と云うモノを持ち合わせていない。ただのデバッグ・プログラムに過ぎん」

 相変わらず、虫取り屋の言葉には感情がこもっておらず、まるで他人事(ひとごと)のようであった。虫取り屋の服装がいつもボロボロなのは、もしかしたら、修復されている事を気付かれないためであるのかも知れない。

 ガソリンと煤と焼けた合成樹脂の混じり合った焦臭い風の中で、虫取り屋はいつもの通り、両手をコートのポケットに突っ込んだまま、ボヤッと突っ立っているようにしか見えなかった。彼の黒いコートはいつもの如くボロボロで、爆炎で焦げたのか、煤で汚れたのかどうかさえ、判別し難かった。

 一方、理沙の顔は、所々が煤で薄黒くなっていた。買ったばかりの洋服なのに、これも爆炎で汚れてしまった。それでも、焦げ跡や破け目が無かったことを、幸運だったと思うべきだろう。

 そんな理沙を見ていた虫取り屋は、おもむろにポケットから手を出すと、それを理沙の顔に伸ばした。

「ヤン。虫取り屋さん、くすぐったいです」

 突然の事に、理沙は身をよじって、彼の手を払いのけようとした。

「ん? ああ、煤が付いていたのでな」

 そう言う虫取り屋の手には、薄汚れたクシャクシャのハンカチが握られていた。

「もう。だったら、もっと綺麗なハンカチを使って下さい。……ああ、もう。却って汚れちゃったじゃないですかぁ」

 理沙は虫取り屋から少し離れると、ワンピースのポケットから取り出した折りたたみ式の手鏡を見つめていた。

「安定しているようだな……」

 そんな少女の様子を見ていた虫取り屋は、ボソッと呟いた。

 いつもは、どんなにか細くて小さな呟きでも、はっきりと聞こえていたのに、今の言葉は何故か理沙には上手く伝わらなかった。

「え? 何か言いましたか?」

 理沙は、鏡から虫取り屋へ視線を移した。『セミロング』の『黒い』髪の毛が<フワッ>と波打つと、微風に乗って背中側に流れた。彼女は、眉毛にかかった前髪を片手で掻き上げると、耳たぶの向こうへ撫でた。


──腰までの長髪ではない、栗色の髪でもない


 首を傾げた理沙の目はパッチリと開いて、不思議そうに虫取り屋の顔を見ていた。幾分か冷たい外の風に当たった所為だろう、煤けた頬がホンノリと上気しているように思えた。


──その目は挑戦的ではない、頬は痩けてもいないし目元に隈も無い


 そこには、これまで虫取り屋が護ってきた『東条(とうじょう)理沙(りさ)』の顔があった。

「いや……何でもない。気にするな」

 虫取り屋は、急に興味を失ったかのように、その目を事故現場に向けた。

「もう、ズルイですよ、虫取り屋さん。何を言いかけたんですか。気になるじゃないですかぁ」

 そう言うと、理沙は虫取り屋に突っかかった。着替えの入った背中のリュックが、勢いで揺れる。

「汚しちまったな」

 虫取り屋は、そんな理沙の方を見もせずに、ポツリとそう言った。

「折角、似合ってて……可愛かったのにな」

 意外な虫取り屋の言葉に、理沙は、一瞬、呆気に取られていた。しばらくして、彼女はクスリとはにかむと、

「覚えてたんですね。洋服屋さんでの事」

 と言った。


──そんな時には、『カワイイね』とか『似合ってるよ』とか、気前の良い褒め言葉を並べるんですよ


 理沙の言葉が、虫取り屋にどんな変化を起こしたのだろうか。彼はボヤッと前を向いたままであった。

「メモリの片隅に残っていたからな。それに……『彼女』と云うものが出来た時に、困るのだろう」

 と、驚くべき言葉を口にしたのだ。理沙は、そんな虫取り屋の言動の中に、照れ(・・)のようなものを感じた。


──ヒトの形をしたモノに、ヒトの心が宿っていないのは悲しすぎる


 虫取り屋を見ていて、以前そんなような事を考えたことを彼女は思い出していた。

 理沙には、爆発事故の前と後で、虫取り屋に何かしらの変化があったのではないかと感じていた。

 それは、もしかしたら自分の思い込みかも知れないし、最初から彼に備わっていたモノを別の角度から眺めただけかも知れない。


 それでもいい


 それでいい


 理沙は、何故か、そう思うことで何かがスッキリしたような気になった。

「嬉しそうだな。何か良い事があったか」

 相変わらず、関心があるのか無関心なのか、よく分からない様子の虫取り屋の声であった。

「いいえ、何にも」

「そうか?」

「そうですよ」

「そうか……ならいい」

「ですよねぇ」

 そんなやり取りが出来る存在が傍らにいる事こそが、理沙には堪らなく嬉しかった。もう長い間、こんな気持ちを忘れていた。それを思い出させてくれた虫取り屋に、彼女はくすぐったくなるような何かを感じていた。


「お待たせしました。ちょっと、お話、聞かせてもらってもいいでしょうか」

 そんな時、理沙達に声をかけてきた者がいた。

 紺色の制服に同色の帽子を被っているのは、県警の巡査であった。現場検証のために、理沙達は近くで待機しておくようにと、留め置かれていたのだ。

「はぁい。大丈夫ですよ」

 理沙は、そう応えると、警官の方へ虫取り屋を引っ張って行った。

「事情聴取か。……面倒だな」

 この事だけは、額面通りの感触が伝わってくる。

「そんな事、言わないで下さい。お巡りさんへの協力は、日本人の義務ですよ」

 虫取り屋が、「果たして日本人と云うことが出来るのか?」と云う疑問は残る。まぁ、その辺は、アカシアの能力(ちから)を使って、辻褄を合わせているに違いない。

 それに、今回の事故そのものには、鬼が関わった形跡は無い。こんな所で、警察とトラブルを起こすのは、理沙にとっても避けたい事であった。その点は、虫取り屋も承知しているに違いない。何かしらのトラブル回避の為の方策を、用意していることだろう。


 理沙と虫取り屋は、気が進まないながらも、事情聴取に協力する事にした。




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