第四十七話『交渉条件』
顔を照らす日差しに目を覚ます。柔らかなベッドの上だと、すぐに気づいた。
心地よい目覚め、とはならない。全身に鈍い重みがあり、節々が鉄になったように痛む。
何が起きたかはおおよそ理解している。
ルッツとの闘争。ミアノルと邂逅し、そうして討ち果たした事。
反射的に全身に魔力を通す。痛みは残る――が、確かにかつての如く指先まで魔力が循環していく。ぎこちなく這いまわるような真似は決してない。
ベッドから上体を起こして、その実感を握りしめる。今ここに僕の全霊が戻ってきている。例えそれが結界の外側に限られるとはいえ、嬉しくないと言えば嘘だ。
「――ご機嫌のようですね」
「いたなら言えよ!?」
ベッドのすぐ傍に椅子を置き、邸宅の女主人カルレッシアが座っていた。
不覚だ。気配さえ感じ取れないほど気が緩んでいたらしい。
「ここはわたくしの邸宅です。主人が邸宅の中にいて、何か不都合でも?」
「……そりゃまぁ、そう返されたらお手上げだが。君は随分と不機嫌みたいじゃないか」
唇をすっかり尖らせているカルレッシアに向けて言う。
そりゃまぁ、機嫌が良いはずもない。彼女の庭である旧王都グランディスを戦場にしただけでなく、邸宅や地下空間にさえ傷をつけたのだ。交渉の結果とはいえ、さぞご立腹だろう。
しかし、カルレッシアは僕の言葉に反応しなかった。ただこちらを指さして言ったのだ。
「その魔剣は、貴方が手にされたのでしょう?」
言われてベッドの横を見ると、鞘まで綺麗に装飾された剣――ミアノルがあった。
持ってきた覚えはないが、無意識的に掴んでしまったのか。そも、どうやってここまで来たかさえ覚えていないのだが。
こちらの疑問を他所に、カルレッシアが続ける。
「如何でしょう。そちらの魔剣を、わたくしに頂けませんか。必要な謝礼は当然いたします」
軽く、まるで当然の提案をするようにカルレッシアは言った。
彼女ならば、これがどういう代物か十分に理解しているはず。
言葉を選びながら口を開く。
「それはどうしてだ。この魔剣も商売になるからか? それとも」
軽くミアノルの柄に手を置いてから、カルレッシアに視線をやる。
「――君のご同輩だからかな?」
「……嫌な人間ですね、貴方は」
「そりゃどうも。君に言われるなら誉め言葉だろう。それに推測できる材料なら幾らでもあった。君が『魔力』を集めている所とかな」
*
ルッツとの衝突が始まる前、僕はカルレッシアと一つの取引をした。
僕の要求は、グランディスとこの邸宅を戦場として借り受ける事。当然、彼女の答えは拒絶だ。そんなもの受け入れられるわけがないとそう語った。
『争うべき場所なら、幾らでもあるはずです。どうしてここを使う必要が?』
取り付く島もない様子。だが、僕には一つ取引のための札があった。
カルレッシアが値を付けざるを得ない札。
『――君と取引をしている調度品。あれが魔族相手にはウケが良いらしいな』
それは事実だろう。使用人が商品として馬車に運んでいたのを見た事がある。決して虚偽ではない。
しかしそれだけが真実でもない。
彼女は、自分の為に幾つかの調度品を選び取っていた。やけに古く、決して見栄えが良いわけでもない代物。
――相手が何故それを好み、何故それを選ぶのか。それを把握するのは交渉の初歩だ。
最初は殆ど気にならなかった。それほど小さな手がかり。
だがカルレッシアが選んだ代物は、必ずほんの少し、掠れるような魔力を纏っていた。
無論、日常品に魔力が纏わりつくのはそう珍しい事ではない。生物が魔力を有する以上、長年使われたものには魔力が宿る。
とはいえ何かに転用できるほどではないし、魔力が宿っているから質が良いというわけでもない。
長年使えば道具にだって親しみがわく。それと同程度の意味しかないのだ。
けれどカルレッシアは何度調度品を運んできても、必ず特定の魔力が宿った品物のみを選び取る。かと言ってその後、その一品を飾ったり使い倒したりという所は見られない。
ゆえに一つの推論が成り立つ。
カルレッシアが真に必要としているのは調度品そのものではなく――それに付随した魔力ではないのか。
『魔性の中には、一度人間に敗北したり、封じられたりして魔力がバラバラになった連中もいると聞く。人間社会全体に散りばめられた自分の魔力を探すのは、相当苦労するんじゃないのか』
『……何が言いたいのです』
『腹を割って話し合おう。僕の条件を呑んで貰えるなら、次から君が望む品物を選んできてやる。呑めないのなら、ただの調度品だけを持って来るさ。それでも契約違反じゃない。そうだろう?』
その時カルレッシアは、間違いなく憎悪と敵意をもって僕をみていた。
けれど決して手は出さないし、出せない。素晴らしい、これぞ話し合いというものだ。
*
「――君が魔人とは思わなかったが。ミアノルを欲しがってる所を見ると、そう遠いもんじゃないだろう。君はかつて偉大な魔性で、今は肉体をこそ得たが、全く魔力が足りない。そこで同胞を少しでもその足しにしたい、という辺りでどうだ?」
カルレッシアは椅子に座ったまま、細い目をこちらに向けて言う。
「そんな事をしても意味がありません。失った自分の手足を、他人の手足で埋めろとでも? 全く、品性下劣な考えですこと。わたくし、貴方ほど悪い考えばかり思い浮かんだりしませんの。ただ、そうですわね」
ぽつりと、感傷を噛みしめる様子でカルレッシアは続けた。
「見ていられなくなる。そういう事は、人間にもあるのでしょう」
カルレッシアの瞳が夕暮れのように綺麗に、しかし何処か寂しげに輝いていた。
そこには僕ら人間には計り知れない、悠久の時代が横たわっている。もはや僕やミアノルを見つめるというより、何処かずっと遠い場所を見通しているかのようだった。
「……かつて持っていた力を奪われ、失う事。魔性にとって、これ以上に胸を焼く屈辱はありません。わたくしどもはただ力を誇り、力によって競う。それを失うというのは、尊厳を失うのと同義。――貴方ならば、よくお分かりでなくて?」
分かると、そうは言いたくないところだが。そうもいかない。
魔性は力を信奉するが、それは探索者とて同じ事。魔境を住処とし、戦いを日常とするという点で両者は同じだ。
だからこそカルレッシアの想いも理解出来てしまう。例え、そうしようと思わなくとも。
「ま。条件次第でミアノルを譲るのは構わない。丁度、君に頼みたい事があった」
「あら。少なくとも、邸宅を破壊するような真似でなければ宜しいのですが」
ちくりと嫌味を言うのを忘れないカルレッシアに向け、軽く肩を竦めて言う。
「君は結界に詳しいだろう。今の僕の状態で、結界の中を歩き回る方法があるかを知りたい」
「無いとは申しません。が、なるほど。それが交換条件ですか」
カルレッシアは流石に分かりが早い。
勝利というものは、掴み取るだけじゃあ駄目だ。この手で握りしめなければ。
王都の連中は、ルッツが敗北したと知ればまた次の手を打ってくる。その前に、相手が敗北の衝撃に全身を固めている間に。
こちらから手を打たなければ。
「ルヴィやパール、フォルティノ達はどうしてる? まだ起き上がれてないか?」
「冗談でしょう。最も遅かったのは貴方です。お三方はグランディスの復旧や、騒ぎの収拾にあたって頂いています」
はぁ、っとカルレッシアはこれまた嫌味にため息をついた。
もしかしてこいつ、僕の事がそれほどに嫌いなのだろうか。少しショックだ。何だかんだと、良い交渉相手くらいにはなれていると思っていたのに。
しかし三人とも起きているのなら都合は良い。これからの事は、彼女らに付き合って貰わなければ成り立たない事だ。
ベッドから立ち上がり、軽くみなりを正す。
そんな折に、ふと気づいた。
奇妙な感触がする。そんなはずがないのに、確かな実感があった。まるであいつがすぐ傍にいるかのような気配。
「サタニア――?」
いるはずがない人間の名を呼んでいた。当然、返事はない。奴は遥か北方。ここの声が届くはずもない。
代わりに勢いよく扉が開いた。
「――はい。先輩。先輩の可愛い可愛い後輩、ルヴィはここにおります」
相変わらず、表情の薄い顔で――ルヴィはそこにいた。
まさか彼女を、サタニアと間違えるとは。僕も焼きが回っただろうか。
ルヴィに応じるように軽く眦を上げて、口を開く。
「ルヴィ。丁度良かった。準備をしたい」
「はい。準備、ですか?」
そう問い返すルヴィに頷くようにして言った。
「完全に決着をつけてやる。――王都に行くぞ」




