第三十八話『王女は笑う』
ルッツ=バーナー率いるギルド連盟が、旧王都グランディスへと突入した頃合い。
王都シヴィにおいても、庶民の話題はソレ一色に染まっていた。
グランディスでギルドを設立したのが、かつてギルド連盟を率いたアーレ=ラックである事。
王室がルッツの要請に応じ、その背を後押しした事。
そうしてルッツもまた、王室への忠誠を誓った事。
少なくとも今回の騒動を契機として、これまでギルド連盟が制していたシヴィの在り方は、大きく変わるだろう。
市民らは尽きぬ不安と熱病のような興奮に浮かされ、思い思いに語り合う。
そうしてそれは市民らだけではなく、王城においても同様であった。数多の貴族が今後の展望を語り、王室の思惑を口にする。
ある者はその思惑に加われないか、ある者は自分が被害を受けないか。新旧王都の衝突を政争の道具として弄ぶ。
――そうしてその発端たる者は、王室で全ての情報を自らの耳に集めていた。
「殿下。お耳にされているかもしれませんが、此度の件。市井にも多くの想像が広まっております」
メイヤ北方王国が第一王女――リーリヴィエル=レイ=メイヤの私室で、サンドラがゆっくりと口にした。
室内は内装こそ最低限に抑えられているが、その全てが最高の質を保たれている。温室の中、健やかに、正しく生きる事を義務付けられたものの部屋。
基本的に王女は政務の全てを謁見室と議場でこなすが、一部の案件のみこの部屋で雑談として処理する。
それこそ、表ざたにすべきでない案件。議事録や記録の類に残すべきでないものを。
王女リーリヴィエルは椅子にゆったりと座り込み、僅かに瞼を開いた。
「――聞いているわ。庶民の想像力は本当に豊かね、サンドラ。いいえ、偶然を信じられないというべきかしら」
長く麗しい白磁にも似た色合いの頭髪と、同色の瞳。
全体的に色素が薄く、か弱い印象をまず第一に抱かせる。その気品に満ちた所作には優雅さが同居しており、芝居を見せられているのではないかと思うほど。
「全ては私が企んでいる、なんて風聞もあるのでしょう。恐ろしいものね」
「……仰る通り、たかが風聞に過ぎません」
小鳥が歌うようなリーリヴィエルの声と微笑。
しかしサンドラは、固く張り詰めた表情で応じる。それを見て、王女が言った。
「違うでしょう、サンドラ」
リーリヴィエルはくすくすと微笑を見せたまま言葉を継ぐ。
「そのような風聞が出回っている事。それ自体が問題。違って?」
「っ! ……申し訳ございません。すぐに手を打つよう私の方から申し上げます」
サンドラの全身から汗がにじみ出る。
リーリヴィエルの一言一言には、何かしらの意味が込められている。
その意味に気づけるのであれば、サンドラは王女の親しい友人という役回りを今後も与えられるだろう。
しかし気づけず、彼女の失望を買ってしまったのなら。
雑談は愚か、私室に入る事さえ許されない。
魔力により適温に保たれているはずの室内。しかしサンドラには鉄の牢獄よりも冷たく感じられる。
「今回の件で、ギルド連盟はようやく王室の配下に加わる。探索者のような血筋の定かでない人間が権力を持つ時代が終わるわ」
その意義を噛みしめるように、リーリヴィエルは椅子に座ったまま長いまつ毛を跳ねさせた。
長年抱いてきた願望が、今ようやく目の前で実現する。他人から見ればただ一つの事実に過ぎないが、当人からすれば人生の契機とさえなる事象だ。
「そうして――私に無礼を働いたあの男も、後悔をしている事でしょう。誰に逆らい、何をしでかしてしまったのか。ねぇ、サンドラ?」
リーリヴィエルの問いかけに、サンドラは小さく頷きながら言葉を探す。
王女がこうも一人の人間に拘泥するのはそう多くない。人との関わりは好悪ではなく損益で図るもの。これは王室だけでなく、貴族社会全てに通じる理だった。
有用であれば取り入れ、無用であれば切り捨てる。
勿論、王女がアーレ=ラックの排除に回ったことは、実益に沿った事とも言える。それによって、自分の意のままに動く人間をエルディアノのトップに据え置けた。
しかし王女の言葉の節々には、実益ではなく憎悪がにじみ出ている、そんな気さえした。
「お言葉の通りでしょう、殿下。これならば、追放せしめた時に殺しておけば良かったかもしれません」
僅かに震える指先で茶菓子を取りながら、サンドラは言葉を返す。
リーリヴィエルはくすりと笑って言う。
「悪くないけど。それじゃあ駄目よ。それじゃあ、アレは後悔しないでしょう。抱えきれないほどの屈辱を、飲み干せないほどの苦汁を味わわせなければ。私が満足出来ない」
ああ、王女の恐ろしい所はこれだ。サンドラは表情を動かさずに思う。
麗しく微笑み、笑顔を花咲かせながら悪意を孕ませうる。談笑をしながら、次にはその相手を地の底へ叩き落しても何ら意に介さない。
この本性こそが、彼女を王室の権限者たらしめている。もはや王も諸侯も、この笑顔一つに逆らえない。
「万が一ルッツとかいうのが失敗したなら、別の人間を向かわせなさい。王命が果たされないなどあってはならない。そもそも、今回私は彼の『希望』を聞いてあげただけで、王命を出した覚えはないけれど、ね」
事実だった。今回公式な記録としては、ルッツの希望を王女が聞き届けたというのみ。
王室自体がアーレ=ラックの討伐令を出したわけではない。ただルッツがそう声高に唱えているだけ。――ルッツの討伐が不首尾に終わった場合は、王室はそうやって権威を守る事も出来る。
王女らしいやり口だと、サンドラは頷きながらも唇を濡らす。
「承知しました。……殿下。本件で他に一つ、お耳にいれたい事がございます」
暫く雑談を交わした後で、サンドラはようやく今日の本題を切り出す。
リーリヴィエルの機嫌は決して悪くない。それに報告しておかねば、無能と断じられる恐れさえあった。
王女の顔色を伺いながら、言葉を重ねる。
「グランディスには、カルレッシアと名乗る魔性が根を張っていると情報が入っています。そうして、確証はございませんが、アーレ=ラックと手を結んでいる可能性もあると」
それは、本来『彼』を糾弾する材料になる。魔性と手を組み、王都を混乱に貶めようとしている悪。反逆者のレッテルを与えるのに申し分ない要素。
しかし今、サンドラはその意味で言葉を発していない。リーリヴィエルもまた、言葉の意図を理解した上で目を瞬かせる。
「――理解しました。でも、だからどうしたというの。何も問題はないでしょう?」
「殿下、しかしこれは」
「サンドラ」
リーリヴィエルは今日初めて、微笑を表情から消した。
感情全てを漂白してしまったかのような真っ白な表情で、空気を切り裂くように口にする。
「何も問題はないと、私がそう言っているの。それ以上に、必要なものがある?」
その一言で、サンドラは唇を噤んだ。これ以上は踏み込むなという合図だと、そう理解していた。
ならば、サンドラにしてもこれ以上言葉を重ねる気はない。
――『魔性』との関係性は、メイヤ王室と貴族に根深く絡みついている宿痾。一言で言い表せるものでは到底ない。
王室権限者たるリーリヴィエルが問題ないと、そう語るのならば。サンドラが口を出すべき問題ではなかった。
「無論、ございません殿下。また些事ではございますが、ルッツ=バーナーが遠征を完了した後に『勇者』への謁見を求めています。こちらで処理してしまっても?」
サンドラがすぐに話題を変えると、再びリーリヴィエルの頬に笑みが戻る。
くすりと、嘲弄するような表情を王女は見せた。まるで、もはや存在しない主人に会いたがる、馬鹿な飼い犬を見るような顔。
「あら、まだそんな者がいたのね。ええ、良いでしょう。貴方に差配を任せます。それにしても、ルッツとかいう人間――」
リーリヴィエルの横顔には、今は微笑以外の感情が浮かんでいた。
人間の悲哀と感情をよく知りながら、その愚かさを歓喜とする悪意。
頬をつりあげ、目を細め王女が言う。
「――一体、『誰』に会うつもりなのかしら?」




