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王都警備隊・2  作者: 風羽洸海
智慧の守護者
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六章 暗闇に在りて(1)



 結局その日は、ダンの足取りを追って空しく過ぎていった。

 シリルの記憶を頼りに、彼が行ったことのある場所をひとつひとつ捜索していく。酒場などの店、身を潜められそうな路地裏、劇場まで。

 司法学院は時期柄、捜索も隅々まではできなかったが、少なくとも寮内は、倉庫から屋根裏、個人の部屋まで徹底的に捜された。しかし、収穫は皆無。

「つっ……、疲れたあぁぁ」

 日が落ちて捜索が難しくなると、隊員達は夜番を除いてそれぞれ自宅に戻っていった。リーファもまた、誰もいないのに疲れた疲れたと声に出しながら、足を引きずるようにして城へ戻っていく。

 それでも、分担が川さらいでなくて良かったと言うべきだろう。グリフィンの死体が上がったことから、他にも遺留品がないか、もしやダンの死体も沈んではいないかと、かなり広範囲にわたって川底をさらう作業が行われたのだ。

 船の上から竿で延々と川底を突いたり、網でさらったり、時には水に潜りまでして、結局そちらもまったく手掛かりなし。ご愁傷様である。

 城の跳ね橋が上がるぎりぎり前に、リーファはなんとか帰り着くことができた。広い庭を城に向かってよたよた歩きながら、ぶつぶつぼやく。

「もういっそ、本部に泊まり込んだ方が良かったかもな……」

 辺りはどんどん暗くなっていく。淡い紫色だった空も、もう大半が藍色に塗り替えられて、星がちかちかと瞬いていた。

 これ以上、もう一歩も足を動かしたくない。その場に倒れて眠ってしまいたい衝動さえ感じる。とりあえず凍死の心配はない季節だし……。

 気が付くと、植木にもたれかかって眠りかけている。危険だ。

(オレも、フィアナの研究室みたいに、自分の枕と毛布、本部に持ち込んどこうかなぁ)

 ぼんやりそんなことを考えていたリーファは、不意に人の気配に気付き、ハッと振り返った。反射的に身構え、拳を繰り出そうとする。

「うおっと」

 いつの間にか後ろに立っていたのは、蜘蛛だった。リーファは力を抜き、なんだ、とぼやく。一瞬の緊張で、わずかに残っていた気力まで使い果たしてしまった気がする。

「おまえさん、疲れてる時の方が、勘が冴えてんじゃねえか?」

 危ねえ危ねえ、などと蜘蛛がおどけたが、何か言い返す気にもなれなかった。虚ろな半眼で相手を見据えたまま、

「なんでここに?」

 と短く問う。不機嫌極まりない声音に、蜘蛛もにやにや笑いを消して肩を竦めた。

「俺がいつ、どこにいようと、俺の勝手だろ? だがまぁ、おまえさんに知らせとくこともあったんでな」

「知らせ……? 何か、わかったのか」

 眠気を払うように首を振り、リーファは目をしばたたかせる。蜘蛛はちょっと頭を掻き、

「分かったというか、分からなかったというか……」

 曖昧な口調でもぐもぐ言う。リーファは顔をしかめ、眉間を押さえた。

「頼む、簡潔に話してくれ。あと一言でも余計な言葉を聞いたら、寝ちまいそうだ」

「貧民街の方にはダンはいねえぞ」

 ご要望にお応えして、とばかり、蜘蛛はずばりと結論を述べた。

「いないか」

「ああ。おまえさんも予想してるだろうが、あの『生ける死者』はまず間違いなくダンとやらだろう。グリフィンの家からほかに出てった奴は見られていないし、これだけ状況証拠が揃うと、な。グリフィンがダンに例の薬を使ったことは、疑いようがない」

「……そうだな」

 リーファはため息をついた。シリルがいる手前、昼間はあえて口に出せなかった。しかし、グリフィンと同じ日にダンも行方不明になっていると知った時から、嫌な予想は立てていたのだ。少なくともどちらかは死んでいるだろう、と。

 落ち込んだリーファの肩をぽんと叩くと、蜘蛛は淡々と続けた。

「まぁ一応、司法学院の坊ちゃんがいないか、って筋でも捜してはみたがね。腐りかけの死体も、迷子の坊ちゃんも、こっちでは見付からなかった」

「そうか。ありがとう」

 礼を言って、リーファはあくびをもらした。どういたしまして、と蜘蛛はおどけて答え、

「また明日も捜すんだろ。早く寝な」

 城の方に彼女の背中を押し出す。リーファは逆らわずに数歩よろよろと進んでから、振り返った。

「あんたには、ダンの居場所に心当たりがないか?」

「さあねえ」蜘蛛は難しそうな顔をする。「何せ奴は死体だろう。この陽気を考えると、どこか暗くて涼しくて、人目につかない場所に隠れてるんじゃねえか」

「暗くて涼しくて……それって、墓の中だとか言うつもりか?」

 下らない洒落に笑ってやる余裕なんかないぞ、とリーファは目つきを険しくした。

「心外だな。おれが冗談を言うとでも?」

 蜘蛛は大袈裟に驚いて見せたが、その白々しさは、図星ゆえだろう。リーファが片手で顔を覆うと、蜘蛛はごまかすように笑って、じゃあな、と踵を返した。

 庭園の隅の暗がりにその姿が消えると、リーファはがっくりと脱力して、両手を地面についてしまったのだった。

 

 ぴちょん。

 どこかで滴の落ちる音がして、リーファは目を覚ました。もぞもぞと起き上がって、自分がまだ制服を着たままなのに気付く。

(えーと……今はいつだ。ここはどこだ。オレは何をしてたんだ?)

 ぼうっとしたままベッドの上に座り込んでいると、帰り着くなりベッドに倒れ込み、泥のように眠ってしまったことを思い出した。

 衝立に仕切られた向こうで、父親の深い寝息が聞こえる。静かだと思ったら、いつの間にか降りだした細かい雨が、音も立てず窓を洗っていた。時折、木の枝や城の庇にたまった雨滴が落ちて、ぴとん、ぱしゃり、とつぶやく。

 なぜだか妙に目が冴えてしまい、もう一度寝直す気になれなかった。

(どうしようかな)

 迷いながら窓の外を眺めた拍子に、夜の静寂にはそぐわない間の抜けた音が響いた。くるる、きゅるきゅる、と。自分の腹の音に失笑しかけ、リーファは慌てて口をしっかり閉じた。さすがに腹がへっている。どうやらこのままでは、眠れそうにない。

 リーファはそっとベッドから降りて、忍び足で続き部屋の方に出た。勘と手探りとで燭台を見付け、蝋燭に火を灯す。父親が夕食を取っておいてくれなかっただろうか、と期待したのだが、残念ながら女中が片付けてしまったようだった。何もない。

 空っぽのテーブルを眺めて、リーファはため息をついた。

(部屋にも、チーズぐらい置いとかなくちゃだめだな)

 そんなことを言っている間に、結局、本部に自分用の枕と毛布とパンとチーズ、と一揃え備えてしまうんじゃなかろうか。そうしてどんどん仕事中毒になっていくわけだ。なんとなく憮然とそう思い、リーファはがくりと頭を垂れた。

 仕方なく彼女はこそこそと部屋を出て、厨房の方に歩いて行った。

 薄い雨雲の間から、時折月の光が射す。リーファは持っていた蝋燭の火を吹き消した。満月に近いので、蝋燭がなくともこと足りるのだ。そうでなくとも、既に彼女はこの城の構造を隅々まで知り尽くしていたので、今では目隠しをしても目的の部屋にたどり着くことができるほどだった。

 静かな城内を歩いていると、時折、見回りの衛兵の足音や角灯の明かりと出くわす。リーファはつい反射的に物陰に身を潜めるのだが、その癖を可笑しく思いながらも矯正するつもりはなかった。

(勘が鈍っちゃ、困るもんな)

 自分の取り柄といったら、身軽さと隠密行動の技量だけだ。さして頭が良いわけでも、剣や槍に秀でているわけでもない。芸術はとんと解せないし、料理上手でもない。唯一の武器は決して鈍らせないよう、いつも磨いておかなければ。

 そんな風に考えるようになったのも、この国に来て生きることに余裕ができてからだった。リーファは時折、現在と過去の自分を比べてみて、不思議な気分になる。

 貧しく治安の悪い故郷の街で、彼女はいつも盗みの下っ端として使われていた。その頃は、いつか自分の意志で自分だけのために働き――盗み、稼ぎは自分で使う、そうなりたいとばかり考えていた。いつも誰かの顔色を窺ったり、稼ぎを差し出したりするのはもうごめんだ、と。

(余裕ができると、人間、丸くなるってことかねぇ)

 廊下をひたひたと歩きながら、リーファはひとり苦笑した。

 昔と今では、心境も大きく変わった。自分を助けてくれた人々、とりわけシンハには、自分の持てるすべてをなげうっても報いたい、とさえ考えられるようになった。

(昔はオレ、何にも持ってなかったもんな)

 衣服や食べ物、金といったものばかりではない。文字もほとんど読めず、難しいことは何も知らなかった。愛情さえも知らず、彼女の意識する世界は不毛の荒野に等しかったのだ。

 しみじみと物思いに耽っていたリーファは、厨房に着いたことに気が付いて、意識を現在に引き戻した。

「さて、何があるかな……」

 つぶやいて、残り物を求めて中央の調理台に向かう。夜中に腹を空かせた誰かがこっそりやって来た時のために、いつもそこに何かが置いてあるのだ。一度、夜中に盗み食いに入った下働きの少年が、暗い厨房を探検してありとあらゆるものを引っ繰り返してしまったので、また同じことが起こるよりは、と、予防措置がとられるようになったのである。なんともおおらかな話だ。

 夜食はネズミに奪われないよう、大きな蓋付きの鍋に入っていた。

 蓋を取って中を覗き込むと、堅パンとチーズと干しぶどう、といういつもの顔ぶれに加えて、夕食のデザートだったらしい、杏のタルトがあった。ツイてる、とタルトを一切れ取って、蓋を戻す。

 その場で調理台にもたれてかじりつき、リーファはもぐもぐ口を動かしながら、また考え事を始めた。

 こんな風に、腹が空いた時に食べ物がすぐ手に入るほどの恵まれた環境に移れたのは、自分の才覚よりは、幸運に助けられてのことだ。リーファはそう自覚していた。

(誰だって、ちょっとでもいい暮らしをしたいよな。だけど、誰もが幸運に恵まれるわけじゃない。だから学院なんかに通って、しゃかりきに勉強して、出世したがるんだ)

 グリフィンのことが脳裏をよぎった。続いて、ダンのことが。

(でも、ダンはそういう奴じゃなかったかも知れない)

 正義感が強かった、というダン。とすると、彼は収入云々よりも、純粋に秩序の担い手としての職業に憧れて、司法学院の門をくぐったのだろう。そう考えると、今、追われる身となってどこかに潜んでいる彼のことが、哀れに思われてきた。

「暗くて、涼しくて、人目につかない場所……か」

 声に出してつぶやき、リーファは最後のひとかけを口に入れた。

 そんなところに一人で隠れているなど、さぞや心細くみじめに違いない。それが蜘蛛の冗談通りに墓場だったりしたら、なおのこと。

「ん……、墓場……?」

 あっ、とリーファは目をみはった。ダンが訪ねた場所で、まだ捜索していないところがあったのを思い出したのだ。

 大神殿にある王家の墓所だ。

 ダンも何回か、大神殿に参拝したことがあるという。実際、王都に来て大神殿に参拝しない方がおかしい。とすれば当然彼は、王家の墓所も知っているはず。

 街に点在する小神殿の敷地には近隣住民のための墓があり、そちらは普通に、穴を掘って柩を埋めて墓標を立てる、といったものだが、大神殿のものは違う。王家の者は一度土葬にされるが、白骨化した頃に掘り起こされ、洗ったり清めたりの儀式の後で、あらためて墓所に納められるのだ。その墓所は地下に造られた石室で、確かに暗くて涼しくて人目につかない。

「あそこ……どっかから入れたっけ?」

 ふむ、とリーファは唸った。神殿のような場所に、不浄の存在である『生ける死者』などが入れるものだろうか、とも思ったが、もし入れるのだとしたら、絶好の隠れ場所には違いない。

 そう考えると、すぐにも行って確かめたくなった。が。

(ちょっと待て。今から墓場に行くのか?)

 はたと気付いたリーファは自分に問いかけた。

 今は深夜だ。草木が眠り、かわってこの世ならぬものたちが起き出す時間。そのことを思い出すと、さあっと血の気が引く。しかも行き先は墓場。

「出るに決まってんじゃねえかよ……」

 あああどうしよう、とリーファは泣き顔になった。

 怖い。正直に言って、このままベッドに引き返して、毛布を頭から被って全部忘れてしまいたい。だが、自分の仮説を確かめたい気持ちも劣らず強かった。

 何もこんな時間に、それも雨の中を、よりによって墓場になど、行く必要はあるまい。明日になって雨がやんでから、少なくとも日が昇ってからにすれば良い。

 恐怖心が必死になってそう説得しようとするのだが、どうあっても確かめたいという気持ちが、行け、すぐに行け、と急き立てる。

 どうしよう、としばらくその場で悩んだ挙句、リーファはひとつの結論を導き出した。

 王家の人間を、魔除けがわりに連れて行けばいい。いくら幽霊でも、子孫に祟るということはないだろう。

(よし、シンハの奴を連れて行こう)

 ということは、当然ながら彼を叩き起こさねばならないわけだが、その辺を相手がどう思うかは、リーファの考えに入っていなかった。とりあえずこれは『七光り』の利用にはならないよな、などと、どうでもいいところに気を取られている。

 深夜に国王の部屋へこっそり行こうと思ったら、まっとうな手段は選べない。リーファは城に張り巡らされている隠し通路のひとつへと急いだ。


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