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王都警備隊・2  作者: 風羽洸海
智慧の守護者
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五章 囮捜査(1)


 作戦決行前に、リーファは一度フィアナと落ち合う約束をしていた。用心のために、場所は大神殿、リーファも私服である。魔術と学問の神ロスキルの像が目印だった。

 祭壇に供物の花を捧げ、祈るふりをして待っていると、衣擦れの音が背後に近付いてきた。ちらりと視線を向けたリーファは、

「げっ! なんだよそれ!」

 思わず絞り出すような声で呻いてしまった。偽装も台なしである。もっとも、声を上げるなと言う方が無理だった。

「……どなた?」

 顔をベールで隠した貴婦人が、フィアナの声で冷ややかに言う。ベール越しにリーファを見る目付きまでが、汚ならしい庶民のくせに、と露骨に嫌悪をあらわしている。真っ赤な紅を掃いた唇は、傲慢に引き結ばれていた。

 ドレスは地味なデザインだが、緑の布地は極上品で、金糸銀糸の刺繍が細かく施されている。襟や袖、裾には繊細なレース。手袋をはめた手には地味な指輪がひとつきり、だがいかにも値打ち物らしい。ベールの陰になっているが、耳には小さな無色透明の石をあしらったイヤリングが揺れており、時折チラチラと光を反射する。

 それはもう、誰がどこから見ても完璧に、『お忍びと称して地味な格好を装っているつもりの貴族令嬢』だった。

(なりきってるよ、オイ……。いや、そもそもどこで調達したんだ、こんな服)

 冷たい視線になんだか情けなくなりながら、リーファは慌てて「失礼しました」と頭を下げる。フィアナはつんと顔をそらしてそれを無視した。リーファは戸惑って、相手の顔色を窺うようにそこに立ち尽くす。フィアナに苛立たしげな一瞥を投げられてやっと気付き、祭壇の前からどいた。

 フィアナは澄ました態度のまま祭壇の前に膝をつき、供物を捧げる。そうして少し祈りを捧げてから、一言も口をきかずに神殿から出て行ってしまった。

(ああもう、なんだかなぁ)

 苦笑すべきなのか、顔を覆って嘆くべきなのか。複雑な心境で、リーファは再び祭壇の前に跪いた。

 フィアナが置いて行った供物は、無色透明の石がはまった指輪ひとつ。彼女がつけていたイヤリングのものと同じ石だ。

 リーファはわずかに視線を動かして人の気配を確かめると、ごく自然な動作でそれを取った。そのまま立ち上がり、神殿の外に出てから指輪をはめる。まずは普通に人差し指や薬指を試してみた。が、

「……ちくしょう。はまんねえ」

 悔しそうにぼやき、敗北感を味わいながら小指に滑り込ませた。腹が立つほどぴたりと指輪がはまると、リーファの意識にぼんやりとフィアナのいる方向が伝わってきた。

 最初は尾行をつけようという話だったのだが、もし見付かったら計画がおじゃんになるばかりか、フィアナの身に危険が及ぶ。囮捜査の計画を聞いたディナルが大反対し、結局こうして魔術道具に頼ることになったわけだ……が、

(こっちで正解だったな)

 リーファは虚ろな微笑を浮かべ、広場を見渡した。警備隊員の何人かが私服姿であちこちに張り込み、フィアナに接触する者がいないか監視しているのだが、リーファの目にはあまりにもそれが露骨だったのだ。

 警備隊員には、まともな探索技術の持ち主はいないのか。これでは王都の裏側が野放しになるわけだ。

 やれやれと頭を振り、リーファはさも自分の目的がある素振りで、遠回りにフィアナの居所目指して歩きだした。行き先はひとまず、船着き場。そこでフィアナは魚を探すふりをして、向こうが接触してくるのを待つ手筈になっていた。

 リーファがフィアナとは別の道を通って船着き場に出ると、ちょうど川下の方で彼女が見知らぬ男と何かやりとりしているところだった。

 フィアナの演技は見事なもので、遠目に見ているとリーファでさえ、こんな所に貴族のお嬢さんが何しに来てるんだ、と考えそうになるほどだった。男はフィアナの身なりを計算高い目でじろじろと観察しながら、下卑た笑いを浮かべて何やら迫っている。

 対するフィアナはいかにも嫌そうに、そしてあくまで高慢にふるまっていた。自分が何かを求めて来ているのではなく、この自分の役に立つ機会を与えてやっているのだ、と言わんばかりに。

 魚を売り買いしている普通の漁師や市民が、なんだありゃ、という顔でそちらを見やっては、肩を竦めている。この界隈に貴族がまったく来ないわけではないが、来るとたいてい厄介事を引き起こしてくれるので、近くにいた何人かはそそくさと場所を変えたりして遠ざかった。

 リーファはちらりと騒ぎの前兆を見やっただけで、興味なさげに魚の樽や木箱の間を歩き続けた。視界の隅に捉えたフィアナの姿が、男に連れられて狭い路地に消える。リーファは素早く、だがあまり急がずに、後を追った。

 相手の姿が見えなくても、焦ることはない。物音に耳を澄ませ、意識のなかで明滅するぼんやりした光に集中すれば、居場所はすぐにわかった。

 男が入って行った辺りは、道も舗装されておらず、家が隘路に身を乗り出すようにして並んでいた。グリフィンの下宿屋のある辺りよりも、さらに胡散臭くて貧しい地域だ。家の窓には当然ガラスなどなく、道には雨が穿った穴がそこかしこにあり、おざなりに板切れを渡してある。

(この辺りまでは、さすがに警備隊や蜘蛛の手も届いてないんだな)

 初めて来る界隈を、勝手知ったる場所のように歩きながら、リーファは油断なく周囲に気を配った。

 同じ貧民街でも大通りに近い方はまだマシだ。そう痛感するほど、そこは酷かった。あっちなら、貧しいなりに人々は『働いて』いる。建物の前で座っているだけに見える者でも、物乞いであったり、機を窺うスリであったりするのだが、ここは、それすらもなかった。

 道端にたまったゴミとなんら変わりのない存在であるかのように、虚ろな目をして、ただ呆然と座り込んでいるだけの人間たち。男も女も、子供もいる。病に冒された者、酒に溺れた者、ぶつぶつとつぶやき続ける気のふれた者。

 リーファが見て育ったものと同じ光景が、ここにはあった。

(見捨てられた場所なんだ)

 何者にもなれず、何物も持たず、何もできず、どこにも行けず。そうした者が、望むと望まざるとにかかわらず流されてくる、吹きだまり。腐り、死にゆくもののための場所。

(駄目だ、今はそんなこと考えてる場合じゃないだろ)

 昔の記憶がやるせない思いと共によみがえるのを、辛うじておさえる。今は仕事に集中しなければ。フィアナの安全が、自分の肩にかかっているのだから。

 リーファは足音を立てないように歩き続け、ややあって、ひとつの建物の前で足を止めた。狭い路地に身を滑り込ませ、裏手に回る。ぐるりと一周したが、窓はどれも厚い板でふさがれており、出入り口はどうやら、表の扉一箇所きりのようだ。

(まずいな)

 リーファは唇を噛んだ。この中にフィアナがいるのはわかっている。だが、踏み込むにも正面からしか入れなければ、フィアナを盾にされる恐れもある。

(上は……)

 二階か、あるいは煙突からでも入れないだろうか。そう考えて建物を見上げ、リーファは目を丸くした。

 屋根の上から、蜘蛛が手を振っている。それは良いのだ。蜘蛛ならば気付かれる心配はないから、フィアナをリーファが、そしてリーファを蜘蛛が尾行して、他の警備隊員に密売者の根城を知らせる手筈になっていたから。

 問題は、その隣にいる髭面の男。

(確かこの辺りって、三班の管轄とは違ったよな……?)

 なんでいるんだ。

 胡散臭げに顔をしかめたリーファに、ゼクスと蜘蛛は身振りだけで、自分たちが上から入る、と知らせた。二階の窓はひとつ。だが、開け放たれている。

 リーファはうなずくと、表に戻ろうとして、

「フロブを使えば、人を意のままにできるのでしょう?」

 締め切られた窓のそばで立ち止まった。フィアナの声だ。近くに立っているらしい。リーファにフィアナの居所がわかるように、フィアナにもリーファが感じられているのだろう。話を聞かせようとしているのかも知れない。

 窓枠に打ち付けられた板の間から、フィアナの声が細く漏れてくる。

「あら、わたくしも少しは調べたのよ。フロブの毒は、ごくわずかの量で人を死に至らしめる……けれど、使いようによっては相手の正気を失わせ、己が言葉に従わせることが出来るようになる、って」

 くすくすと危険な笑い声を立てるフィアナ。恋に狂った女にふさわしい。

 男の声が何か言ったが、窓からは遠いらしく、リーファには聞き取れなかった。

「……知らない? 自分が売るもののことなのに、知らないはずがないでしょう。あなたが教えてくれないのだったら、あの人に使う前に、誰かで試してみなくてはね」

 また、ぼそぼそと男の声。

「随分と親切だこと。でも、わたくしに出来ないと思っているのなら、それは間違いよ。さあ、早く出しなさい」

 フィアナが冷たく命じる。と、今度は複数の男たちがやりとりするのが聞こえた。

(何人いるんだ?)

 最初にフィアナを案内した男だけではなかったのか。

 リーファが眉を寄せたその時、別の声が鋭く言った。

「待て。表の様子がおかしい」

 屋内の空気がピンと緊張したのが、外のリーファにも感じ取れた。

 足音。扉をほんの少し開けたきしみ。誰かが外の様子を覗き見たらしい。

「くそッ、ありゃ警備隊長じゃねえか! ぞろぞろ連れて来やがった」

 バン、と扉を閉め、閂をかける物音がガタガタと響く。

 リーファも路地から通りの方を見て、顔をしかめた。この建物を包囲するつもりか、ディナルが部下を率いて走って来るところだった。私服ではあったが、さすがに警備隊長となると顔を知られているし、これだけの人数になるとごまかしがきかない。

(ああもう、囲み終わるまで気付かれないようにしてくれよ)

 いくら娘が心配だからって、あんなに堂々と正面から来ることはないだろう。リーファは頭を抱えたくなった。

「さてはてめえのせいか、このアマ!」

 中で男の怒鳴り声がして、リーファが耳をそばだてている窓の板が、ダンッと揺れた。フィアナに掴みかかったのか。リーファが舌打ちすると同時に、フィアナが笑い声を立てた。

「私のせいか、ですって?」

 声も口調も、いつもの彼女だ。余裕たっぷりなところは、演技している時と変わらないが。

「それは違うわね」

 鼻で笑い、小声で早口に何か唱える。リーファは嫌な予感がして、さっと窓の下に身を沈めた。

「こういうのはね、自業自得というのよ!」

 高らかに言う声と同時に、板の隙間から閃光が漏れ、

「ぐあぁっ!」

 男の悲鳴に続いて爆風が窓を吹き飛ばした。轟音と共に、板と窓枠は壁ごと無数のかけらとなって飛び散り、向かいの建物に当たって霰のように弾ける。リーファはうずくまって両腕で頭と顔を庇った。

 爆発を合図に、わっ、と表で喚声が上がり、警備隊員が戸口に押しかける。

「姉さん!」

 呼ぶ声で反射的にリーは立ち上がり、窓のあった場所から中へ飛び込んだ。リーファが剣を抜くと同時に、フィアナが背後に逃げ込む。彼女を狙っていた斧が、リーファの剣に弾かれて悲鳴を上げた。

「やッ!」

 斧を持つ手を、リーファの爪先が蹴り上げる。斧が飛び、反対側の壁に突き刺さった。正面の扉は警備隊員の体当たりで、たわんで今にも破られそうだ。

「くそっ、上だ! 一旦引け!」

 密売人の一人が指示を出す。その時にはリーファも、中にいるのが五人の男だと見て取る事が出来た。その内の一人は、フィアナに吹っ飛ばされて床にのびている。

 一番奥にいた一人が階段に駆け寄った。が、それを待っていたかのように、二階の窓から蜘蛛とゼクスが飛び込んだ。ダ、ダン、と靴音が上から響き、密売人たちはぎょっと天井を見上げる。

(そうか、なるほどな)

 リーファはディナルの考えがわかり、舌を巻いた。階上のある建物に立てこもっている敵は、一階から突入されるとひとまず上に逃げて反撃態勢を整える。そうなると、下から攻め込むのは不利だし、何より、屋根伝いに逃げられかねない。

(だから先に、屋根に上がらせたのか。それから自分が正面で敵の注意を引き付けた……)

 やはり、伊達に警備隊長をしているのではないらしい。

「上からも来やがった!」

 階段を上がりかけていた男が、取り乱し、泣きそうな声を上げて、仲間を見る。密売人たちはほんの束の間、顔を見合わせた。

 無言の相談で即座に結論を出し、意識のある四人の男は、いっせいにリーファとフィアナめがけて襲いかかってきた。ここが一番手薄で、逃げやすい。そう踏んだのだ。

 残念、計算違いだよ。リーファはにっと口の端を吊り上げる。

「フィアナ、さぼんなよ!」

 言うと同時に、リーファは一人目の剣をわざと際どいところでかわし、左手で相手の手首を捕らえた。同時に右手を剣から離して、相手の腕を抱え込むようにガッと押さえ、肘の関節をきめる。

「ぎゃあぁぁッ!」

 ゴキッ、と音がして、男が悲鳴を上げた。次の瞬間リーファは男の腕を離し、パッと右に転がって、新手の斬撃をかわす。一回転して起き上がった時には、さっき床に落とした自分の剣を拾い上げていた。

 フィアナの方は、もう少し苦戦していた。リーファがすぐそばにいるため、思うように魔法が使えないのだ。どのみち、長い呪文を唱える余裕もないため、ごく短い呪文でちまちまと時間稼ぎをするしかない。

「来れ、ドゥーマの炎」

 自分に向かって来た二人の男を指して、一言唱える。途端に男たちの袖口や腕など、目につきやすい場所に小さな炎がともり、燃え上がった。

「うわわッ、わあっ!?」

 男たちは慌てて火を叩き、乱闘そっちのけで消火活動を始める。彼らを焼き殺すわけにはいかないので、フィアナはそれ以上火勢を強めはせず、別の呪文を唱えた。

「あッ、くそ!」

 服の火を消した途端、目の前が真っ暗になり、二人の男はその場によろけて膝をつく。一時的に視力を奪われてしまったのだ。

「ちくしょう、このっ! そこか!」

 闇雲に剣を振り回すが、当たる筈もない。見えねえ、ちくしょう、と呪詛の言葉を吐きながらあらぬ方向に突進し、家具にぶつかったり、床にけつまずいたりして倒れる。

 仲間が皆やられたのを見ると、リーと対峙していた最後の一人は、剣を捨てて両手を肩の辺りまで上げた。

「ま、待ってくれ、この通りだ」

 あっけなく降参したので、リーファは拍子抜けして肩の力を抜く。と、そのわずかな隙に、男はリーファとフィアナの間をだっと駆け抜けた。

「あっ、こら待て!」

 しまった、とリーファは手を伸ばす。間に合わない。男は壊れた窓から外に飛び出した。

 ――が。

 上から黒い塊がドスン落ちて来て、気の毒に、うまく逃れたと思った男は押し潰されてしまった。

「詰めが甘いぞ」

 昏倒した男の上に乗っかったまま、ゼクスがリーファを指さし、偉そうにふんぞりかえる。唖然としているリーの背後で、扉が破られ、どっと警備隊員がなだれ込んできた。まだ目が見えずに逃げ道を探していた二人の男は、瞬く間に捕らえられる。

「無事か、フィアナ!」

 ディナルが愛娘に駆け寄った。リーはそれを横目に見ながら、「遅ェよ」と小声で毒づいたが、相手の耳には入らなかったようだ。フィアナは小さく苦笑すると、腕を折られた男を見下ろして言った。

「私の心配より先に、そこの人をちゃんと捕まえた方が良くない?」

「む……おい貴様、何をしとる!」

 とっとと縛り上げんか、とディナルに言われ、リーファは憮然とした。

 他の隊員に男を押さえてもらいながら、折った腕の応急処置をしてやる。幸いと言うか、フィアナが吹き飛ばした窓枠が、副え木になった。

「うまいもんだな」

 ゼクスが上からのぞき込んで褒める。

「そりゃどうも」

 あまり嬉しくなさそうにリーファは答え、はたと気付いて小声で「蜘蛛は?」と問うた。ゼクスも声を潜め、引き揚げた、と短く答える。立場上、おおっぴらに警備隊員と仲良くするわけにはいかないのだろう。

 リーファはうなずくと、男の身柄を他の隊員に任せて立ち上がった。

「それで、なんで六番隊のあんたがここにいるんだ? この辺りは二番隊の管轄だろ」

「わしが呼んだ」

 答えたのはディナルだった。

「探索だの隠密だのに関しては、貴様以外で使い物になるのは、六番隊三班の者だけだからな。まさか班長自ら来るとは思わなんだが。そんなことより、リーファ、上司に対してその言葉遣いはなんだ!」

「うえ!? 上司、って、まさか本当にこいつ……いや、三班に配属ってんじゃ……」

 リーファは思わず奇声を発した。途端に、「ばかもん!」と怒声が飛ぶ。

「直属だろうとなかろうと、貴様より位が上であることに変わりはなかろうが! ちょっとは自分の立場というものを自覚せんか、このたわけ!」

「まあまあ、隊長、俺は構いませんよ。リーは実際あなたの姪だし、国王陛下とも親しいようですからね。いや、俺なんかとても畏れ多くて」

 にやにやしながらゼクスが割りこんだ。とりなしと言うより、むしろ単に皮肉だろう。リーファは忌々しげに唸った。ディナルも渋い顔をする。問題児との縁戚関係を指摘されるのは不愉快らしい。

 ゼクスは二人の嫌そうな顔を眺めて悦に入った表情を見せ、「さて」と肩を竦めた。

「誰か、こいつらを締め上げたい人は?」


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