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王都警備隊・2  作者: 風羽洸海
智慧の守護者
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四章 蜘蛛(1)


「おっ、いい匂い」

 城の厨房に戻ると、リーファは鼻をひくつかせた。焼きたてのパイか何かの香ばしい匂いが満ちていて、空きっ腹を刺激する。

 普段の昼食は、誰もが至って簡素なもので済ませていた。一昔前は一日二食だったので、今でも昼食は「ちょっと休憩して軽くつまむ」程度のものでしかない。もちろん、貴族や富豪は別として。

 庶民のリーファは当然、豪勢な昼食には祝祭を除いて縁がない。この匂いは耐え難い誘惑だった。今にもよだれを垂らさんばかりの顔で、焼き窯の方にふらふらと吸い寄せられて行く。

 もう少しで手が届く、というところで、残念ながら襟首をむんずと掴まれた。

「こら、そこのはまだ焼けてないぞ」

「なんだよ、けち」

 まだエプロン姿の国王を振り返って、リーファは恨めしげな上目遣いになる。シンハは呆れ顔を見せ、リーファの襟首を離した。

「おまえの分は、食堂の方にちゃんと用意してある」

「食堂? まさか、広間のじゃないよな」

 広間、というのは祝宴や大規模な晩餐会用の部屋だ。普段は使われず、別のこじんまりした食堂が利用される。先王夫妻や現国王、城に住む何人かの親しい者が集っての食事は、家族のだんらんといった雰囲気だ。リーファも何回か相伴したことがあるぐらいだからして、いかに気楽な席かが分かるだろう。

「馬鹿。いつもの所に決まってるだろう。いくら鬱憤がたまったからって、昼間からあのだだっ広いテーブルを埋め尽くすほど料理を作ったりは……おっと」

 言っている途中でシンハは窯の中を覗き、火を落とした。これで良し、とつぶやいてエプロンを外し、リーファを促して厨房から出る。

「食べ終わる頃にはいい具合に焼けてるだろう。フィアナに持って行ってやるといい。食べ物の差し入れを欲しがるぐらいだ、きっとしばらく家に帰ってないんだろう」

「うん、そう言ってたよ。ありがとな、シンハ」

 リーファは満面の笑顔で礼を言う。彼の作る料理が美味だから、というそれだけではない。自分の義従妹のことまで気にかけてくれているのが、嬉しかったのだ。

 食堂では、様々な料理がほやほやと湯気を立てて待っていた。豆のスープや、かぼちゃとベーコンのキッシュ、ますの蒸し焼き。どれもリーファが好きな風味に仕上げてある。

「こういう芸の細かさが嬉しいんだよなー。こうやって一人でなんでも出来ちまうから、いまだに嫁さんが来てくれないんだろ」

 リーファが鱒の身を取りながらからかうと、向かいの席からシンハが「うるさい」と、調味料の小瓶を投げて来た。反射的にそれを受け止めたリーファは、あれっ、と目を丸くする。

「これって……ソマグ?」

 大陸の中央から西方で主に使われる調味料で、この地方にはほとんど流通していない。リーファにとっては馴染んだ味だが、東方人には多少、奇異に感じられるらしい。少し甘酸っぱい、穏やかな刺激の香辛料だ。

「船着き場へ魚を仕入れに行った時に見付けてな。ついでに少し買っておいたんだ」

「へえ、こんなもんまで売ってるのか。あの辺はまだ、本格的に入り込んだことがないからなぁ。そろそろ探検に行こうかな」

 早速ソマグを鱒に振りかけながら、リーファは興味津々と言った。

 商館の立ち並ぶ区画に接して、シャーディン川の船着き場があるのだが、そこには各地から運ばれてきた商品が荷揚げされる。食品から織物、酒、その他いろいろ。大きな船が着くと、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。

 少し下流に行くと、同じ船着き場でも漁師達のなわばりになり、川でとれる魚や、ずっと南の海から運ばれる塩乾ものが並ぶ。

 多くの商品が取引され、あちこちから人がやって来る場所だけに、揉め事もしょっちゅう起こる。だからリーファも、言葉が不自由な内は避けた方が賢明だと判断し、あまり深入りしていなかった。

 船着き場の様子を思い出していたリーファは、そこではたと気が付いた。

「……魚を見に行って、なんで調味料? これはどっちかってえと、商船の荷だろ」

 いや待て。商船の積み荷だとしたら、その場で少量を売ってくれるとは思えない。商人同士の取引の場なのだから。リーファは食べる手を止めて、胡散臭げな目つきになった。

「おまえ、これ、どこで買ったんだよ?」

 シンハはとぼけて明後日の方を向いていたが、じきに苦笑して答えた。

「いろいろと珍しいものを仕入れてくれる店があってな。そう警戒するなよ、性質の悪いものは扱わない店なんだ」

「……ならいいけど。だけど、そういう良心的なとこばかりでもないんだろ」

 不満顔のまま、リーファはキッシュをもぐもぐと頬ばる。貧民街育ちの身にしてみれば、水面下の物流がすべて悪だというのでもない。ただ、厄介なものに関しては別だ。国家が腰を上げるほど希少価値が高いもの、怪しげな『不老不死の薬』だの『媚薬』だの、悪魔を呼び出す指輪だの。

 そうしたものは、ただ貧しいだけの善良な住人までも騒動に巻き込んでくれるため、貧民街でも暗黙のうちに扱いが禁じられていたりした。それでも、得られる見返りが桁違いなのだから、密かに売買する者は後を絶たない。

 この王都でも、状況は似たようなものなのか。少しがっかりしたリーファに、シンハは慰めるような口調で言った。

「警備隊がこまめに様子を見てくれているからな、今のところ極端に厄介なものが持ち込まれてはいないだろう。俺も時々、あの辺りは裏道まで歩いてるし」

「おまえは見回りなんかしなくていいんだよ」

 馬鹿、とリーファは苦笑いした。一人で危険なところをウロつく国王のせいで、秘書官の胃痛は治癒する暇が無いのだ。

 シンハは聞こえなかったふりで、白々しく言葉を続けた。

「ここしばらくは、貧民街の方も蜘蛛とかいう男が仕切ってるらしい。おかげで警備隊も仕事が楽になったと言っている。まあ、そうして油断している間に、何か見落としている可能性も、なきにしもあらずだがな」

「そいつ!」

 シンハが出した名前に、リーファは思わず声を上げた。フォークで指され、シンハは変な顔で後ろを振り返った。

「どいつだ」

「蜘蛛だよ、蜘蛛」

 勢い込んだあまりむせかけて、リーファは急いで水を飲む。その間もシンハは、壁に蜘蛛がいるのかと探すように、首を巡らせている。いささか白々しいほど勘違いした反応を示す相手に、リーはまた、馬鹿、と悪態を投げ付けた。

「貧民街にいるっていう、蜘蛛って奴だよ。シンハ、知ってるのか?」

「ああ、そっちの蜘蛛か。いや、俺もディナルから話を聞いただけだからな。会ったことはない。もしかしたら、会っているのに気付いていないだけかも知れんが。そいつに用でもあるのか?」

「用っていうか……ちょっと、今やってる仕事のことでね。いろいろ訊きたいことがあってさ。貧民街で起こったことなら、そいつに訊けば一番早いって話だから」

 あやうく事件のことを話してしまいかけ、リーファは曖昧な言い方でごまかした。シンハは片眉を上げ、疑問符がわりにする。その問いかけるまなざしに耐えられず、リーファはもごもごと言った。

「ほら、今朝言ってたろ? 学院に出てこない奴を捜してる、って。それが実は、他にもあの辺で行方不明になったのがいてさ。まとめてオレの仕事にされたんだよ」

「ディナルはろくな仕事を回してくれない、とか言ってなかったか?」

「……六番隊三班の班長に、情報よこせって言ったら、本部に報告がいっちまったの」

 渋々リーファが白状すると、シンハは片手で顔を覆った。

「仕事熱心は結構だが、あんまり無茶はせんでくれよ」

「誰も無茶なんかしてねえよ」

 さすがにリーファはムッとして言い返した。

「いつまでも子供扱いすんなよ。オレだって少しはマシになったんだ。何から何まで、おまえに面倒見てもらわなくたって……」

「そうだな。悪かった」

 シンハは苦笑して抗議を遮った。分かってる、と言うような表情で。

 リーファは照れ臭くなって、ごまかすように器に盛られた果物に手を伸ばした。みずみずしい杏だ。今年最初の収穫分かも知れない。かじりつきかけて思い直し、ふたつみっつ、ダブレットのポケットに放りこむと席を立った。

「ごちそうさま」

「もう行くのか? ちょっと待ってろ」

 シンハも立ち上がり、厨房の方に戻っていく。その後ろを歩きながら、リーファは広い背中を見つめた。初めて出会った時から、彼女の背も随分伸びた。昔は痩せてちっぽけで、男か女かも分からないほどだったけれど、今は違う。

(女らしくなったなんて思っちゃいねえし、そんな風に見られたくもないけど)

 けれど、せめて一人前に見られたかった。この背中に守られるばかりでない、並んで立つことができるように。だからこそ、今度の件は自力で解決したかった。

 もちろん、一人で何もかも片付けられるとは、考えていない。警備隊の面々と協力して、国王の『七光り』に頼らなくてもきちんと仕事をこなすことが出来る、と、そう証明できれば――。

「リー?」

 声をかけられ、ハッと物思いから醒める。シンハが怪訝な顔で、布巾にくるんだ何かを差し出していた。

「あ、ごめん。えっと、これ、フィアナに持ってっていいんだな?」

「ああ。キッシュが入っている。冷めてもまずくならないからな」

 ありがとう、と礼を言って受け取り、リーファは手提げ袋か何かを探して厨房を見回した。ポーチには聖水が入ってるし、そうでなくとも食べ物を突っ込めるほどの容量はないし……と、そう考えて、ふと思い出す。

「そうそう。神殿のレア大神官とかいう人が、たまには墓参りに来いって言ってたよ」

「大神官が?」

 シンハは何とも言い難い複雑な顔をする。リーファはきょとんとした。

「あのおばさん、苦手なのか?」

「まあ……昔から、あの人にはかなわないからな」

 困ったような照れたような顔で、シンハはちょっと頭を掻く。リーファはつい失笑した。

「おまえでも苦手なもんがあるんだな」

「言っとくが、その中にはおまえも入ってるんだぞ」

 シンハは苦虫を二、三匹噛み潰して唸る。リーファはおどけて肩を竦め、結局キッシュの包みは手に持ったまま、とっとと逃げ出した。

「それじゃ、たっぷり気晴らしも出来たこったし、あとはお仕事頑張れよ!」

 意地悪くからかったリーファに、シンハはただ苦笑いで手を上げて見せた。


 城から魔法学院までは、裏道を通ればすぐだ。が、リーファはあえて中央通りを下って広場に出てから、北西に向かう大通りに曲がって学院へ向かった。

(こんなもん持って、あの死人に出くわしたかねえもんな)

 まだ温かい包みを持ち直し、学院の門をくぐる。受付でフィアナの居場所を訊くと、今は図書館にいるということだった。

(……さすがに、図書館にこれはまずいか)

 いい匂いの漂う包みを見下ろし、リーファは口をへの字に曲げた。王立図書館もそうだが、館内は飲食が禁止されているのだ。食べかすが元になってネズミや虫が増えると、蔵書にも危険が及ぶので、当然の用心である。

 研究室の方で待たせてもらうことにして、リーファは勝手に学内を歩いて行った。実験室には他の学生がいて何やら動き回っていたが、机のある部屋には幸い誰もいなかった。リーファは遠慮なく入室し、フィアナの椅子に腰を下ろす。

 キッシュの包みを机に置き、ポケットから出した杏も一緒に並べる。ころりと転がった杏がひとつ、小さな紙片に乗ってカサカサ音を立てた。見ると、フィアナの字で細かい書き込みがされている。

「へえ……早速あれこれ調べてるんだな」

 どれどれ。走り書きの内容を眺め、リーファは眉を寄せた。専門用語が多くて、ほとんど意味がわからない。だがところどころ理解できる単語は、不吉なものばかりだった。

 罪人。死、毒、儀式……罰。

(いったい何なんだ?)

 ほかに何かないか、と机の上をあさる。と、一冊置き去りにされている本があった。

「呪術における毒、か」

 あの『死者の埋葬とその周辺について』とかいう本の燃え残りと、この本にどんな接点があるのだろう。実のところ薄々その答えはわかっていたが、リーファにとっては、あまり考えたくない内容だった。

(まさか)

 暗い路地で襲ってきた、生ける死者。彼が本を燃やし、その燃え残りを奪おうとした。

(なぜ? そこに書かれている内容を、他人に知られたくなかったのか)

 だとすると、彼には自分の意志が残っているのだろうか。いろいろな断片が、ぐるぐる渦巻きながらぼんやりとひとつの形にまとまろうとしているのを感じる。

 じっと考え込んでいたリーファは、フィアナが戻ってきたのに気付かなかった。

「姉さん、もう来てたの?」

 驚きの声で我に返り、リーファは顔を上げた。図書館の本を何冊か抱えたフィアナが立っている。その顔を見れば、昨日から眠っていないと一目でわかった。

「ちょっと早いかと思ったんだけど、時間が半端でね。約束した通り、食い物をせしめてきたよ。シンハの奴がまた鬱憤晴らしに厨房を荒らし回ってたから、ついでに作らせたんだ。冷めても美味いってさ」

 席を立って本来の主に譲り、机の上の包みを指し示す。フィアナは嬉しそうに微笑んで椅子に沈み込んだ。

「助かったわ、ありがとう。陛下にも、お礼を伝えておいてね。何かその内にお返しをしなくちゃ……」

 言いながら、ごしごしと目をこする。眠そうだ。リーファは眉をひそめた。

「大丈夫か? そんなに大変なことなら、言ってくれれば何か手伝ったのに」

「平気よ、このぐらい慣れてるわ。差し入れももらったし」

 フィアナは笑って見せ、持ってきた本の一冊を開いた。

「それより、戦果を知りたくない?」

「もちろん」

 リーファは即答して別の椅子を引っ張り寄せ、近くに座った。フィアナは本を膝に乗せ、リーファに見えるように向きを変える。

「ここ、読んでみて。……分かる?」

 白い指先が示した段落を目で追い、リーファは声に出して読み上げた。

「フロブ、時にフォルブとも呼ばれるこの魚は、特にはらわたに猛毒を蓄えているため、調理が困難で食用には適さない。だがフウェル自治都市連合の海岸地方では、この魚をある儀式に利用するとの記録がある。それは罪人に対する死刑の中でも、最も重い罰としてその者を『生ける死者』にするという……」

 そこまで読んで、口をつぐむ。息が詰まりそうに重苦しい沈黙が、二人の間を埋めた。

「……やっぱりか」

 ややあって、リーファは深いため息をついた。


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