第五十二話 騎士の先生⑤
剣と剣がぶつかり合う。
雨粒がその衝撃で辺り一面から吹き飛ばされ、雨中だというのに半球状の雨のない空間が生成される。
その空間の中、剣と剣をぶつけ合い対峙する騎士と少女、ドンキホーテとネクスはそのまま剣の打ち合いへと移行する。
ネクスは目の前の男を屠るために、ドンキホーテは守るべき生徒を傷つけないために。
振るう理由が違う二つの剣が再び混じり合う。
当然、ネクスの屠る為の斬撃は容赦がなくそして威力は桁違いだ。
一方、ドンキホーテは防戦に追いやられていく。
しかし彼の顔には笑みが映っていた。
余裕の笑みなのか、それとも、絶望的な状況下でもはや笑うしかないのか。
そのどれもが違った、ただ彼は取り繕っていた。
まだ片隅にあるネクスの意識呼びかけるため、そして同時に不安を感じさせないために、ただそれだけのために。
「ネクス! どうした! 授業の時より弱くなったんじゃないのか!」
笑みを浮かべながら剣を振るうドンキホーテ。
その一撃も簡単にネクスの剣によって払い除けられる。
しかしドンキホーテは諦めない、払いのけられた斬撃をすぐさま修正し、次の攻撃を放つ。
そうして剣と剣は幾重にも重なっていった。
斬撃と斬撃が混じり合う。他者から見れば両者の剣など見分けがつかないだろう。
その嵐の様な剣戟の中、ドンキホーテはネクスの剣の軌道をただ見つめていた。
たとえ、姿が多少なりとも変わろうとも基となるのは四肢のある人間の動き。
背中の夜空の翼から何か異常な力が溢れていることは察せられるものの、ネクスは己の剣技をベースに剣を振るっている。
力も速度も上がっている、殺意も乗っている分、無駄がない。
しかしその剣は指導している中、すでに見たもの。
それに気づけたなら、ドンキホーテのやることは一つだけだった。
ネクスが剣を上段から振り下ろす。
それをドンキホーテは剣で受け止めると同時に右へ反らす。
(ほら、こうしてやれば……)
ネクスはすぐさま剣の体勢を元に戻し、
(こい……!)
薙ぎ払いを放った。
これを待っていた。
癖だ。
ネクス特有の剣の振るい方、決まった必勝のメソッドといってもいい。
このメソッドの返し方は飽きるほどネクスとの稽古でやってきた。
「ネクス! 少しチクっとするぞ!!」
ドンキホーテは剣を手放した。
そしてネクスの剣を持つ右腕をがしりと掴む。
「フォデュメ!! No.7だ!!」
「あいよ!」
帽子の妖精のフォデュメが魔女帽のトンガリの部分から鎖つきの十字の杭を吐き出す。
それをドンキホーテは左手で受け取ると叫んだ。
「聖鎖封印!!」
その一言ともに、詠唱は完了した。ネクスの腹にドンキホーテはその十字の杭を突き刺す。
「ネクス!!」
ドンキホーテの背後からリリベルの悲痛な声が響く。
だがドンキホーテはその声には応えない。
ネクスの刺された腹部からは血など流れてはいない。
それどころから外傷も見られない。
そして、次の瞬間ネクスの腹部の杭が刺さっている箇所からまるで、生き物の様に光り輝く鎖が這い出し、ネクスの体を縛り付けていった。
やがてそれは夜空の様な翼でさえも縛り付けネクスの動きを完全に封じた。
「封印、完了」
ドンキホーテのその言葉と共に鎖は光り輝くのやめた、まるで自らの役目は終わったと言わんばかりに。
─────────────
暗い、灯りをつけなくては──。
第一にネクスはそう考えた。しかしその暗闇は己の瞼が視界に落とし込んだものだとネクスは気がつくと、すぐさま目を開けた。
「珍しいな、ネクス。昼寝か?」
傍から声がする。
聞いたことのある、いや聞きたかった声。
だがありえない、そんなことは。
草むら、否、芝生の上でネクスは声のする方へと顔を向ける。
長い金髪を三つ編みにし、白のシャツと黒のズボンを来た美丈夫がヒスイの双眸をネクスに向ける。
「兄……さん……?」
「そうだぞ兄さんだ! 邪魔したかな?」
ありえないと叫ぶよりもネクスは兄に、クレイス・スノウに抱きついた。
「おわ、どうした? びっくりした!」
「兄さん!! 兄さん……!!」
ネクスと、クレイスの二人は異母兄妹である。
ネクスは正妻の、クレイスは妾の子であった。
「ネクス? はは、どうした! 泣いているのか?」
本来ならば、運命など交わるはずのない二人の正妻の子と妾の子。
だが、ネクスにとってクレイスは特別な存在だった。
「ネクス……本当にどうした? 何かまた母様に嫌なことを言われたか? 大丈夫だ!」
そう誰よりも特別だった。
「ネクス、我が妹。お前は私を超える騎士になれるさ! 絶対にな」
にへへと笑う、兄の顔が眩しい。
そうクレイスはネクスの夢を唯一肯定してくれる家族だったのだ。
そしてもはや、この笑顔を見ることはないと思っていた。
「そうだ、ネクス。今週、日の出の湖でもどうだ? 兄さん最後に──」
嫌だ。
「戦争に行く前に色々とお前と話しておきたい」
嫌だ、たとえ夢でもまた思い出したくない。
「ああ、もしかして心配してくれているのか? 大丈夫だ!」
思い出したくないだって──。
「また、何回だって湖くらい見れるさ。兄さんはお前と一緒に騎士団で働くまで死ぬ気はないからな!」
私は貴方の隣に立てなかった。
勇者歴2099年12の月、世界大戦と呼ばれる戦いが勃発した。
一年続いたその戦いで、クレイスは帰ってこなかった。
帰ってきたのは彼の得物の刀だけ。
肉体すら見つけられなかったのだという。
弔いと、クレイスの悲報を知らせに来た戦友の騎士の話を処理できず、ベットで泣いたのをネクスは今でも覚えている。
もう、終戦から4年はたった。
兄はいない。ネクスはそれでも──。
『壊せ』
あれ──。
『壊せ』
なんで──。
『穢せ』
私なんで騎士になりたかったんだっけ。
───────────────
「先生!」
「いやいや! リリベルまだ危ないかも!」
制止しようとする、ミケッシュを引きずる様にリリベルがドンキホーテに近づく。
その様子を見て、ドンキホーテはフッと笑う。
終わった、ネクスの力も動きも封じた。あとはネクスを支配するこの破壊的な力から解放するだけだ。
「……先生……」
ドンキホーテはそう思っていた、聞こえるはずのない声が聞こえるまでは。
「教えてよ」
馬鹿な、そんな声をドンキホーテが発する前に声の主、ネクスは鎖を身じろぎ一つせず弾き飛ばした。
「ネクス……!?」
思わず立ち止まるリリベルと震えるミケッシュ。
「二人とも下がれ!!」
そしてドンキホーテの言葉と共にネクスを中心として衝撃が大地を走る。
光を伴ったその全方位の衝撃はまずドンキホーテを吹き飛ばし、次にリリベルとミケッシュの背を地面につけさせた。
「ぐっ!」
急いで、体勢を立て直すドンキホーテ。
顔を上げるとそこにいたのは、
「教えてよ先生、青い空が見えない時、泥濘の中に肉親が飲まれた時……世界を愛せなくなった時……私はどうすれば良いの?」
ただ悲しそうに自分を見つめる、生徒の姿だった。
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