361話 エージェントの長い1日⑰
『···血?』
絨毯に広がる赤い染みが、視界に入った。脇腹から、鈍い痛みと熱を感じる。
ゆっくりと、腕を動かす。
その手に触れたのは、左脇腹に深々と突き刺ささった短剣。視点を動かすと、最初に倒した男が、膝立ちでこちらを見ながら唇を歪めていた。
『これまで···なのか···。』
クリスティーヌには、自身の負った傷がかなりの深手であることがわかった。おそらく、このまま命を落とすだろう。
『クレア···。』
涙が自然と溢れ出し、視界がぼやけた。
『私は···クレアを···守れなかった···。』
英雄に憧れ、努力に努力を重ねて、若くして聖騎士団長にまで上り詰めた。聖騎士になったのは、信仰心の高さよりも、妹を補佐するためであったが、その職務を誇りに感じていた。
だが、腐敗したような組織や、自己の利益で動く聖騎士を目の当たりにするようになり、自分の選択が誤りであったのではないかと思うようになった。
『後悔···しているのか···私は···。』
ふと、1人の男の顔が浮かび、一緒にいた時に聞いた言葉を思い出した。
「タイガ殿は、正義とは何だと思う?」
「世の中で一番曖昧なものの一つかな。」
「曖昧なもの···それはどういう意味で?」
「属している国や組織、立場によって概念が変わるものだから。」
「確かに···そう考えれば、正義とは絶対的なものではないと思える。」
「俺は勧善懲悪と言うのは、物語の中だけのものだと思ってるよ。」
「自分の中の正義が揺らいだ場合、あなたはどうしてきたのですか?」
「自分を信じる。自分が成すべきことが、正義だと疑わずに突き進む。俺はそうやって生きてきた。」
タイガにも葛藤があった。
エージェントとしての行為は、他国や敵からすれば、悪として見なされる。それは、報酬や勲章なんかでうやむやにできるものではなかった。気持ちが揺らいだ時に、心の支えとなったのは、単純な想い。何を守り、自分がどうしたいのかと言うことだと語っていた。
『そうだ。私は自分の正義を信じる。妹を、聖女クレアを守ることが、多くの人達の救いとなる。こんなところで力尽きたら、人々を失望させる。あの人の横に並び立つ資格もない。』
遠のきそうになる意識を引き戻し、すでに感覚すらなくしかけている体を奮い立たせる。
ボタボタと鮮血を流しながらも、クリスティーヌは再び立ち上がった。




