第8話
静かで高級感のある店に連れてこられたと思ったら、そのまま個室に案内された。西川先輩がメニューを選び、あたしは——仕事があるふりをするため、ずっとスマートフォンを意味なく弄っていた。
「お待たせしました」
お洒落なグラスに入ったビールが置かれる。
「ごゆっくりどうぞ」
——いや、ごゆっくりできねぇえええええ!!!
(メニュー表に価格が書いてない居酒屋ってなーに!? そんなところ来たことないけどーーーー!!!!)
「何食べる?」
「う、うーん……打ち合わせなので……軽いものにしましょうか……」
「適当に注文しとくね」
「ありがとうございますー……あのー……それで……打ち合わせなんですけどー……」
「また連絡無視したの?」
タッチパネルから、ご注文、ありがとうございましたと陽気な声が鳴った。
「いや、連絡無視っていうと、えーと、そうですね、お返事が届いてなかったようで……」
「彼氏本当にいるの?」
「い……、……。いますとも。もちろん」
「ふーん」
「だから、もう、いいんじゃないですか? ね。こういうのも、本当はよくないですよ。タレントと、下っ端の動画編集者が、ね、一緒に、個室の、なんか高級そうなお店で、二人きりで食事とか? メンバーに来てもらえば良かったのに!」
「二人で話したかったから」
「いやー、あたしは……もう……いいかなって……」
「何がいいの?」
「んー……」
「まあいいや」
グラスが当てられる。
「飲みながら話そう」
(……酔うとガードが緩むんだよなぁ……)
大丈夫。あたしは飲み方をわかってる。少しずつ飲んでいこう。たとえ西川先輩の目が獲物を狙う虎の目だとしても、そこは、もう、見ないふりをしよう。うん。
「月子さ」
「はい」
「私のこと嫌い?」
……。
「嫌い、では、ないです」
「じゃあ一緒に住もう?」
「いや、なので、そういうのはもう……」
いやいや、ここははっきり伝えないといけないんだ。女を見せるぜ。藤原月子!
「西川先輩」
「うん」
「別れましょう」
「嫌だ」
「もーーーー!」
いや、負けない! 女をここで、輝かせるぜ! 藤原月子!
「もう終わってるんです」
「終わってないよ。別れるって言ってないし、言われてないし」
「今言いました!」
「別れないって言ってるから」
「もーーーー!」
押して駄目なら引いてみるべし!
「あたしよりも可愛い人いっぱいいますし、ほら、ファンの子も、リア恋? っていうんですか? いるみたいじゃないですか! SNSで、ほら、なんか、先輩の彼女のアカウントが現れて、大騒ぎじゃないですか!」
「偽物ね」
「これあたしかもしれませんよ!?」
「今ログインしてみなよ」
「……いや、あの……」
「彼氏本当にいるの?」
「……」
「連絡してよ、今」
注文したメニューが運ばれた。お待たせしました〜。
「できるよね? 本当にいるなら」
ごゆっくりお楽しみください〜。店員が去っていった。
「……いや……確かに……彼氏は……嘘ですけど……」
「ほら」
「だからって、先輩と恋人に戻るのは違……」
「戻ってない。別れてないから」
「うーん、ですから……」
「別れないし」
「……恋人の写真を壁一面に貼ってる人、先輩はどう思います?」
「愛に溢れてる」
「……」
「月子もいいよ。私の写真貼って」
「いや、遠慮しときます」
「わかった。じゃあさ、期間限定で同棲してみよ? ね? 半年でいいから」
「同棲じゃなくて、同居じゃないですか?」
「同棲でしょ。恋人同士なんだから」
「自然消滅……」
「してないから」
「うーん……」
「私のこと嫌いじゃないんでしょ?」
「嫌いじゃないですけど」
「歌ってるのが嫌だ?」
「それは先輩の自由なので」
「月子」
「そういうことじゃなくて、あの、あれは、若気の至りと言いますか……」
「私は、絶対に終わらせる気はない」
——西川先輩が、まっすぐあたしを見つめる。
「今でも月子だけを愛してる」
「……いや、愛してるって言われても……」
「私の彼女は月子だけだし、これからもずっと月子しか愛さない」
「人の気持ちは、変わるものですよ」
「嫌いじゃないんでしょ?」
「嫌いじゃないですけど」
「人の気持ちが変わるものなら、それに賭けてみようよ」
「いや、だから、そういうことじゃ……」
「どういうことなの?」
「あの……」
「はっきり言ってくれる?」
「……わかりました。えっと……」
あたしは手を叩いた。
「順番に、話しましょうか。ええ、そうしましょう!」
「いいよ。順番にね」
「お肉焼きますね!」
焼いたお肉は美味しいのに、空気は重い。なんだこれ。
「まず、連絡がつかなかった理由ですが」
「うん」
「スマートフォンが雨の日に水没して、LINEおよび全てのデータが消えちゃったんですよ。パスワードの控えとか、全くなかったし、覚えてなかったりで」
「うん、でもその後私から連絡したよね?」
「えっと、そうですね。はい、先輩から連絡がきたのは、母や妹から、それと、友達からとか、はい、もう、それは、周りの方々から、とてもよく聞いてました」
「うん」
「そうですね。はい、そうです。聞いてました、連絡が来てたのは、……ただ」
連絡をしなかった理由。
「曖昧にしたかった、というのは正直、あります」
「曖昧って?」
「だって、先輩、あたし達は」
遠くで、接客している店員の声と、他の客の声が聞こえる。
「女同士ですよ」
学生時代、こんなあたしにも友達がいた。
クラスは楽しかった。仲良くなれた子達が良い子だったから。
ある時、クラスメイトがボーイズラブにハマったと聞いた。ボーイズラブの漫画を貸し借りしてた。あたしも読んでた。エロいものばかりで、最初は恥ずかしかったし、本当は読んではいけない年齢だったけど、でも、好奇心から読んでた。
友達の一人があたしに言った。
「月子さ、BL本借りてたじゃん」
「え? うん」
「私さ、正直、あまり好きじゃなくて」
「ああ、そうなの?」
「うん。BLとかさ、本当に何がいいのか全然わかんない」
「そうかな? あたしは恋愛漫画みたいで面白いと思うけど」
「同性愛とか、人の道から外れてるじゃん。気持ち悪い」
その子は、正直に言ってくれた。同性愛は気持ち悪いと。
その通りだ。人間は、生き物は、異性を好きになるもので、同性を好きになるものではない。細胞や脳にエラーが起きて、同性を好きになるなんてことを、誰かが言っていた気がする。
(それじゃあ)
西川先輩と付き合ってるあたしは、脳や細胞にエラーが起きた人間ということなのだろうか。
(それを言ったら)
あの西川先輩も、脳と細胞にエラーが起きてる人間ということなのだろうか?
「なんか、ごめん。月子には言っておこうと思って」
「……ううん。BLの話あまりしないようにするね」
「うん。そうしてくれるとありがたい」
「またなんかあったら言ってね。あたし鈍感だから、言ってくれたら気をつけれるから」
「うん。ありがとう」
この子は悪い子じゃなかった。むしろ良い子だった。普通の感性の持ち主だった。
一般人だった。
じゃああたしはどうだ。
同性の西川先輩と付き合ってる。
女同士で、キスして、抱きしめあって、エッチもしてる。
エラーが起きてる。
人の道から外れてる。
じゃあ、別れる?
うーん、とね。
あのね。
あたし、本当に優柔不断なんだけど、
正直な意見を言うと、西川先輩が大好きなんです。
人を好きになるって、こういうことを言うんだなってくらい、好きになってしまって。
よくないよなぁと思いつつ、色々あって、付き合ってしまって。
よくないよなぁと思いつつ、手を繋いで、キスして、エッチしてしまって。
正直な気持ちを言えば、ただ恋人が女性だったというだけ。
好きになった人が、女の西川先輩だっただけ。
ただ、あたしは優柔不断だから、人の目を気にしてしまうの。
外面の意見を言えば、いや、おかしいよね。同性愛なんて。どう考えても狂ってるし、おかしい。気が触れてる。脳と細胞にエラー起こしてる変態じゃん。
本当におかしい。あたしは、男が好き。本当、男大好き。浮気する人なんて最高。男らしくて素敵じゃん。
ねえ、そんなにおかしいことかな。
人間が人間に恋をして、愛してるだけじゃん。
男が男を好きになって、女が女を好きになって、
男が女を、女が男を好きになって、
好きになった人がたまたま同じ性別だったら、
ねえ、それって、そんなにおかしなことかな?
変態かな?
変人かな?
不審者かな?
脳と細胞にエラーが起きてることなのかな?
あたしおかしいのかな?
あたし、気が触れてるのかな?
でも、西川先輩は優しいよ。
すごく優しくて、あたしのこと、大好きって、可愛いって、愛してるって言ってくれるよ。
浮気なんて絶対しないよ。
すごくすごく、家族よりも大切にしてくれるんだよ。
あたし達、きっと、おかしいんだ。
そんな時に、西川先輩が卒業してくれた。
卒業したら、西川先輩は上京して、連絡がしづらくなった。
あたしは安心した。すごく安心した。
だって、何食わぬ顔で、何も知らない顔で、みんなと一緒にいられたから。
同性愛の漫画を見たのは面白いからです。あれはただのファンタジーの漫画です。
あたしは異性が好きです。同性なんてとんでもない。
そんな顔をして、大人になって、社会に馴染んで、溶け込んで。
LGBTQ? なんですか? それ? はいはい。当人達は大変ですね。
でもあたしは関係ないですよ。だってあたしは一般人なので。
怖いんですよ。
変態だと思われるじゃないですか。
個性じゃないですよ。
エラーですよ。
怖いんですよ。あたし。
だから返事をしなかったんですよ。
だから曖昧に終わらせたんですよ。
だって、西川先輩に会ったら、
絶対、またあなたを好きになってしまうだろうから。




