第75話
ラストソング後のアンコール曲を歌い終えるまで、エメさんは笑顔を崩さなかった。しかし、その後は痛みでうずくまって、動けなくなった。佐藤さんが聞いた。
「エメさん、握手会は不参加でいきましょうか!」
「……出ます……」
「駄目」
白龍さんが言った。
「不参加」
「出る」
「エメち」
「私に会いにきてくれた人がいるの……」
エメさんが、痛みに耐えながら言った。
「座りながら、やる……から……」
「……座りながらね」
ミツカさんとゆかりさんが近づいた。白龍さんが振り返る。
「握手会、全員椅子に座ってやろ」
「了解」
「わかったよ」
「エメち、無理はしない。やっぱり無理って思ったら、すぐ病院」
「ありがとう。月ちゃん……」
「何言ってんの。こちらこそだよ」
白龍さんが跪き、エメさんの両手を握りしめた。
「頑張ってくれてありがとう。エメち」
「……私、アイドルだもん」
エメさんが、笑みを浮かべた。
「アイドルは、絶対弱いところを見せないの。常にキラキラしてて、最後までみんなをわくわくさせるんだから!」
これがRe:connect。あたしたちの宝物のアーティストグループ。もちろん——この姿も、カメラに収めた。
「テントの準備!」
「握手会始まります!」
「警備確認して!」
「タレント移動しまーす!」
「ふじっち、どうする? 白龍さんのテント行く?」
「……いや、サクラさんもいらっしゃるので、高橋先輩お願いします。あたし、流石に何かあっても責任持てないです」
「了解。じゃあゆかりさんとエメさんのテント頼むな」
「はい」
握手会は毎度恒例。一言一瞬握手ふれあい会。
「エメち! 超可愛かったー!」
「次の人」
「ゆかりーーーん!」
「次の人」
「エメち、ビーム! 好きだ! エメちっ」
「次の人」
「ゆかりん! 愛してるぅーーー!!」
(この人たち、この瞬間に命をかけてるんだろうな……)
そして、向こうのテントはやはり賑やかだった。
「勝手に結婚してんじゃねーよ!!!」
「白龍月子ぉーーーー!!!」
「金返せぇーーーー!!!」
(……行かなくてよかったぁー……)
サクラさんが心配だけど、
(行かなくてよかったー……)
「きゃー!」
「包丁持ってる!」
「現行犯逮捕!」
(あー……やってるわぁー……)
ライブが始まったのは17時。それから握手会が終わったのは、23時であった。エメさんを運ぶため、会場の横では救急車が待っていた。
(*'ω'*)
高橋先輩と打ち合わせた後、ホテルで解散となる。26時まで開いていた温泉に浸かり、ロビーで仕事する。
(……やべ、寝ちゃいそう……)
首を振り、頬を叩く。
(駄目駄目。明日の朝までに素材整理して、編集チームに届けないと、着手できなくなる)
しかし素材が多すぎて、アリのように見えてくる。
(あー……寝るわ、これ……)
――アイスココアが置かれた。
(あ)
「返信」
正面席に、リンちゃんが座った。
「編集者は速さが命じゃないの?」
「……え、なんか送ってました?」
LINEを見ると、ちゃんとあった。
白龍
>夜分遅くにお疲れ様です。
>いつ部屋戻るの?
>ねーえ
>返事
>藤原さーん?
>俺の嫁ー
>おーい
>晒すぞー
「……寝てれば良かったのに」
「目が冴えてて」
「皆さんは?」
「部屋戻った。梅ちゃんも送りました」
「ありがとうございます」
キーボードを打つ。
「すごかったですね」
「あれは逸材だわ」
「これからが楽しみです」
素材の名前がわかりやすいものに変わっていく。
「どんどん大きくなっていきますね」
「ん」
「新しい企画考えないとって、みんな言ってます。外部に負けてられません」
ロビーはとても静かである。
「藤原さん」
「はい」
「いつ部屋に戻るんですか?」
「あと五分ください」
「明日、新幹線の中でやれば?」
「そのつもりです。夜だけだと間に合いません」
「夜は寝た方がいいと思うよ」
「ライブ終わりに寝てない人に言われたくありません」
「……ツーゥ」
「はい、なんですか」
「せっかく一緒の部屋なのに」
「はい、そうですね」
「誕生日終わっちゃいましたよ」
「そうでしたね」
「ねーぇ」
「あと五分」
「仕事と奥さん、どっちが大事なの?」
「……リンちゃん」
「なんですか」
「誕生日プレゼント、ありがとう」
「まだあげてないけど」
「ううん。嬉しかった。本当に」
「……」
「ありがとう」
微笑んで感謝を伝えると、リンちゃんが電子煙草を吸った。
「何か欲しいものある?」
「……んー」
「アクセサリーとかどう?」
「いらないよ。使わないもん」
「椅子とかは? 新しいパソコンとか」
「まだいけるから」
「ツゥ」
「……美味しいものとかは?」
「旅行とか行く?」
「あー、いいですねぇー。でもライブ終わりこそ気を緩ませちゃいけないんですよ。面白い企画やらないと、ファンは離れていきます」
「……」
「うーん。……また今度にしましょうか」
「今度っていつ?」
「配信に集中してほしいんです」
「話題作りになるじゃん」
「……ん、ごめん、何?」
「何あげたらこっち見てくれるの?」
「ごめんね。リンちゃん、あと……」
「もう戻ろう?」
リンちゃんが窓に映るあたしを見ながら言った。
「寂しい」
「……あと10秒」
素材の名前を変えて、一時作業中断。続きは新幹線の中でやろう。あたしの奥さんが寂しがってるから。
「おしまい。戻ります」
「遅いよ」
「ごめんね」
「働き過ぎ」
「アイスココア、ご馳走様です」
荷物を抱えて一緒に部屋に戻る。リンちゃんがベッドの前に立ち、あたしは荷物を置く。
(……本当に疲れた……)
「ツゥ、どっちのベッドで寝る?」
「え? リンちゃんのお好きな方でいいですよ」
「んー、……じゃあ、壁側」
「はい。どうぞ」
言うと、腕を掴まれた。
(あれ)
同じベッドに連れ込まれる。
「……リンちゃん」
「一緒に寝よ」
リンちゃんがあたしの頬にキスをした。
「ちょっと待って」
「なぁーに?」
「疲れてるでしょ」
「疲れてるよ」
「手が怪しい」
「怪しくないよ。ツゥに触ってるだけ」
「リンちゃん、寝よ?」
「チェックアウト11時でしょ。いいじゃん」
唇が重なる。
「眠くないの?」
「どうだろ?」
「じゃあもう寝……」
また唇が重なる。
「リンちゃん……」
「しよ」
「疲れてるから……」
「我慢できない」
リンちゃんが寝間着を脱ぎ始めた。
「最後にしたのいつだっけ?」
「……三週間……前、くらい?」
「ほらね。体が寂しがってる」
「よしよしする?」
「してくれるの?」
リンちゃんが下を脱いだ。下着姿になって、あたしに抱きつく。
「ツゥ」
よしよしと、頭を撫でる。ライブツアー、よく頑張りました。
「もっと」
「ふふっ、もっと?」
「うん、もっと」
「いいよ」
リンちゃんの頭を優しく撫でると、リンちゃんの手が、いやらしくあたしの寝間着に触れ、脱がそうとしてくる。
「あ、リンちゃん」
「石鹸の匂いがする」
上が脱がされたら、リンちゃんが鼻を押し付けてくる。
「いい匂い」
下も脱がされた。あたしも下着姿だ。
「月子」
唇が重なり、キャミソールの中に手が入れられた。あたしの唇がリンちゃんの頬に押し付けられた。リンちゃんの手が泳いだ。あたしはリンちゃんの首にキスをした。リンちゃんの手が下がった。
「……ん……」
「お誕生日迎えたから……、お姉さんと、大人なことしちゃおっか」
「もう……既に大人なんだけど……」
「どこ見てるの? ほら、目合わせて」
「んっ……」
布と手が擦れる音が微かに聞こえる。派手な音はない。
「……、……っ、……」
「ああ、その顔いい。すごく可愛い」
「んっ」
熱い舌が口の中に入ってきて、あたしの舌に絡んできた。でも、嫌いじゃない。だってリンちゃんを直接感じられるし、彼女に抱きつきながら出来るから。瞼を閉じて、柔らかい唇を重ねて、舌を絡ませて、体を寄せ合って、膨らむ胸をくっつき合わせて、そうすれば、もっとリンちゃんを感じられる。匂いも、体温も、存在も。
「……リンちゃん……」
「ん。可愛い。月子……」
「あたしも、する……」
「ん? んふふ、してくれるの?」
「ん」
「ん。……キス、上手になったね」
「……」
「これはまだ、だね」
「……」
「大丈夫だよ。ちゃんと教えてあげるから。ん」
「んむ、……痛かった?」
「んーん。気持ちいいところに当たってないだけ」
眉をひそめると、リンちゃんがにやけて、あたしを抱きしめた。
「高校からやってるのにね」
「……」
「ほらね、ツゥ。やっぱり、ツゥの相手は私じゃないと務まらないよ」
「……どうせ下手くそですよ」
「あははは! 拗ねてるツゥも可愛いなぁ〜! も〜!」
ぎゅむっ! と抱きしめられ、よしよしと撫でられて、手が腰に回って——また、乱れた呼吸が部屋に響き渡る。
「はっ、ツゥ……月子……」
「……リンちゃん……っ……」
左手で頬に触れると、リンちゃんがあたしの左手にキスをした。指輪が光ったように見えた。リンちゃんの熱い眼差しにときめいた。誰もいない部屋の中、ベッドの中、その瞬間だけは、正直になれる気がした。
「……愛してる、リンちゃん……」
「……私も、愛してるよ。月子」
額が重なる。
「生まれてきてくれて、私と出会ってくれて、ありがとう」
彼女は女性で、あたしも女で、決して普通の恋愛ではないけれど、その想いは本物で、気持ちも本物で、本当に彼女が好きで、愛していて、あたしは、そう思っていて、この先も、ずっと、リンちゃんといられることを願って、愛しいその唇に、自分の唇を押し付けた。
二つの影が一つになって、本当に、二人の存在が一つになったような、そんな気がした。




