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第74話


 ——舞台裏で、エメさんが崩れ倒れた。思わず、あたしは息を呑んだ。


「っ」

「酸素持ってきて!」

「エメさん聞こえますかー?」


 躊躇なく、高橋先輩がカメラを持って駆けていった。あたしも追いかけた。エメさんが眉をひそめ、足を押さえている。


「佐藤さん呼んできて」

「エメさん、どれくらい痛いですかー?」

「……」

「かなりまずいですー」

「こちらステージ裏、エメさん動けないです」

(エメさん!)


 カメラを構えながら、あたしは頭の中で考える。


(点滴は打った。痛み止めも飲んだ。ひょっとして、踊ってて悪化した?)

「エメさーん? 意識ありますかー?」


 現場スタッフに緊張が走る。あと30秒でエメさんのパートが入る。ゆかりさんが走ってきた。エメさんの顔を覗き込み——叫んだ。


「エメち!」


 意識がない。ゆかりさんがもう一度叫んだ。


「かおりちゃん!」


 エメさんの目が開いた。


「出番!」


 エメさんがスタッフに起こされながら立ち上がった。スタスタ歩いていき、ステージに向かった。


「エメさん立ち位置つきました!」

「上げまーす」


 ステージの穴からエメさんが笑顔で歌いながら出てきた。華麗に踊り、なんでもないように歌い続ける。——さっきまで、痛みで意識がなかったのに。


 あたしと高橋先輩が目を合わせた。カメラを下ろす。


「かおりさんって……?」

「アイドル時代のエメさんの名前」

「本名ではない?」

「ではない。けど、現役でやってた時の名前」

「……」

「すげぇな」


 高橋先輩がモニターを見た。


「執念だ」

「……これ、最後まで持ちますかね……?」

「握手会は様子見てだな。やらないわけにはいかねぇし」

「……」

「今の、ちゃんと素材あるか?」

「……はい、残ってます」

「ん。まだ続くからな」

「わかってます」


 気を緩められない。


「見せ場はここからです」


 あたしはカメラを構え——待機する彼女に向けた。





『えー、ここまで我々の曲を聴いていただき、本当にありがとうございます。本日、横浜アリーナ。ライブツアー最終日となっておりまして、本来ならば、ライブらしく、踊って、歌うところなのですが、この回ではですね、別のことをやらせていただきたいと思います』

『私たちも新しい試みです』

『うん』

『……』

『それでは早速、見せていただきましょう。Re:connect、新人候補研修生、サクラ梅による、「こねくと・えみゅれーたー」』


 ——ライブ会場が真っ暗になった。ペンライトが、蛍光ピンクに染まっていく。そして——派手に登場するのは、無名歌い手サクラ梅。ぽっちゃり体型の女性。TikTok LIVEでひっそりと歌っていた宝石。


 ステージが桜色に染まっていく。ライトが桜色に染まっていく。音楽が鳴り響く。サクラさんが余裕の笑みを浮かべ、震える手でマイクを握り、テンポの変化が多く音も高低が激しく歌うのが難しいとされる、ミツカさんのソロ曲、「こねくと・えみゅれーたー」。


 これさえ歌えたら、誰も文句は言えない。誰もが認める新人となる。彼女はRe:connectのメンバーとして、夢を掴むことができる。


 歌唱力、実力、それらは彼女の努力から育てられた。あとはもう歌うだけ。披露するだけ。見せるだけ。その魅力を存分に見せつけるだけ。


 声が可愛いだけでは駄目。歌えるだけでは駄目。ここはプロの場所だ。サクラさんが歌う。魅せる。虜にする。ファンが泣く。追っかけが涙を流す。感動する。感染する。心を揺さぶられる。


 その姿を、全てカメラに収めた。


『——』


 歌が終わり、音楽が止まる。


 ——直後、聞いたことがない音量の拍手と、歓声と、泣き声と、コールと、ペンライトが振られた。凄まじい音と量だった。モニターに、汗を落とすサクラさんの顔が映る。拍手が鳴り止まない。


 ステージに座って聞いてたメンバーが顔を合わせ、白龍さんが第一声を出した。


『あのー……』


 拍手が止んだ。みんなが、白龍さんの言葉を待つ。


『正直、正直よ? この企画。マジなんですよ。本気の本当の、企画でして、実際我々、会ってないんですよ』

『そうなんです』

『初対面です』

『……』

『で、まぁ、割と本当に、運営の方々とも色々話してまして……落としたい場合は、本当に、落として良いって言われてました。俺たち』

『言われてたね』

『うん!』

『……』

『はい。それで、俺もね? 落とす気満々だったんですよ。一人、まぁ、どうしても脱退せざる得ない状況だった、としても、我々、五年間、五人でやってきたんですよ。それで、ファンのみんなも、そうだよね? 五年間、応援してきてくれたわけだから、中途半端な新人が、入ってこられても困るわけですよ』

『そうですね』

『その通り』

『……』

『で、今のパフォーマンスを、見た結果で、まぁ、ファンの方々にも、聞きつつ、決めたいなぁとは思ってました。思って……ましたけど……』


 白龍さんがミツカさんに聞いた。


『ミツカどう思った?』

『合格だね』


 拍手と歓声が上がったが、まだ確定ではない。白龍さんがゆかりさんに振った。


『ゆかりんどう思った?』

『これ以上の子はいないでしょ。普通に合格かなぁ』

『でも見た目、ちょっとぽちゃっとしてるよね?』

『ぽちゃ好きな人、拍手ー!』


 ゆかりさんが叫ぶと、拍手と歓声が上がった。しかしまだ確定ではない。白龍さんがゆっくり言った。


『エメちは』


 エメさんが顔を上げた。


『どう思った?』

『文句のつけどころがないんだけど、なんか言った方がいい?』

『一言ほしいかな』

『私は合格。でも、最終決定は月ちゃんの答え次第になっちゃうからねー?』


 周りを見る。


『みんなは、どう思ったー?』


 大量の拍手と歓声。エメさんが笑顔で白龍さんを見る。


『じゃあ、聞きましょうかね。この答えで、決まります。月ちゃん、どう思った?』

『では、ちょっと焦らしつつ答えましょうかね、ずばり……』


 ——会場が静かになった。サクラさんは——不安そうな目で、白龍さんを見つめている。


『……俺の見る目は間違ってなかった』


 息を吸い込み、一言。


『合格! ようこそ! Re:connectへ!』


 サクラさんが膝から崩れ落ちたと同時に、大量の拍手と、大歓声と、花吹雪が舞い、白龍さんが走り、感激して泣き崩れるサクラさんを抱きしめた。ミツカさんとゆかりさんとエメさんも立ち上がり、拍手を煽った。ゆっくりと歩いて合流し、新しいメンバーを迎えたRe:connectがここに集まった。


 ステージが拍手に包まれる。


『というわけで、えー、皆さんも認めてくれたようなので、また、新たな形で活躍していく運びとなりましたので……新人のサクラ梅ちゃんも、一緒に応援してくださると、嬉しいです』

『なんか一言もらったらー?』

『あ、そうだね、ナイスゆかりん』

『あ、じゃあ梅ちゃんはね、ミッちゃん推しだって聞いてるから、ミッちゃん』

『じゃー、一言、私が聞いちゃいまーす!』


 サクラさんの隣に立ち、ミツカさんが聞いた。


『今どんな気持ちー?』

『……あの、あ……ミッちゃんが……可愛すぎて……!』

『あらやだ、プロポーズされちゃった』

『プロポーズではない!』


 白龍さんがツッコミながらサクラさんを抱きしめた。


『手出すなよ!? 大事な新人だからな!?』

『いや、手出すのは月子の方でしょ!?』

『俺そんなことしないもーん!』

『ゆかりんどう思う!?』

『いや、どっちもどっちー!』

『いや、ちょ、エメち、なんとか言ってやって!』

『月ちゃん、……浮気はね、やめておきなさい。ピリィちゃんはね、見てるよ?』

『いや、なんか、妙にリアルな説得力!』


 ドームが笑いと涙の両方に包まれる。


『というわけで、サクラ梅ちゃんでしたー!』

『ありがとーーー!』

「サクラさん裏戻りますー」

「エメさん、サクラさん案内するふりして戻ってきてくださーい」


 サクラさんと一緒に戻ってきたエメさんが、観客から見えなくなった瞬間に倒れた。サクラさんが目を丸くし、スタッフがエメさんを支える。


「エメさーん!」

「エメさん意識なくなってますー!」

「酸素、誰かー!」


 佐藤さんがエメさんに駆け寄る。


「エメさーん?」

「サクラさん、楽屋へお願いします」

「わ、わかりました……」

「エメさーん? 聞こえてますかー?」

「ラストトーク伸ばしてください」

『……エメが戻ってくるまで、ちょっとお話ししてましょうか』

『そうだね』

『なんか新人さんが入ってくるとかさー、感慨深いよねぇー』

『私も負けてられないって思った!』

「エメさーん!」


 30秒、格闘が続いたが、だんだんエメさんの視点がはっきりしてきたようだ。佐藤さんがエメさんの手を必死に握りしめている。


「エメさん、まだ出番が残ってます!」

「……行きます……」

「エメさん行きまーす!」

「戻りまーす!」


 エメさんが笑顔でステージに戻っていった。


『お待たせー』

『あ、戻ってきた』

『おかえりー』

『今オチ言うところだったのに!』

『ゆかりんのオチは配信で聞いてもらうことにして』

『ちょっとー!? 私の扱い雑すぎないー?』

『お時間もね、来てしまってるんですよ』


 嫌だ! という叫び声が聞こえると、白龍さんが小声で言った。


『握手会があるんだよ! この後! 握手会があるからさ! 時間通りに進まないと、運営がこれでこれがこうなんだよ!』

『ということは?』

『ラストソングでーす!』

『みんな、今日は会いに来てくれてありがとう!』

『皆さんと接続できたこの瞬間を忘れないために、想いを込めて歌います』

『聞いてください。私たちの、最初の曲』

『『コネクト・ハート』』


 モニターからライブを見ているサクラさんに声をかける。


「お疲れ様です」

「藤原さん、お疲れ様です」

「オーディション通過、おめでとうございます」

「ありがとうございます! これから、頑張ります!」

「初ライブ、どうでしたか?」

「あの……もう……言葉で、表現ができないってこういうことを言うんですね。あの……眩しくて……いっぱい人がいて……意味がわからなかったです」

「あはは。ですよね!」

「まだ、夢を見ているみたいです……」


 輝いてるサクラさんの目は、とても美しい。


「でも、これからもいっぱい歌が歌えて、レッスンもしてもらえるって思ったら、すごい、わくわくしてます!」

「……今日、サクラさん用に、ホテルの部屋を取ってるんです。受かったら、夕食の時にメンバーと交流してほしいと思ったので」

「え!?」

「あ、ちゃんと一人部屋ですよ! そこは、社長にお願いしたので!」

「いえ、じゃなくて、あの、交流ですか!?」

「はい。握手会が終わったら、メンバーにはすぐにホテルに帰ってもらって、休んでもらうんです。サクラさんも」

「……なんか、緊張してきました」

「あははは! あ、握手会も特別枠で出ましょうか! 受かりましたから!」

「いいんですか?」


 大丈夫。高橋先輩にそう言えって言われているから。


「多分サクラさんのファンも混ざってると思うので、出ましょうか! 研修中って札とか首から下げて」

「あ、それは面白そうですね!」

「はい、で、……共有事項で、エメさんの体調があまり良くないので、握手会の時は、白龍さんのお隣に立っててください」

「わ、わかりました!」

「本当にお疲れ様でした。受かってよかったです」


 サクラさんと両手で握手をする。


「これからよろしくお願いします!」

「……はい!」


 サクラさんも、両手であたしの手を握りしめた。


「よろしくお願いします!!」


 ふくよかな手は、柔らかくて気持ちよかった。




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