第70話
佐藤さんと果物が入ったバスケットを持って、エメさん宅へ向かった。中ではぽぽちゃんとぷぷちゃん——マコト君とカホちゃん——妹のリカさんがいた。
「姉がお世話になっておりますー!」
「いえいえ、あの、これ栄養にと会社から……」
「ああ、すみません!」
「りんごー!」
「そうだねぇ。りんごだねぇ」
「佐藤さん、お姉さん、こんにちは」
「こんにちは〜」
「こんにちは、カホちゃん」
中に入ると、足にサポーターをつけたエメさんが座っていて、頭を下げた。
「せっかく来ていただいたのに……こんな状態で、すみません」
「足、どうですか?」
「一ヶ月安静にと言われたのですが……流石に二週間前なので、フォーメーション変えるとか、振り付け変えるとかでなんとかするしかないかなって」
「え、踊るつもりですか!?」
思わずあたしが声を出すと、エメさんが頷いた。
「もちろんです! この程度、なんてことないです!」
「……いえ、もちろん、ライブなので、……不参加、というわけにはいかないのですが……四日連続で……しかも……骨にヒビが入っているって、いわゆる、骨折状態ですよね? それで……後々に響いたりとか……」
「わかってます。わかってるんです」
エメさんが拳を握りしめた。
「でも、藤原さん。今回のドームツアーは、私にとって夢の始まりなんです。ようやくスタート地点なんです」
「だけど……」
「やっとここまで来れたんです……。子供を育てながら……ようやく来れたんです……」
エメさんが——サポーターをつけた足を睨む。
「ここで妥協するわけにはいかないんです」
「……そうですよね」
あたしが横から入るわけにはいかない。決めるのはタレント自身なのだ。
「すみません。余計なことを言ってしまって」
「いえ、……ご心配していただいてるのは、わかってるので」
「動画についてですが……コントや、歌ってみたなど、ライブがあるのでそういったものを中心として投稿できればと思います。つきましては、台本をお渡しするので、スタジオには来ていただかなくて大丈夫です。声だけ撮っていただければ、3Dモデルは代理で誰かにお任せするので」
「ありがとうございます」
「動画のことは気にしなくて大丈夫です。ライブに集中してください」
「本当にすみません」
カホちゃんがエメさんに抱きついた。そんなカホちゃんの頭を、エメさんが優しい笑顔で撫でる。
「早く治せるよう、頑張ります」
(体のことだからな……。こればかりは気合いでどうにかなる問題じゃない……だけど……)
「佐藤さんもすみません。いつも」
「困ったことがあったら、すぐ連絡ください」
「ありがとうございます」
(パフォーマンサーに怪我は致命的だけど、よくある話の一つ。後遺症とか、ないといいけど……)
ああ、また始まった。あたしは今、メイキング動画の素材について考えてる。怪我人がいる映像は、とても映える。同じ怪我で苦しんでいる体育会系の学生選手などが見たら、エメさんはきっと希望の光となる。希望の光とするためには、エメさんが痛みで苦しんでいる姿を見せなければいけない。
「ちなみになんですけど」
口が重い。だが、それがあたしたちの仕事だ。
「エメさんが怪我をされた時の映像とかって……残ってますか?」
「あ、残ってますよ。帰った後に見て練習する用で撮影してたので」
「それいただけます? メイキングに使いたくて」
「構いませんよ! めちゃくちゃ痛がってますけど、問題なければ!」
「……すみません」
「大丈夫です! ライブでちゃんと踊れたら何も問題なくなるはずなので!」
エメさんが太陽のような笑顔を見せる。
「木陰エメとして、見せつけてやりますよ」
(母は強し、だなぁ……)
「あとでギガファイルに送っておきます!」
「助かります」
「カホ」
マコト君がカホちゃんを呼んだ。
「ママ、仕事してるからこっちおいで」
「んー」
「カホ、にーにが遊んでくれるって!」
マコト君がカホちゃんを連れて、おもちゃ箱へと歩いて行った。それを見届け、視線がもう一度エメさんに戻る。
「……お世話はいつも、妹さんが?」
「見てもらってます。……一応、お給料も払ってるんですよ。家のこと、全部やってもらってるので」
「あの、すみません、えっと……ご両親とかは……」
「……縁を……切られてて」
リビングから、子供たちの笑い声が聞こえる。
「マコトを産んだ時に、勘当されました。顔も知らない男の息子なんて、孫じゃないって言われて」
「……」
「相手は無名の地下アイドルで、すぐに連絡が取れなくなりました。でも、どうしても産みたくて。でも、大変で。男の人が側にいて欲しいって、ずっと思い込んでました。働いてたスナックで会ったお客さんとそういう関係になって、カホを産んで、また連絡が途絶えて……」
エメさんが——あたしを見た。目は、笑ってなかった。
「藤原さんは、人生に絶望したことありますか? こんなはずじゃなかったって、心から思うんですよ。子供達がいなければ、相手の男たちに会っていなければ、私は今頃アイドルをやっていたかもしれない。ちゃんとプロの歌手になって、タレントになって、叶えたかった夢を叶えていたかもしれないと思って、でも、お財布を見ると、お金もない。生活も成り立たない。それでも、カホの夜泣きの声とか、マコトが癇癪を起こして叫ぶ声が、ずっと耳に入るんですよ」
男は逃げれる。女は逃げられない。
「家族心中しようかなって考えてた時に、たまたま妹からオーディションの話を教えてもらったんです。それが……Re:connectでした」
2.5次元歌い手グループ。
「私の人生は変わりました。メンバーに会えて、特に……月ちゃんは、もう、ずっとまっすぐで、仲間思いで——たまに暴走するけど、一緒にやれて楽しいんですよ。一緒に歌ってる間は……なりたかった私でいられてる気がして」
その目は、間違いなくプロの眼差しだ。
「だからこそ……私はここで止まるわけにはいかないんです。足の怪我如きで」
「……話しづらいお話を、ありがとうございました」
「え、いいえ! 逆に、なんか暗い話になってしまって! あ! そうだ! 明るい話! それこそ、グループが始まった一年目の話! 月ちゃんとめちゃくちゃ私仲悪くて」
(あ……この間リンちゃんが言ってたやつ……)
「佐藤さん、覚えてますか!?」
「……すごかったです……」
「会うたびに喧嘩してたんですよ。多分、私が年上っていうプライドもあったんでしょうね。当時は。月ちゃんの方が全然実力もあるし、人間性も月ちゃんの方が上なのに、私なんか気に入らなくてずっと月ちゃんにいちゃもんつけては、月ちゃんからもいちゃもんつけられて、軽く手が出そうになったり……」
「出そうじゃありません。出てました」
(本当に仲悪かったんだ……)
「それで、ふふっ、佐藤さんが胃カメラ飲むまで行っちゃって! もう勘弁して欲しいって頭下げられたから、ちゃんと話し合って、和解したんですよねぇー!」
佐藤さんを見ると、青い顔で首を振っていた。
「その話し合いも……すごかったんです……」
(……社長が逃げたり……会社潰れたり……移籍したり……一番大変なの……佐藤さんだよな……)
「本当に丸くなりましたよね! 月ちゃん! あはは!」
あたしと佐藤さんは、ノーコメントだった。
(*'ω'*)
>サクラ梅様
お世話になっております。
運営部の藤原です。
日々のレッスン、お疲れ様です。
密着班から映像素材をいただいており、かなり上達されていることを確認しております。
明日からライブなので、連絡が取りにくくなりますが、何かあればメールをお送りいただければ、他の者がご対応いたしますのでお気兼ねなくご連絡ください。
それでは、最終日のライブでお会いしましょう。
運営部一同、期待しております。
藤原
カプセルホテルから出た。高橋先輩がレンタカーの前でタバコを吸っていた。
「行くぞ」
「はい」
一日目、福岡。チケット数、見事に完売。
「ライブ終わりは屋台でも食いに行くか?」
「あ、いいですねぇ」
絶対そんな時間はないけれど、冗談をかましながら会場へ向かって車を走らせる。




