第40話
1時間後、警察を通じ、橋本という女性が今回の騒ぎを起こした理由を聞くことが出来た。それが、
「自分より仕事ができず、会社を辞めた後輩が、成功していく姿が許せなかった」
たった、それだけだった。
二年間、この女性は、自分が面倒を見てきた後輩が、違う世界で輝く姿が許せず、この後輩をどう潰していくかということだけに時間を費やした。もっといろんなことが出来たのに。自分を磨き、スキルを学び、転職する道もあった。お見合いし、出会いを求め、結婚する道もあった。自分も配信者となり、茨の道に挑むこともできた。その時間を、人生の、二年間という長い時間を、元後輩に嫌がらせをするという時間にしてしまった。
いや、もしかしたら、ゆかりさんがこの女性に何かをしてしまったのではないだろうか? 担当の警察官に聞いてもらった。
「仕事ができないんですよ。本当に役立たずで。私がいつもあの女の尻を拭いてたんですよ。今、かなりお金持ってるんですよね? じゃあ、私に少しくらいお礼してくれてもいいと思いません?」
「ちょっとねー、直接お話しするのはねー、よした方がいいと思いますよ。裁判とかされます?」
「ごめんなさい。こんなに大事になるなんて思ってなかったんです。許してください。本当にごめんなさい。私にも人生があるんですよ……」
「訴えた方が、まー、証拠が多いので、前科はつけられると思いますよ。ちゃんと弁護士つけた方がね、いいと思います」
「給料低いので、賠償金とか払えないです。許してください。会わせてください。直接謝りたいです」
「あ、大丈夫ですよー。絶対関わらせないようにするので」
——ゆかりさんは、相当落ち込んだ。もう、それはそれは……本当に、落ち込んでいた。
「……ゆかりさん、すいません」
ドアをノックする。
「入ってもいいですか?」
「……はい」
「あの」
ドアを開けると、ゆかりさんがあたしの手を見た。
「たい焼き……食べませんか? 買ってきたんです」
「……白龍は……?」
「ボイトレに行ってます」
「……あー……」
「失礼しますね」
あたしが使ってる部屋で、ゆかりさんとたい焼きを食べる。
「もう、弁護士にお任せしちゃっていいとのことでしたので、あとは会社と佐藤さんに丸投げしちゃって大丈夫です」
「……」
「……あの、面談の時に……お話しされてたのって……」
「……あの人のことです」
ゆかりさんがたい焼きを噛んだ。
「すごく要領よくて、ノルマを余裕で達成して、私、全然仕事できなくて、……よく、助けてもらってました。尊敬してました。本当に……会社辞めた後も……橋本さんみたいな人に……なりたいって……思って……」
「……」
「二年間……まさか……橋本さんだと思いませんでした。……でも、そうですよね……。たまに……連絡してたんですよ。どこに住んでるとか、今何してるとか、活動頑張ってますとか……連絡してたんです。応援してくれてるもんだと思ってたから……」
ゆかりさんが涙を落とした。
「私……橋本さんみたくなりたかっただけなのに……」
「……ティッシュどうぞ」
ゆかりさんが思い切り鼻をかいだ。ゴミ箱を向けると、ティッシュを丸めて捨てた。
「はぁ……ショックすぎる……」
「……知ってる人が嫌がらせしていたっていうのは、心にきますよね」
「いや、もう……本当に……びっくりしました。包丁、花束の中に隠し持ってたって聞いて……人間不信になりそう……」
「……」
「なんか……嫌だなぁ。こういうの。……知らない人だったらまだ良かったんですけど……知り合いって……しかも……良くしてもらってた先輩っていうのが……もう……」
「……あたしも白龍さんに同じことされたら、立ち直れずに仕事も全部辞めて引きこもると思います」
「……いや、もう、……そうなんですよ。まだ、私……グループなので、メンバーのみんながいるんですよ」
楽屋でパニックになって泣いてる時、みんな側にいてくれました。
「それがまだ、救いだったな」
「……」
「藤原さんも、一緒にたい焼き食べてくれてるし」
ゆかりさんがため息を吐いた。そして——また涙が溢れてきた。
「あー! 悲しいなー!」
ティッシュで鼻をかむ。
「応援してくれる人が多くなればなるほど、仲の良かった人たちが遠くなっていくんです!」
涙がティッシュに滲んでいく。
「別に、お金投げて欲しいなんて言ってないのに。ただ、友達のままでいてほしいだけなのに」
ゆかりさんの体が震えている。
「あーあ、寂しいなぁー!」
涙が落ちる。
「寂しいなぁ……」
——そっと、抱きしめると、ゆかりさんがあたしの肩に顔を埋めて、——やっぱり泣き始めてしまった。
こういう時、西川先輩ならどうしてたっけ。
頭を撫でる。背中を撫でる。優しく、子供にするように優しく、優しく撫でたら、ゆかりさんが私の肩に身を委ね、泣いて、泣いて、とにかく沢山泣いてしまった。だからあたしはなるべく、何も言わず、黙ってゆかりさんを撫でることだけに集中した。沢山撫でていると、しばらくして、ゆかりさんから頭を上げた。
「すみません、藤原さん。ぐすっ!」
「いいえ」
「はぁー……」
ゆかりさんが涙を拭った。
「泣いたー」
「ティッシュどうぞ」
「ありがとうございます。……ぐすん!」
ゆかりさんがティッシュを丸めて捨てた。
「公開収録の動画って、いつできる予定ですか?」
「来週には出しますよ」
「……へへ。楽しみにしてます。……収録は楽しかったから」
「……ゆかりさん、正直、アンチはもっと増えます」
ゆかりさんが口の端を下げた。
「アンチは、みんな僻みの塊です。放っておけばいいのに、暇な人は、放っておきません。なんでもかんでも、暇な限り、突っ込んできます。足を引っ張ろうとしてきます。それでも、五割、いいえ、二割は、絶対にゆかりさんの歌を待ってる人がいます。……歌えますか?」
「……私、ファンが0人になったら、引退するつもりなんです。1人でもいるなら、その1人に向けて、歌いたいんです」
だから、
「私は、応援してくれる人がいなくならない限り、歌うし、配信もします。Re:connectの紫ゆかりとして、活動を続けます」
「……であれば、あたしはそれを手伝います」
タレントを動画で輝かせるのが、あたしの役目。
「ゆかりさんの切り抜き動画も頑張りますね」
「藤原さんはもう頑張りすぎですよ。藤原さんが橋本さんと話してるの、楽屋で聞いててハラハラしてましたもん」
「いやぁ、あれはあたしも怖かったです。なんか挙動が変だったので、証拠だけ見せてもらおうと思ってたら、だんだん本当に怪しくなってきて……」
「いやいや、本当に! インカム聞いた高橋さんが走っていくところ見て、白龍が飛び出して行ったんですから!」
「えっ」
「客席構わず走っていって、それを私が追いかけて、大興奮の会場をミツカとエメちがトークで収めてくれて。リコネの連携プレイを感じました!」
「……」
「なんか、みんなが……私を守ろうとしてくれてるのを感じました。だから……頑張ります」
ゆかりさんが笑みを浮かべた。
「アンチなんかに負けません」
「……とりあえず、部屋は階を変えた方がいいかもしれませんね」
「管理人さんに連絡しました。来週中には部屋だけ引っ越す予定です」
「あ、じゃあもうあそこに戻っちゃうんですね」
少しだけ、肩を落としてしまう。
「寂しくなっちゃいますね」
「えー! なんですかそれ! 藤原さん! またスタジオで会えるじゃないですか!」
「その……白龍さんとのこと、言えた相手が、ゆかりさんしかいなかったので、愚痴とか聞いてもらえなくなるなって思って」
「……いや、でも」
「はい?」
「白龍が、藤原さんを好きになる気持ち、わかる気がします」
ゆかりさんがクスッと笑った。
「私も男だったら好きになってました!」
「……いや、それを言うならあたしの方こそ、男だったら、ゆかりさんのリア恋になってたかもしれません。ゆかりさんは性格もお優しいですし、体つきもすごいですから」
「えー……じゃあ……藤原さん」
ゆかりさんが、あたしに近づいた。
「せっかくなので」
顔が、近づく。
「二人の思い出、作っちゃいます?」
ゆかりさんの手が、あたしの服をつまんだ。
ドアを開ける。
「ただいまー」
靴を脱ぐ。
「はぁ、もう夏だよ。暑い暑い」
リビングへ歩いていく。
「ツゥ、素麺買ってきたけど食べるー?」
——クラッカーが大きく鳴り、西川先輩が目を丸くした。
「お帰りなさいませ! ご主人様ぁー!!」
そこには、水着エプロンをしてクラッカーを握りしめるゆかりさんと——同じく、水着エプロンをして顔を俯かせるあたしがいた。




