第39話
その日の13時、下北沢駅はとんでもないことになった。人々は思った。どうしてこんなに人が多いのだと。皆が向かうのは小劇場。400人程度の席がある劇場だったが、あっという間に行列となった。しかも厄介なのが、入場券を当選できなかったファンがRe:connectを待ち伏せようと、裏口付近で待ち構えていたのだ。
「というわけで用意した!」
高橋先輩があたしに見せた。
「ブルーシート!」
「ガチですか」
「経費削減だ。大丈夫。背の低いお前には持たせねぇから」
(これはけなされるって思って大丈夫だよな? 大丈夫だよな?)
「タレントさん入りまーす!」
劇場の運営スタッフがブルーシートを構え、そこに向かって車が停まった。途端に、一斉に待ち構えていた人々が走ってきたので、警備員が怒鳴りながら人々を止めた。
「こっち入らないでくださーい!」
「白龍ー!」
「きゃーー!」
「ミッちゃーーーーーん!!」
「エメち!! エメち!!!」
「ゆかりーーーーーーん!!!」
「なんで入れないんだよ!! 家に当選券忘れたって言ってんだろ!」
「ではメールを見せてください」
「メール削除したんだよ! 早く入れろよ!」
(こりゃ大変だ……)
劇場が開場する中、裏通路からメンバーが楽屋に入っていく。
「ねぇ、これくらいの広さの楽屋すごい懐かしくない?」
「前はこうだったからね」
「みんな、荷物置いたらすぐ準備して」
「ふじっち、インカムチェック」
高橋先輩に言われ、ボタンを押す。
『あー、あー、こちら高橋、インカムテスト、藤原どうぞ』
『藤原です』
『Re:connectの皆様、聞こえますか?』
『白龍です。聞こえます』
『ありがとうございます』
通信が切れた。
「片耳イヤフォン外すなよ」
(……インカムつけてると裏方スタッフって感じするなぁ……わくわく……)
「……藤原さん」
ゆかりさんに呼ばれ、振り返る。
「なるべくメンバーといるようにしますが、佐藤さんからも、今日はなるべく藤原さんといるようにと言われてます」
「はい。お手洗いの時もあたしがついていきます!」
「はー、もう、本当にすいません! ご迷惑かけて!」
「ご気分はどうですか?」
「そりゃ……怖いです」
ゆかりさんが自分の手を握った。
「今、すごく逃げ出したいくらい、怖いです。でも、公開収録なんて初めてだから、わくわくもしてるし、でも、犯人が近くにいるのかなって思ったら、やっぱり怖いし……」
「……」
「でも、私は……それでも、やっぱり、みんなに歌を聞いてもらいたいし、楽しんで欲しいです」
その眼差しはとても強い。
「今日はよろしくお願いします! 藤原さん!」
「……はい! 絶対良いものを作りましょう!」
「で、せっかくなので、良い衣装を持ってきたんです!」
「えっ」
「大丈夫です!」
その目は、今までよりも輝いていた。
「白龍からは、許可取ってます!」
——公開収録が始まった。
企画班の野口さんがマイクを握った。
「本日はRe:connectの公開収録にお越しいただき、誠にありがとうございます。写真撮影、録画等は禁止となっております。見つけ次第、すぐにデータを削除していただき、会場から出て行っていただきますので、ご了承お願いいたします。それでは、Re:connectの皆様、お願いたします〜!」
Re:connectメンバーが——水着姿で出てきた瞬間、ファンが発狂した。
「「ぬわーーーーーー!!」」
「白龍ーーーーー!!」
「彼女がいても好きぃーーーー!!」
「ミッちゃーーーーん!!」
「ゆーかーりん! ゆーかーりん!」
「エメちビーーーーム!!!」
(うるせーーーーー)
野口さんがマイクを白龍さんに持たせた。
『えー……すごいな。……こんにちはー』
客席から、大歓声が起こった。
『あははっ。元気があってよろしいですなぁ。ではでは、まぁ、知ってるとは思いますが、礼儀正しく、いつも通り、ご挨拶させていただこうかな。では、接続準備〜?』
『『完了!』』
『白龍月子!』
『黒糖ミツカ!』
『紫ゆかり!』
『木陰エメ!』
『みんなと繋がる』
『『Re:connect!』』
それぞれの色のペンライトが振られた。中には、号泣しているファンもいた。
『というわけで、本日は配信なし。顔出し有りの公開収録となっております』
『せっかくの公開収録なので、よかったら笑い声とか、ブーイングとか、拍手とか、してくれると嬉しいな!』
「ミッちゃーーーーん!!」
『わぁ! ありがとう〜!』
「反応してくれた!」
「ミッちゃんが手を振ってくれてる!」
「俺、もう死んでもいいや……!」
(いや、良くない、良くない)
『ではですね、カメラの準備もできてるようなので、公開収録、始めていこうと思います』
『『よろしくお願いしま〜す!』』
公開収録用に企画されたのは3つ。
1つめ、時限風船爆弾を持ち替えながら、クイズに答えてもらうゲーム。あたしと高橋先輩がカメラを構え、企画班の野口さんがマイクを握り、問題を出す。
『この地名、なんと読む?』
『るもい!』
『正解です!』
『え、え、かすみ!』
『正解です!』
『任せろ! べいこし!』
『違います!』
『ゆかりん爆発しろ!』
『いけいけ!』
『え、べ、米……子……よねこ!?』
『違います!』
『よなご!』
『正解です!』
『ちょーーーー! 無理ーーー!』
『頑張れ! 母親!』
『ほら、エメち! 子供達が見てるよ!』
『爆発! 爆発!』
『ぬわーーー! むかつくーーー!!』
2つめ、歌詞で歌当てゲーム。野口さんが棒読みで歌詞を読む。
『誰かを好きになること、なんて、私、わからなくてさ』
『『アイドル!』』
『誰も彼も奪われてく』
『君は完璧で究極の』
『『アイドル!!』』
3つめ、ボーカロイド曲、「モニタリング」の歌にて、「し」が来るたびに音が一つずつ上がっていく。
『MWAH! お願い、君がほ「し」いの』
『慰めさせて! 「シ」ェイク! 「シ」ェイク! 愛の才能で!』
『泣いてくれなきゃ!』
『枯れて「し」まう!』
『あ〜無理〜!!』
『飲み干「し」たいんだってば』
『あぁああああ〜〜〜〜!!!!』
メンバーが苦しめば苦しむほど、客席は笑い声に包まれた。BGMが終わり、メンバー全員ステージ上に倒れた。
『ねー……これ企画したの誰……』
『ゆかりんがやりたいって……』
『ゆかりーん……』
『こんなに苦しいと思わなかったんだもーん……』
高橋先輩と目があった。あたしは頷いた。高橋先輩が息を吸った。
「カット!! オッケーでーす!!」
(*'ω'*)
メンバーがアフタートークをしている間に、あたしと高橋先輩が素材を確認する。
(ま……今回は素材が足りなくても……売り上げが作れたから……再生数は気にしなくていいや……)
「いけそう?」
「なんとかします」
『それでは本日は誠に』
『ありがとうございました〜!』
拍手に包まれる中、メンバーたちが楽屋に戻っていく。あたしと高橋先輩が目を合わせた。
「……襲撃、されなかったな」
「ですね」
「……なんか胸騒ぎがするんだよな」
高橋先輩がカメラを持った。
「ふじっち、先楽屋行ってて」
「はい」
あたしが裏口から出ていくと、受付スタッフがあたしに声をかけた。
「あの、すみません」
「はい?」
「なんか、ゆかりさんの関係者の方がいらっしゃってるみたいで……」
(……今回、関係者招待とかなかったよな?)
「一言ゆかりさんにご挨拶したいと」
「……あー、でしたら……あ、いや、ちょっと待ってください」
スタッフに言った。
「あたしが行きます」
「えっと、ゆかりさんは……」
「楽屋から出ないように伝えてもらえますか?」
「あ……わかりました」
あたしが受付カウンターへ向かうと、花束を持った、オフィスカジュアルな服装をした、女性が立っていた。あたしが声をかける。
「すみません、ゆかりさんの関係者の方ですか?」
「あ、はい」
女性が優しそうな笑顔を見せる。
「橋本です」
「運営部の藤原です。すみません、どういった関係でしょうか?」
「えーっと、元々同じ会社で働いていた、先輩です」
「橋本さんが、先輩」
「はい」
「招待されましたか?」
「えっと……話通ってませんか?」
「すみません。何かメッセージのやりとりとかあります? LINEでもいいんですけど」
「通話だったので」
「通話。……そうですか。通話……」
あたしは西川先輩とゲームして遊んでいたゆかりさんを思い出しながら——慎重に会話をする。
「すみません。今回、関係者の方への招待っていうことが出来なくなってまして、あくまで、入場券を当選した方のみの入場となっているんです」
「あ、挨拶だけでいいんです。ゆかりが好きな花を持ってきたので」
「じゃあ、渡しておきます」
「いえ……あの」
女性が花を守るように抱えた。
「挨拶だけでいいって、言ってますよね?」
「……楽屋には、他のメンバーもいるので、連れて行けないんですよ」
「あ、でしたら、裏で待ってます」
「いえ、裏でもダメなんです」
「関係者ですよ?」
あたしはインカムを後ろに持ってボタンを押した。
「えーと、ゆかりさんに、橋本さんが来たってお伝えしたら、話わかりますかね?」
「そうですね。呼んでいただけるとわかると思います」
「ちなみになんですけど、すみません、何度も、疑ってるわけではないのですが、一回、LINEでやり取りとかってしてもらえますかね?」
「あの、関係者って言ってますよね?」
「いや、それが、今、その、ちょっとよろしくないファンが増えてまして、タレントたちを守らなければいけないので、関係者の方でも、メッセージ等を見せていただくご対応をお願いしてるんですよ」
「通話ってさっき言いましたけど」
「あ、でしたら、通話の履歴とか残ってますよね。それ見せてもらえます?」
「あの、見てわかりませんか? 私、花持ってますよね?」
「ですので、花持ちます」
「なんなんですか、さっきから!」
「いえ、花を持ちますので、履歴を……」
「あなたさっきから失礼ですよ!」
そこへ、高橋先輩が走ってきた。
「すみませーん! どうしました?」
「この人、すっごい失礼なんですけど!」
高橋先輩があたしを見た。あたしは——冷や汗を流しながら、手の震えを隠し、頷いた。高橋先輩が女性振り向く。
「すみません、うちの者が……」
「紫ゆかりの関係者です。挨拶だけでいいって言ってるのに、すっごい疑ってくるんですけど!」
「いやぁ、本当にすみません。申し訳ないです。こちら、ゆかりさんへのお花ということでよろしいですか?」
「はい、直接渡したくて」
「あー、そうですか」
その直後——高橋先輩が女性の両手を思い切り叩いた。
「っ!」
花束が地面に落ちた瞬間、中から出刃包丁が滑り出てきた。それを見た瞬間、女性が駆け出すが、高橋先輩が女性に体当たりし、一緒に地面に倒れた。女性が暴れ、叫んだ。
「きゃーーーー! 助けてぇーーーーーー!!!!」
「おい! 誰か来いって!!!!」
外にいた警察たちが、急いで中に入ってきた。あたしは包丁を遠くへ蹴飛ばす。警察が高橋先輩と共に女性を押さえるが、その場で大暴れしだす。
「離してよ!!!!」
「逮捕! 現行犯!」
「わーーーーーー!!!!」
「騒ぐんじゃないよ! ねぇ!」
「もう逮捕だから!」
「大丈夫か! ふじっち!」
「あたしは大丈夫です! 包丁もこっちにあります!」
「離せって言ってんだろ!!!!!」
「押さえろ!」
「暴れるな!」
「今客会場から出すな! その場にいさせろ!」
「インカム失礼します! トラブルが起きたので、お客さん出さないでください!」
「あぁぁあああーーーーーー!!!」
「えっ」
——女性が顔を上げた先に——睨む白龍さんと、真っ青な顔のゆかりさんが立っていた。
「……橋本さん……何してるんですか……?」
女性が急に大人しくなり、黙った。ゆかりさんが、体を震わせている。
「え……ていうか……なんで……ここに……」
高橋先輩が女性のスマートフォンを奪い、確認した。
「ゆかりさん、犯人です」
「……いや……え……」
「IPアドレスが特定したものと一緒です」
「あの……その方……5、6年前に……働いてた会社の……お世話になってた……先輩なんですけど……」
女性は、ゆかりさんから目を逸らした。
「……橋本さん……何やってるんですか……?」
「……」
「何……やってるんですか……?」
ゆかりさんの目から、涙が落ちた。
「ねぇ! 何してるんですか!!」
「黙ってないでなんとか言えよ」
白龍さんが女性を睨み続ける。
「絶対許さないからな。あんた」
「……」
「なっ、なんで、なんで橋本さん、なんで……!」
「ミツカ、ごめん、ゆかりんお願い」
「ゆかりんおいで」
「ちょっと待って、本当に意味わかんないんだけど!」
「一回パトカーに連れて行きますので」
「お願いします」
女性が警察に連れて行かれ、とぼとぼ歩いていく。高橋先輩がインカムのボタンを押した。
「トラブル終わりましたー。退場案内お願いしますー」
「あの、すいません」
警察官に、声をかけられた。
「なんか、包丁があるって聞いたんですけど」
「あ、ああ……こっちに……」
「あら、本当だ!」
隅の方に飛ばされた包丁を警察官が手に取り、布で包んだ。
「これは危ないねぇ〜」
「……後のことって、もうお任せして大丈夫ですか?」
「ああ、もう、ここだと、人も多いので、はい、パトカーで話聞いておきますので」
「あ、わかりました。すいません、事情聴取? ができましたら、情報とか共有してほしいんですけど」
「責任者の方って」
「あ、一応、あたしと、あの、男性の方が」
「お名前聞いても?」
「藤原です。で、向こうが高橋です」
「あ、わかりましたー」
「よろしくお願いします」
警察がパトカーに向かって走り出した頃、劇場の扉が開いた。ちょうどよく、観客たちが満足そうな顔で劇場から出て行ったのだった。




