第37話
「……お前、その首どうした?」
「野良犬に噛まれました」
「うわ、マジ? やば。よく死ななかったな」
「ええ。本当ですね」
噛み跡を隠すために貼ったガーゼから、高橋先輩が視線を逸らした。
「では、ミーティングを始めます。よろしくお願いします」
ホワイトボードには、ゆかりさんのストーカーについて、と記載されており、あたしと、高橋先輩と、佐藤さんとでミーティングが開かれる。佐藤さんがあたしに頭を下げた。
「藤原さん、昨日はありがとうございました」
「いえ」
「お前、タレントと会食する時は連絡しろ」
「いや、あの、突然誘われたんですよ。サクラ梅さんについての企画で相談があるからぜひ、とのことで……後から連絡しようとは思ってました!」
「まぁいいや。あとから説教」
(クソが)
「状況としては、顧問弁護士と警察には連絡していて、引き続きパトロールを強化していただけるそうです」
「これ、いつからですか?」
「二年前です。最初はちょっとした嫌がらせから始まり、どんどんエスカレートしていって、今でもずっと続いている状態でして……」
「握手会には?」
「特に事件は起きなかったんですけど、あの、よくない手紙は届いていたようです。でも、殺害予告は基本いつも届いているので……こちらも弁護士に相談済みです」
「やれることは全部やってる感じですかね」
「はい……」
「しばらくは白龍さんの家に泊まるそうです」
「ん。そうですね。一人にしない方がいいです」
「なるべく私が対応しますが、何かあればすぐにご連絡ください」
「わかりました。ふじっちも把握しといて」
「はい」
「では……話が変わりまして、今月の動きについてなのですが……」
しばらくは四人で動いてもらうことになるので、それに合った企画や方針の話し合いが終わり、あたしは席に戻る。
(はぁ……一難去ってまた一難。一仕事する前に、お弁当食べよ)
テーブルに置いてあった西川先輩手作り弁当の蓋を開けると――海苔で、書かれていた。
『月子のばーか!』
(うるせ! ばーか!)
「ふじっちー」
高橋先輩があたしの側にきて、弁当を眺めてきた。
「うわ、何お前その弁当」
「……ルームシェアしてる友達がくれたんです」
「弁当に殺意が込められてんじゃん」
「喧嘩して」
「バールでドア叩かれないようにな」
高橋先輩がネットニュースの記事を見せた。
Re:connectの紫ゆかり、生配信中にアンチリスナーが自宅襲撃。
「ゆかりさんもやるよな。バールで襲撃されてるところが映ったモニターを配信で見せて、リスナーの好奇心を突きつつ、SOSも送る」
「配信者の鏡です」
「撮影、30日に延期」
「でしょうね。了解です」
「ちなみに、これたぬきの記事なんだけどさ」
雑談たぬきに書かれたスレッドに、こう書かれていた。
【リコネの紫ゆかりスレ】
>ドーム埋めたからって調子に乗りすぎ
>会社から逃げた社会不適合者のくせに社畜語ってんじゃねぇよ
>絶対働いたことないだろあれ
>まぁまぁヒキニートは落ち着いてくださいな
>いかにも私わかってますよ感出してるのキショ杉牧場www
>ただのビッチ
>水着配信とか下着見せる配信とかどんだけ自己肯定感高いんだよ
> た だ の ブ ス
>おπの形は花丸
「高橋先輩、たぬきなんか見てるんですか? これ、ただの暇人の集まりですよ? 本当に忙しい人は、たかが掲示板なんかに構ってないで、24時間寝ずに働いて、納税してます」
「ここ」
高橋先輩が指を差した。
>ゆかりんの家襲撃成功wwww まぢザマァwwwww
>はいはい、偽物お疲れ
>ガチだったら犯罪者
>お巡りさんこちらですー
>以下がゆかりんにあげたプレゼントですwwwww
3月5日カミソリレター配布。9月24日包丁ボックス。1月1日ミルワーム配送。5月12日窓ガラス破り。12月10日ハンマー攻撃。4月7日猫の死骸放置。6月26日バール襲撃←NEW!
「これ、社長が知り合いのハッカーに渡してくれたみたい」
「へぇ、ハッカー。すげえ。わかるもんなんですか? それ」
「どうだろうな」
「警察には?」
「伝えてある。しばらくゆかりさん、白龍さんの家にいるって言ってたか?」
「そのように聞いてます」
「ん。そうだな。しばらくそっちの方がいいな。もうこうなってる以上、徹底的に詰めないと、命が危ないからな」
「ですね」
「撮影の時も、テンション下げられたら困るから、あまり話題に触れないようにな」
「わかってます」
「それと、会食時は」
「報告します」
「……あのさ」
高橋先輩が声をひそめた。
「実際のところ、白龍さんって彼女何人いるの?」
「……先輩もそう思います?」
「いや、あれは絶対女遊びすごいだろ。モテるだろうし」
「あたしもそう思うんですよね」
「何、そういう話してないの?」
「……してませんよ。その……世間話してる途中でゆかりさんから連絡きてしまったので」
「いや、俺もさ、いろんな人に関わらせてもらってるけど……」
高橋先輩の目が鋭くなった。
「あれは女食い激しいタイプだと思うぞ」
「遊びまわってますよね。あの感じ」
「お前口説かれないの?」
「……タイプじゃないみたいです」
「んだよー。つまんねーな! お前、女にもモテないのかよ!」
(うるせぇな!)
「またなんかあったら随時報告」
「承知いたしました」
「じゃ、次の案件片付けてくるわー」
高橋先輩が次の現場に向かうため、大きな鞄を抱えて歩いていった。
(……どうせあたしはモテませんよ)
そう思いながら、再び弁当に箸を入れた。
(*'ω'*)
本日のタスク終了。
あたしは家に帰る前に、連絡した。
<ゆかりさん、お疲れ様です。個人的なご連絡にはなってしまうのですが、白龍さんの様子はどうですか?
>藤原さん、お疲れ様です! いつも通りです!
(いつも通りがわからないんだけど……)
上を見上げると、最近住み始めたタワーマンションが目の前に。
(はぁ……帰るの憂鬱なんだけど……。……ネカフェ行こうかな……)
>藤原さん、本日いつ帰られますか? それに合わせて配信つけたいなーと思ってまして!
<今夜、よろしければネカフェに行きますよ!
(よし、決めた。行こう)
一歩足を踏み出したその時、ゆかりさんから通話が来た。
「もしもし、お疲れ様です! 藤原です!」
『お疲れ様です! すみません……あの! 藤原さん! ちょっと帰ってきてほしくて!』
「あ、大丈夫ですよ! あたし、ネカフェ行くんで!」
『いえいえいえ! あの! えっと! ちょっと、聞きたいことがありまして!』
「え? はい! 今、教えますよ!」
『あ! ちがっ、あの! ちょっと……確認したいことなので、一回家に帰ってきてほしいなー? なんてー?』
「……あのー……」
あたしは少し、マンションの周りを歩き始めた。
「ちょっと、昨晩……白龍さんと喧嘩になりまして……。あの、ゆかりさんのことではなく……互いの……ちょっと、いろんなことが……あって……今……どんな様子ですか?」
『あー、あの、……普通です。全然、いつも通りです』
「はぁ、いつも通り」
人の首に噛み跡残しておいて、普通通り。
「そうですか」
『あの、撮影日とか……あのー、色々詳細聞きたいので、一回帰ってきていただけると……』
「(……ゆかりさんに罪はない)……わかりました! すぐに帰りますね!」
ただでさえ不安な状況のゆかりさんを、さらに追い詰めるようなことをしてはいけない。ここは、あたしが大人になろう。
(でもさぁ、昨夜の行為は……結構モラル違反だったと思うんだけどなぁ……)
――あはは! 泣いた! 泣いた! ばーか! 月子はブスだねぇ! 全然可愛くない! そんな顔でよく生きていけるよな! 昔から何もできないくせに粋がってさ! 頭も悪くて、バカで、マヌケで、ブスで、私がいないと、お前何もできねーじゃん! お前! 私に、もう少し感謝するべきだよね! 月子!! 聞いてる!? ねえ! 顔隠してんじゃねぇよ!! ブスな顔見せろみろって! 月子!!
――っっ……!!
――っ、いっ……、おまっ、この……!
――い、痛い! 痛いってば!! この! モラハラ!! 女好き!! 歌以外、取り柄なんかないくせに!
――てめっ……!
――痛い!! 痛い!!! やだ!!! やめてったら!! 離してよ!! 嫌い!! リンちゃんなんか、大嫌い!! バカ!! バカぁーー!!!
(……いくらあたしでも、許せることと許せないことがあって……)
パスワードを入れて、鍵を開ける。
(西川先輩はさ、自分の思い通りにならないことがあったら、急にすごい乱暴になる癖が……)
——玄関に西川先輩が立っていた。
「……」
あたしは驚きすぎて、無言になった。
西川先輩があたしを見た。
あたしはドアを閉めた。
玄関に、重たい空気が流れる。
「……そこで何してるんですか」
「……や、あのさ」
「風邪ひきますよ」
「月子」
あたしはリュックを地面に下ろし、靴を脱いだ。そして、——西川先輩の前で立ち止まり、見上げた。
「はい、なんですか?」
「……昨夜は、ごめん……」
「……」
「……かなり……乱暴だったし……人として……最低だった……」
「……あたしも、言いすぎました」
頭を下げる。
「ごめんなさい」
「いや! ……私が、ちょっと……や……うん……かなり……態度悪かったから……」
「……あたしも……頭に血が上ってしまって、……先輩のことをまるで考えてない、言葉が……結構……すごく、出ていたと思います」
「や、それは……別によくて……」
「いえ、調子に乗って……言いすぎたと、自覚してます。先輩がキレるのも……冷静になって考えたら……理解しました」
「いや……昨日は、私がさ、なんか、すごい……本当に、大人げなかったから……」
「……あたしが6年間、連絡をしなかったのは、事実なので……」
「……まぁ、でも、……また会えたし。……一緒に住んでるし……」
「……」
「ごめん、ちょっと……」
西川先輩が——優しい手つきであたしを抱きしめた。あたしの手も、自然と西川先輩の背中に触れた。いつも大きなリンちゃんが、少し、小さく見えた。
「ごめんね、月子。……痛かったよね……」
「……あたしも、ごめんなさい。……先輩が嫌な言葉、沢山聞かせてしまって」
「いや、もう、全然、気にしてないから」
「バカって、言ってしまって」
「いや、それなら、私の方が月子にすげー嫌なこといっぱい言っちゃったから……全然、思ってないことだから、本当に、全部、全く、思ってないから、昨日のやつ。ただ、なんか、もう本当に……月子が傷付きそうだなって思った単語、並べただけの、もう、なんか、本当に……ごめん……」
「先輩は悪くありません。あたしが……そうさせたんです」
「違うって、本当に、月子は悪くないから!」
「セフレ、とか、彼女、とか……あたしの他にいるって、思っておいた方が……いざそうなった時、傷つかなくて済むと、思って……」
「……」
「今なら、西川先輩があんなに怒った理由がわかるんです。先輩が、ちゃんと真剣に、あたしに向き合ってくださってること、わかってたのに……自己中心的でした。本当に……ごめんなさい」
「ううん。……私も配信とかやってるからさ、月子を不安にさせたんだと思う。だから……やっぱり、月子は悪くないよ」
西川先輩が、そっと、首に貼るガーゼに触れた。
「これ、痛かったよね。ごめんね」
「……大したことないです」
「ツゥ」
「痛くないです。こんなの。西川先輩の痛みと比べたら……平気です」
「……今夜はツゥの好きなもの作ってるからね」
「……お弁当……美味しかったです」
「おかず全然入ってなかったのに?」
「海苔、好きなので……」
「明日はもっと美味しく作るからね」
「……あ……」
顔を近づけてきた西川先輩に口元に手を添えて、止める。
「あの、ゆかりさんが、いるので……」
「……大丈夫。今、ツゥの部屋でゲーム配信してるから」
「……本当ですか?」
「うん」
「……それじゃあ……」
瞼を閉じると、西川先輩の唇が沢山降ってきた。
「ツゥ」
「ん……んぅ……」
「月子……」
(あっ……)
西川先輩に引っ張られて、寝室に連れていかれる。ドアが閉められ、——西川先輩が鍵を閉めた。
「ツゥ……」
「あの、んっ、まだ、んぁ……て、てぇ……洗ってないので……」
「後で洗えばいいから」
「あっ……」
ベッドに座らされ、リンちゃんがあたしに跨り、昨晩とは全く違う、溶けてしまいそうな甘くて優しいキスをしてくる。
「ん……月子……」
「はぁ……リンちゃん……」
ジーパンのチャックを下ろす音が、生々しくて、気持ちを昂らせる。一度、リンちゃんの腕を掴んだ。
「待って、シャワー……入ってないから……」
「大丈夫。後から一緒に入ろうね……」
「あ……」
リンちゃんの手が、躊躇せず下着の中へと入っていった——。
「月子、どこ見てるの? 顔あげて」
「あ……ん……リン……ちゃん……」
「キスしよ……?」
「ん……ちゅ……んぅ……」
「はぁ……ツゥ……好き……」
「ん……あっ……ぁっ……」
「ツゥ……ふふっ……可愛いね……」
「リン、ちゃん……あの……」
「んっ……なぁーに……?」
「昨日……ゆかりさん……を、んっ……助けに、行った時……」
「うん」
「あたしと……ゆかりさんを……んんっ……一人、じゃなくて、二人とも、助けようとしてくれてた……姿が……」
リンちゃんの目と、目が合った。
「かっこよかった……です……」
「……ほんと?」
「んっ!」
手が動いた。
「もっと言って?」
「んっ……んっ……んっ……!」
「かっこよかった? んふふ。嬉しい。惚れ直した?」
「あ……んん……んっ……」
必死に頷くと、リンちゃんがキス出来そうなくらい、近くで聞いてきた。
「月子、私のこと、好き?」
「ぁっ……好き……リンちゃんの……こと……ちゃんと……好き……だから……!」
「……っ、私も……月子のこと、ちゃんと……大好きだよ……!」
「あたしも……リンちゃん……大好きっ……」
「私、私ね、月子だけだから、全部、月子にあげるから……!」
「はぁ……あっ……んっ……やぅ……!」
「月子も全部、私にちょうだい……!」
「んっ……ん、ゃっ……んぅ……リン……ちゃん……!」
——脱力し、息を切らしてベッドに倒れた。
「……っ、……っ」
「月子……」
(リンちゃん……)
唇を重ね合わせれば、離れないように体もくっついた。お互いの舌を絡ませあって、離れたら、唾の線が出来た。
「昨日さ、痛いことしかしなかったから」
リンちゃんが薄気味悪く、だけど情熱的な下心を込めた、はしたない笑みを浮かべ、着ていたパーカーを脱いだ。
「今日は、気持ちいいことだけ、しよっか……♡」
リンちゃんの手が、よりスケベに触れてきた。
「……リン……ちゃ……あっ……」
「ん……ここ……いいね……」
「あ……あっ……」
「月子……はぁ……可愛い……もっとこっち見て……? 月子……ほら、もっと……、はぁ……月子の……おめめ、キラキラしてて……綺麗だねぇ。まつ毛も長くて、お肌プニプニで、いいねぇ……。月子……。綺麗だよ……。世界で一番、本当に……月子だけ……」
「リンちゃん……!」
「はぁ……月子……月子……!」
<こんばんは! しごおわです!
『お仕事お疲れ様ー! うわー! おばけきたぁーーーーーー!』
<ゆかりんが元気そうで本当に嬉しい
<ゆかりん! 後ろぉ!
<ゆかりんって今白龍の家?
『そう! 今、アンチに襲撃されて、白龍の家に避難中で……あーーー! 死んだーーーー!』
<惜しい!
<迷路すぎて目が回る
<白龍、ピリィちゃんに謝ったのかな……
『え? 白龍? あー。なんか、うん。ピリィちゃんね、帰ってきたっぽいけど、全く姿見せてないから、多分ね、寝室の方がね、騒がしいからね、多分、あ、うん、いや、私は近づいてないけど、うん、なんか、うん、勘がね、なんとなくね、部屋から出るなって言ってる気がするから、うん、とりあえず、これクリアするまで頑張る!』
カーソルが、continuedのボタンを押そうとした瞬間、スパチャが飛んできた。
「ん」
6月30日、新宿駅にてゆかりん襲撃!
「おー」
6月30日、スタジオ前にてゆかりん襲撃!
「……」
6月30日襲撃6月30日襲撃6月30日襲撃6月30日襲撃6月30日襲撃6月30日襲撃6月30日襲撃6月30日襲撃6月30日襲撃6月30日襲撃ゆかりんへリア凸襲撃襲撃爆破予告ゆかりんの内臓を爆発させますゆかりん殺す殺害予告爆破予告襲撃襲撃6月30日新宿殺害爆破襲撃ゆかりん6月30日に会いに行きます。
「いやいや、怖いって!」
冷静にスクリーンショットを撮る。
「やめてよー。こんな時に笑えないってー」
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