第27話
「……すみません、はい、あの、リモートで、あの……二日酔い……あ、編集長も……あ、ですよねぇ……いやいや、お互い……はい……まぁまぁ……こんな日もありますよってことで……はい、はいはい……はいすみません、はいー……」
通話を切った途端、あたしは盛大に吐いた。もう脱水症状の脱水症状が脱水症状。胃からは水しか出てこない。体が痙攣し、震え、便器を抱きしめる。
(もう無理……)
「ただいまー」
(あ……帰ってきた……)
「ツゥー」
トイレのドアをノックされる。
「胃薬買ってきたよー」
(か……神……)
「開けるよー」
ドアが開けられ、便器を抱きしめてぐったりするあたしを見て、西川先輩がしゃがみこみ、胃薬のキャップを開けた。
「はい、ツゥ、飲んで」
「いやぁ……飲んだら吐きそうです……」
「一応ね、玉の薬も買ってきたから」
「うぅ……」
「バカだね。事前にウコン飲めば良かったのに」
「もう……次から……そうします……」
あたしはそっと胃薬を飲んだ。うっ、苦い……。
「ツゥ、ちょっと抱きついて」
「え……ゲロまみれですよ……それでもよければ……」
「せーの」
——西川先輩があたしを抱えて持ち上げた。ひぃ!
「先輩!」
「あ、ダンベルの重さー」
「ダンベル!?」
「あ、いけるいける。意外とそんなに重くないかも」
「じ、自分で歩きます!」
と言ってるうちに、ソファーに置かれた。はぁ! 怖かった! 西川先輩が隣に座り、あたしの頭を自分の肩に寄せた。
「今日リモートならゆっくりできるね」
「……少し休憩してから、仕事します」
「今日くらい休んだら?」
「いえ、やるって言ったので……切り抜き2本くらいは作りたい……」
「頑張るねぇ」
優しい手が頭を撫でてくる。——なんか……。
(これ……好きだなぁ)
ぼうっとしながらテレビを見つめる。
(手、あったかい……)
「……昨日ってどこまで覚えてる?」
「いや、それが本当に覚えてなくて。気がついたら先輩のお部屋で寝てました」
「そっかー」
「なんか切り抜けそうなところありました?」
「んー……いや、先にエメとかの方がいいかも。昨日ゲーム配信中に子フラにあって盛り上がってたし」
「あ、それいいですね。親御さんがドアノックしたり、あのヒヤヒヤ感がたまらないんですよね」
「そうだねー」
「ああ、そうだ。思い出した。企画まとめないと。……もう本当に……感謝してくださいよ。あたしたちのこと」
「うん。感謝してるよ。正直前の事務所より全然動いてくれてるし、お金も出してくれてるから」
「本当ですよ」
「なんて言ってた?」
「何がですか」
「スイ」
あたしは深呼吸した。
「機密情報です」
「私、グループのリーダー」
「グループに亀裂が入ったら困りますから」
「五年一緒にいるから平気」
「五年ですか」
「そう。五年」
「もめごとを起こしたくないのですが」
「大体わかるけど」
「本当ですか?」
「心が弱いからできません。メンタル壊れるからできません。トラウマがあって怖いです。あれ嫌です。これ嫌です。自分からは言えません。察してください。気づいてください。あなたたちがなんとかしてください」
あたしが黙ると、西川先輩の指があたしの髪の毛をいじり始めた。
「当たってる?」
「スイさん今おいくつですか?」
「27」
「え!?」
「うん。年上なんだよ。ああ見えて」
「27で、あんな感じなんですか?」
「うん」
「あの、お言葉ですけど……なんでグループに入れたんですか?」
「前の事務所が一番推してたアイドル。ただのアイドルだと売れないからグループで組んでみて〜って感じ。多分ね、萌え声だから一番売れるって思われてたんじゃないかな」
「声はいいんですけどね。トークが……」
「身内ネタばっかでわけわかんないでしょ。初見リスナー取りづらいよって、何度も話し合ってるんだけどね」
西川先輩があたしを見つめてきた。
「一応リーダーだからさ、これ聞きたいんだけど」
「はい」
「なんとかできる?」
「します」
昨日はお酒に逃げたけど、これがあたしたちの仕事だ。
「嫌なら引退してもらいます。ただ、その言葉が出ないうちは、こちらで操らせてもらいます」
「わ、すごい。心強い」
「本人がマリオネットになりたいならそうするだけです。ちゃんと軸がぶれていないのであれば、やりたいことも方向性もちゃんと言えるようになると思うので」
高橋先輩に連絡する。
——15時からスイさんについて打ち合わせしたいです。
——りょ。
「動画編集者にNOはないんです。やるだけやります。数字を増やすことが仕事ですから」
「ふふっ! 頼もしい! じゃあスイが終わったら私も見てもらおーっと」
「ああ、もう、先輩は大丈夫です。もう、そのままお好きなように進んでください」
「ちょっとまって、それはいくらなんでも放置すぎない?」
「いや、他にも見ないといけない人いるんで」
「五人まとめてRe:connectなんですけどー?」
「いや、いいですよ。先輩は。もうお好きなように歌動画も出していただ……ぬん!?」
パジャマを剥ぎ取られ、あたしはキャミソール姿を隠す。
「何するんですか!」
「お風呂入ってないから臭いですー」
「一日入ってないだけじゃないですか!」
「お酒とゲロまみれの匂いで臭いですー」
「今日どうせリモートだから平気です!」
「私が無理でーす」
「ちょ」
お風呂に引っ張られる。
「ちょ、おふ、お風呂は! 自分で入ります!」
「二人で朝風呂かぁー。楽しいねー。ツゥ〜」
「ちょ、まじで、今日は、本当に、無理……!」
「大丈夫」
西川先輩があたしに振り返り——笑みを浮かべた。
「それだけ元気なら、全然いけるって」
(無理だってばーーーーー!!)
浴槽へ引っ張られる。
(無理無理無理無理! またあんなことやこんなことされたら、今度こそ体が持たない!)
「はい、うがいしてー」
「ぐちゅぐちゅ! ぺっ!」
「ほら、目つむってー」
「ん!」
「はい、良い子だねー。体洗うよー」
「ま、前は自分でやります!」
「いいから前ならえして」
「わ、わきは、自分で!」
「いいから」
「あの! そここそ自分で!」
「キスしようね。ん」
「んー!!(汚いから触るなー!)」
「はい、おわりー」
「ふぁっ……」
柔らかいタオルで包まれて、暖かなルームウェアに着替えさせられ、優しい手つきでドライヤーをかけてもらう。
「……」
「うん。これで私と同じ匂い」
西川先輩の唇が頬に押しつけられた。
「お仕事頑張ってね」
「……」
「……何? もしかして、したかった?」
「っ、な、し、したくないです!」
「ん? 何が?」
「だから、二日酔いなので、体がもたないので!」
「うん、だから、自分でできないと思ったから、髪と体洗って、ドライヤーかけてあげたでしょ?」
「ん!?」
「え? ……ツゥ」
これは完全にからかいモードの顔だ。
「何が、したくないの?」
「……っ」
「あれ〜? ツゥ、何の話をしてるのかな〜?」
「……」
「何がしたくなかったの〜?」
人をからかって遊ぶ目の前の女を殺意を込めて睨むと、西川先輩が吹き出した。
「あははは!」
「蹴りますよ」
「こらこら、物騒なこと言わない」
西川先輩があたしを抱きしめ、耳元で囁いた。
「スイのこと、頼むね」
「……はい」
「よし。……今度はウチでお酒飲も? シャンパン開けよ」
「あれは先輩の誕生日にしましょう?」
「誕生日を家で過ごすつもり? いいよ。いつでもシャンパンなんて手に入るんだから、落ち着いたら二人で飲もう」
「……はい」
「……ツゥ、もうちょっとこうしてない?」
「……はい」
「……ふふっ。月子はあったかいね」
それから、ほんの少しの間だけ、あたしは西川先輩の体温を盗んでいた。
(*'ω'*)
15時、高橋先輩との打ち合わせ。昨日話した内容を伝えた上で、あたしの考えを伝える。
『清純派のままで人気になりたい。ただ具体的な動き方はわかってないってことか』
「この場合、マリオネットになってもらった方がいい気がします。数字が伸びれば相手も文句は言わないかと」
『ショート動画でいくつかパターン試してみるか』
「そうですね。そのためのショートですから」
『今日中に企画班に話振るから』
「お願いします」
企画にはスイを中心には置いているが、他のメンバーのことを忘れているわけではない。清純派のままスイが動ける企画などいくらでもある。企画班がいくつか提案し、採用されたものを高橋先輩が持ってくる。
撮影日、いつものようにRe:connectのメンバーが集められる。
「では撮影行っていきますー! よろしくお願いしますー!」
今回の撮影は台本だけに沿った撮影となった。しかし、さすが五年活動しているメンバーである。セリフに沿った自分の言い回しを理解している。
曲が流れてくる。
「あ」「る」真ん中に一文字を入れると、どんな言葉ができるかな?♪ 3、2、1!
「アナ……」
「言わせねーよ!」
「ストップ!」
「ダメ絶対!」
「リーダーがメンバーの首絞めてどうするの!?」
「いや、アニメのキャラだからこれ」
「規約上の問題だから!」
「だからアナ……」
「言わせねーよ!」
次。自分は何位? 清純派歌い手。
「うお〜!」
「一位は私だー!」
「月子、向こう行けよ!」
「スイが一位だもん!」
「うるせえ! 一位は渡せねぇ!」
「ふんごー!」
次、コント。
「Re:connectの方針について話し合いたい」
「どの口が言うか」
「清純派歌い手だよね!」
「え、社畜歌い手の間違いじゃなくて?」
「ゆかりん、それ社畜時代の思い出が蘇ってない?」
信じられますか? コントはともかく、これら全て、台本です。展開も全て、台本です。
(他の企業はアドリブでやってるのかな? いや〜、尊敬しますねぇ)
作られた素材を今度はあたしが編集、投稿の流れ。
(さぁ、どうなるかな?)
参考にした元ネタ動画のハッシュタグも参考にタグの設定をし、高橋先輩に見せる。
「よし、GOだ!」
こうして投稿ボタンをクリック。あとは様子を見るだけだ。コントが三日間で70万再生。素晴らしい! 他の企画も平均的に悪くない数字だ。
(実はスイさんを中心に置いた台本だとばれずに巧妙に作られた動画。ああ、どうか伸びてくれ! そのために台本を作ったんだから!)
だらけずテンポがいい動画は非常に伸びやすい。数字は今までよりもいいものとなった。企画班のマーケティング力も素晴らしく、おかげでスイさんのチャンネル登録者数は格段に上がった。
(よしよしよし! 会社が本気を出した数字が見て取れる!)
佐藤さんも喜び、Re:connectの評判は右肩上がり! いやぁ! とても良い傾向だ!
しかし、現実はそう簡単にいかないものである。
『本当はこれをお話しするのもすごく考えたんですけど……でもスイメンのみんなには言っておかないとと思ったので、お話しする決意に至りました。その、言わせていただきますと、Re:connectで出してる伸びてる動画、あれ全部台本です。その……スイとかメンバーとかって、運営さんにやりたい企画とか話してるんですけど、それ全部無視されて、やりたくないことをさせられて、でもその動画が伸びて、それって、なんかおかしいなって思って……だって、せっかくグループで歌い手として活動してるのに、こんなのって変じゃないですか? スイにだってやりたいことはあるのに、こんなの、意味ないじゃんって……思って……。メンバーも運営さんが言うならって言うこと聞いてますけど……前はそうじゃなかったじゃんって思って……今まではさ、もっと自由にやりたいことできてたんですよ。それが……なんか……全部運営さんに操られてるみたいで……本当に、皆さんの期待を裏切っちゃってごめんなさい。でも、負けたくないなと思って。今回のこの件で離れる人は本当にしょうがないと思う。でもスイも声を上げ続けるから、応援してくれる人は、これからも応援してほしいなって、思います……本当にごめんなさい……』
スイさんのこの配信は瞬く間に非公式から切り抜かれ、ネットニュースになり、あたしが働く会社にクレームが殺到した。このネタはネットでいいカモとなり、様々なインフルエンサーが有る事無い事取り上げた。SNSを見ても「Re:connectのメンバーを苦しめてるなんて許せない!」や「Re:connectは悪くない、運営が悪い! 絶対俺は許さない!」や「Re:connectが売れてるから、運営様はさぞ手放したくない商品だろうな」などの皮肉めいた言葉があげられている。
これについて、Re:connect運営部が集められ、会議が行われた。
「率直に言って、情報漏洩の契約違反です」
「この場合ってどうなるんですか?」
「まぁ、結構な損失が出てるっていうのもあって、スイさん一人を訴えることもできます……けれども」
「訴えるためにやってませんからね。こちらは」
「これが一人だったら簡単ですけど、グループですからね」
「なんでこんなこと言うのかな……」
「ちょっと……悲しかったですね」
「いや、ちょっとどころじゃないですよ。言って、全員を裏切ってる行為ですからね。これ」
「すみません」
あたしは泣きながら頭を下げた。
「あたしの説得力不足です」
「違う違う。お前じゃない」
高橋先輩があたしの頭を無理やり上げた。
「これは流石に水城スイが筋を通してない」
「いえ、一回やりたい企画をやらせるべきでした」
「いやいや、それダメだから。自分の金でやるなら勝手だけど、撮影費こっち持ちだから、そこはこっちの言うこと聞いてもらわないと」
「んん……」
「これ一回許すとまたやらかしたりしません? 俺はそこが心配です。こっちもボランティアでやってるわけじゃないし、藤原も今回本気で頑張ってたんですよ。とにかくタレントを売るためだけに集中して動画作ってたし、結果も出してます。なのにこれですか。マネージャーをやられてる佐藤さんには申し訳ないんですけど、俺はもう、所属解除でいいと思いますよ」
「佐藤さん、メンバーはなんて言ってます?」
「いえ……もう、高橋さんの言う通りで……あれはスイさんが私たちに断りもなく単独でやったことなので、もう擁護もできない状況です。で、メンバーなのですが、白龍さんの方が話をしたいと言っておりまして、この後、話すところです」
「その内容ってこちらに共有してもらえますか」
「はい、もちろんです」
「一旦スイさんは配信をやらないんですよね?」
「はい」
「わかりました。では、一度改めて情報を整理して、社長と相談します。そこでまた今後の動きが変わってくると思うので、とりあえず企画班は他の案件に行ってください。で、映像制作班は引き続き切り抜き動画を作ってください」
「わかりました」
「解散です。お疲れ様でした」
重たい空気の中での解散。廊下に出て、あたしはハンカチで顔を覆い、高橋先輩が頭を押さえた。
「さて……どうするかな」
「本当にすみません……!」
「いやいや、悪いの向こうだから」
「あの、あたし……話に行きます……!」
「いやいや、お前がどうこうできる問題じゃないから。これ」
「でも、面談したのあたしなので……!」
「27だろ? 言っていいこと悪いことがなぜわからない?」
「前の会社でアイドルやってたって……」
「いやいや関係ないから! タレントも社会人だから! ホウレンソウは当たり前! 費用はこっちが出してる以上、違反行為は違反行為だから!」
「……」
「だからさ、俺が腹立ってるのはそこなんだよ。やりたいことは自分でやりゃいいんだよ。メンタルは弱くてもそこをやる奴はやるんだよ。変わろうとするんだよ。変わりたいけど変われません。そちらさんがやってください。100歩譲って許すよ。で、やったらやったでやりたいことやらせてもらえませんでしたっていうのは、もうこっちからするとただの怠惰なんだよ。だったら別にグループやめて個人で活動すりゃいいんだよ。そっちの方が自分のためだろ」
「……」
「まあいいよ。こうなった以上はもうどうなるか上が決めるから。一旦お前切り抜き作れよ」
「……はい」
「気にすんな」
肩を叩かれて、高橋先輩が喫煙所に向かった。別にお前が悪くないと言われたかったわけではない。今回のことは、スイさんとのコミュニケーション不足で起こった出来事だ。
(……もっと気をつけていたら……)
——西川先輩に顔向けできない。
(……今日、ネカフェ泊まろうかな……)
スマートフォンを起動させると、一件通知が入ってた。
(え……)
水城スイ
>藤原さん、少し話せますか?
「……」
あたしは一旦頭で考えてから——高橋先輩に相談するため、喫煙所に向かった。




