第9話
「だって、先輩、あたし達は——女同士ですよ」
個室が、やけに静かに感じた。
「おかしいじゃないですか。女同士で、恋人って」
ああ、すごい、あたし、今、すごく、とんでもなく、非道で、酷く、冷たい言葉を放ってる。
「だから、曖昧に終わらせられたら、友達にも、先輩にも、誰にも何もばれないまま、上手いこと、こう、すーって、終わるかなって思って」
これが、差別発言ってやつなのかな。
でも、それでも、あたし怖いんです。
エラー人間として、指を差されるのが、怖いんです。
「だから、すごいですよ。先輩は。レズビアンっていうのをあえて公表して、人気とってるんですから。でもタレントってそれくらいじゃないといけないと、あたしも思ってます。だから、はい、先輩は、そのままでいてください」
この関係に終止符を打たなければ。
「あたしのこと忘れて」
人間は忘れる生き物だ。
先輩と距離を置けばきっと忘れられる。
キスをしたことも、抱きしめあったことも、くっつきあったことも、その体温が愛おしかったことも、全部、全て、終わらせたら——忘れられる。
「幸せになってください」
笑みを浮かべると、——西川先輩が無表情で言った。
「契約解除」
「……、……、……え?」
「今ここで別れるなら、プロダクションとの所属契約を解除する」
「……契約、かい……」
あたしの血の気が引いた。——所属契約解除だと!?!?!?
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「どうする?」
「どうするって、な……ちょ……はぁ!? そ、それとこれとは、別じゃねぇですか!!」
そこであたしははっとする。——いやいや、騙されるなあたし。アルコールが頭に回ってきたからって、ここは深呼吸して、冷静に!
「そもそもうちは、そちらさんが契約していたプロダクションの社長がお逃げになったところへ、救いの手を差し伸べてあげてるんですよ?」
「たまたまそっちの会社の社長と、うちのマネージャーが知り合いだったから、そのツテで移籍しただけであって、裏ではもっと良いところから声かけられてるから」
「……」
「元々動画の様子見て、数字が取れたら本契約しようって話だったし。そちらさんには正直全然期待してなかったんだよ。メンバー一同。それを、私がGO出して無理矢理契約したの。意味わかる?」
「……つまり?」
「会社と所属契約したら」
あたしの手の上に、西川先輩の手が重なった。
「いつでも月子に会えると思ったから」
「……」
「高校の頃、月子、いつも私の動画作ってくれてたよね。MIXとかもしてくれて」
「……あのクソ下手なやつですか? よく覚えてますね……」
「今でもあの動画、チャンネルに残ってる」
「もう消してくださいよ。あんなの」
「どうして? 月子が一生懸命作ってくれた動画だよ? 批判コメントしかなかったけど、あそこが歌い手としての始まりだったんだから、残すに決まってるじゃん」
「……それなんですけど……」
今までずっと触れてこなかったが、とうとう触れる時が来たようだ。
「なんで「月子」なんですか……下の名前……」
「白龍苗字にすればあとは好きな名前にしていいって言われたから」
「それでなんで「月子」なんですか。最初「Rin」でしたよね? それ経由の名前でよくなかったですか?」
「月子が見たら気づくかなって思ったのもある」
「あー……」
「動画、本当に見た?」
「……見ましたよ。……10秒くらい」
「10秒! あはは! だと思った!」
「流石にMVは違う担当者にやってもらいますよ。あたし、そこまでの技術はありませんから」
「違う担当者でもいいよ。契約を続けられるのであれば、誰でも」
「だから、それとこれとは話は別……」
「私はどっちでもいいよ? そっちの会社との契約を解除してから大手に行くのでもメリットしか残らないし」
「……なんか……枕営業してるみたい……!」
「ある意味そうかもね」
「いいんですか! そんなことさせて! か、仮にも、好きな人に、枕営業なんか!」
「恋人なんだから、枕でも問題ないじゃん。……月子がそうしたいなら、体だけでもいいよ。私は」
「……罪悪感とかないんですか……?」
「ないね。月子と関われるなら、なんだっていい」
西川先輩を見ると、彼女はにやにやしながらあたしの様子を伺ってる。ああ、楽しそうだこと。
「……別れなければ、契約解除はしないんですね?」
「うん」
「……。……、……わかりました。別れるのは、なしです」
「そう。よかった」
西川先輩が笑顔であたしの手を握ってきた。
「契約継続だね」
「……嬉しそうですね」
「嬉しいよ。だって、セフレじゃなくて、恋人のままなんだもん」
指を絡められる。
「ね、ツゥ、この後暇?」
「明日も仕事なので、帰ります。先輩も配信がありますよね?」
「大丈夫。体調悪いって言ったら休めるから」
「ダメです。数字が出そうな切り抜き動画を作るので、面白い話して、バズるくらい盛り上げてください」
「今夜はホラーゲーム配信なんだよね。怖すぎて眠れなくなるかも」
西川先輩が立ち上がった。お、トイレかな? と思ったら、あたしの隣に移動してきて、ぴったり肩をくっつけてきた。
「ちょっと」
「大丈夫。誰もこないから」
「監視カメラで見られてますよ」
「月子」
耳に息を吹きかけられた。が——あたしは色気と誘惑には負けない。西川先輩を押し退ける。
「お酒臭いです」
「あ、それはごめん」
「……明日は、あなた達の動画を編集する日なんです。遅刻とか絶対できないので」
「ね、あの会社さ、うちから結構近いじゃん? 今のとこ、通勤どれくらいかかるの?」
「もういいですって、その話は……!」
「ツゥのために言ってるんだよ? うち来るなら家賃とかもいらないし……」
「いや、もう、本当に十分間に合ってるので……」
「あ、そっか。わかった。じゃあさ、こうしようよ」
「なんですか」
「白龍月子の個人アカウント、今チャンネル登録者数が20万人なのね」
「はぁ」
「50万人行ったら同棲する」
(……はぁ? 20万人から50万人って……何年かかるんだよ……)
「ね、それならどう?」
(……それなら、まあ、どうせ、行く時にはもう別れてるか)
あたしは笑顔で頷いた。
「50万人ですね。わかりました。いいですよ」
「口約束だと良くないから、録音して良い?」
(……どうせすぐ行かないだろうし、ま、いっか。それくらいなら)
西川先輩が出したスマホに、あたしの声を録音する。
「白龍月子のアカウントの登録者数が50万人行ったら、西川先輩と同棲します」
「はい、ありがとう」
西川先輩が録音を止めた。
「約束ね」
(……さて、いつになることやら……)
この軽はずみな行動を、あたしは1ヶ月も経たないうちに後悔することになるとは、思いもしなかったのである——。




