大坂冬の陣 その2
戦闘準備を整える大坂城。忍びの報告によれば西国勢はあと数日のうちには大坂に取り付くであろう、という状況であった。
いよいよ戦闘が近くなり緊張を高めた大坂城であったが、そんな夜に総構えの外側の門のうち、木津川に近い門の物見から困ったことになったので将をお願いしたい、と報告があった。
「どれ、わしが言って相手してみよう。」
と総大将の豊臣秀吉自らが赴く。
すると門の前に僅かな共を従えた、見るからに立派な騎馬武者が佇んでいた。
「貴殿は?」
危のうござる、と止める配下の声も聞かず秀吉が進み出ると、武者は馬から降りて兜を脱ぎ、膝を折って秀吉に礼をした。その顔を見て秀吉は
「おお、後藤又兵衛基次殿ではないか。黒田からの使者としてきたのか?」
と見知った顔に声をかける。
騎馬武者は黒田家の猛将にして重臣、後藤又兵衛基次であった。
「いえ、某は黒田家の使者として参ったのではありません。主君、黒田孝高と長政殿はイスパニアと結託して九州を制圧し、我が物としようとしております。」
「ふーむ。官兵衛がその策に乗るほどなのだから奴も勝ち目があると見たということか。こりゃ厳しいな。」
「黒田官兵衛様ほどの方が動くとは、生半可な相手ではありませんな。」
と口を出したのはいつの間にか来ていた真田信繁である。
「しかしイスパニアに与する西国大名の旗頭には毛利輝元が就いたと聞きます。それでは黒田殿が天下を取るわけには行かないのでは?」
と疑問を呈したのは本多正純である。
「さすが正純、賢いのう。しかし今又兵衛が言ったとおり九州を得て満足するのか、それとも我らを倒した後に毛利も倒すつもりなのか。見ものだのう。」
と他人事のように秀吉は言う。大戦を前にしてすっかり若返ったようである。
「ともあれ又兵衛殿、そちも黒田の重臣なれば官兵衛が勝ち目を見た戦に乗らないでよいのか?」
と秀吉が尋ねると又兵衛は
「まあ大殿(黒田官兵衛)が博打に打って出るのは秀吉様が播州に来たときに味方するところでもさんざん付き合っておりますが…今回は義がない。」
「義とは?」
「毛利の差配に従うのもそうですが、裏にイスパニアやバテレンがいて、その力を頼りにするというのが某には納得いかんのです。それではたとえ勝って天下を取っても日の本はイスパニアの奴隷になってしまう。」
「まさに貴殿の言うとおりである。貴殿のような優れた将がわしに味方してくれるとはどれほど心強いことか。」
「ではこの又兵衛を受け入れてくださると。」
「無論である。」
ここで本多正純が
「いえ、太閤殿下、後藤基次といえば押しも押されぬ黒田家の重臣。もしかしたら偽りの投降を行い、城内から敵を招き入れる段々かもしれませんぞ。」
と口を挟む。それに横から答えたものがいた。
「兄者、わしは西国にいたから後藤又兵衛殿をよく知っておる。確かに黒田の殿様は謀略の人だが、この又兵衛殿は武辺と忠義の者でそんな謀略には向かぬよ。そんなんだから兄者は陰険だとか言われるのじゃ。」
正純の弟、本多政重である。政重は謀略で知られ、同僚の本多忠勝に「腸が腐っている」と切り捨てられた父正信や兄正純と違い、誠実な武辺者として知られていた。それでいて
父譲りの政治の才覚も持ち合わせ、宇喜多家にいるときも侍大将としてのみならず、内政でも大きな力を発揮していたのである。
「うーむ。政重が言うならそのとおりやも……」
とまだ自身が持てない正純であったが、そこに徳川家の同僚、水野勝成が声をかけた。
「いや俺も又兵衛殿の言うことは真実である、と断言する。」
ときっぱり言い切る勝成に真田信繁が
「なぜににございますか?」
と尋ねると
「俺は西国を放浪していた際に黒田家にも仕えていたのだ。それで又兵衛殿が嘘を言っている時の癖も覚えた。だから今は嘘を言っていない。」
「なんと!戦働きばかりかと思えばそのようなところまでみられていたのか!」
と返って又兵衛が驚く。
「して、どのようなところで?」
「それを教えてしまっては見破ることができなくなるのだ。御免。」
と言ってそれ以上は語らなかった。
「いずれにせよ後藤又兵衛基次、大坂城は貴殿を歓迎する。」
と両手を広げて豊臣秀吉が出迎える。
「その働き期待しておるぞ。」
「はっ!」
と平伏する後藤又兵衛。
こうして皆が大坂城に又兵衛を招き入れ、いよいよ決戦の決意を新たにしようと思ったその時、川岸からザバリ、と音がしてずぶ濡れの若武者が上がってきた。
若武者はそのままスタスタと秀吉たちの方に歩いてくる。
すわ、暗殺の間者か、と身構え槍や鉄砲を構える兵たちだが、それに構わず秀吉が見て取れるぐらいの距離に若武者は歩いてくると、大音声でのたまった。
「宇喜多中納言秀家。小豆島より泳いで参った!」




