羽柴秀吉、備中国分寺で小早川隆景と会う
備中高松城を攻めている羽柴秀吉は、なかなか信長の援軍が来ないことに苛立ちを感じていた。特に毛利勢の吉川元春が積極的に攻撃を仕掛けてくるようになってからは鬱陶しくてしかたがないのだ。しかし名将とうたわれる吉川元春は手強い相手ではあったが、秀吉の方も黒田孝高や仙石秀久などの子飼い、そして軍監としてきていた堀秀政が自ら戦いに参加したこともあり、毛利勢の好きにさせることはなかった。
信長の着陣を願い、日々東国を探らせていた秀吉であったが、聞こえてくる話は日に日に怪しくなってきていた。
「白石城も抜けぬのか……となれば白石より遥かに堅固な仙台をどう落とすというのだ。これではいつになったらこちらに出陣してもらえるのかわからんな。」
秀吉はボヤいた。このままでは埒が明かぬ、と元来山陰を守護していた吉川元春がこちらに出てきているのを良いことに、山陰の押さえを宮部継潤に任せ弟小一郎羽柴秀長の軍勢をこちらに呼び寄せることにした。しばらくして秀長が着陣した。
「兄上!羽柴秀長、1万を率いて着陣しました。因幡の抑えに残した兵が随分減ってしまいましたが、大丈夫でしょうか?」
「うむ。みよ、吉川元春の軍勢を。あれだけの数がいるとなると山陰の兵を根こそぎ連れてきていると見える。やつもここが乾坤一擲の場と思っているのだ。」
「おお、なるほど。」
羽柴秀長は到着するとすぐ藤堂高虎を先手に毛利にちょっかいを出しはじめた。
ちょろちょろと備を毛利の前でウロウロさせては我慢できず飛び込んでくる毛利の部隊を巨人(実際背が高い)藤堂高虎がその剛勇で討ち取り、そこに毛利がわっと群がった所に
本隊をすすめて毛利勢に損害を与えたか、と思えば毛利のさらなる援軍が出てくる前にさっと引き上げてしまうのである。
何度か続いて毛利は最初から多くの備を繰り出すようになったが、その時は相手をせずすぐに陣を戻して迎撃体制を作ってしまう。
「なんなんだあの新手は!うろちょろするばかりでイライラするわ!」
吉川元春は床几を蹴り倒して苛立つ。
「兄上、ここは積極的に攻めるのは控えてはいかがでしょう?」
「なんだと。俺では羽柴に勝てぬというのか。」
「いえ、しかし羽柴秀長がついてからはあちらのほうが兵数が多くなっております。その上こうチョロチョロと削られては一度にやられる数は少なくてもだんだんと響いてきています。」
「うーん。」
「安国寺恵瓊に和睦交渉の再開を命じても良いでしょうか?」
「ならぬ!と言いたいところではあるが……話だけでもさせてみるか。」
と吉川元春も和睦交渉の開始に同意したのであった。
安国寺恵瓊が羽柴秀吉の陣に来た時、秀吉は以前よりも悪い条件を持ち出した。
「毛利は周防、長門、石見、安芸の四カ国のみの領有でいかがでしょう、と上様は言っております。」
「それではとても納得させられませぬ!」
と安国寺恵瓊は慌てた。
「今は急がずともこちらとしてはよいので。」
と秀吉は涼しげに答えた。
「なに、四カ国だと!だから言わんこっちゃない!」
と持ち帰られた条件を聞いて、吉川元春は額に手をやった。
「なにかその条件でも決定的になるなにかがあるのやもしれませぬ。」
安国寺恵瓊は言った。
「それと秀吉殿はこうも言っておりました。『上様はこのような厳しいことを言ってきているが、わしはこれでは毛利家が受けるとは到底思われぬ。織田家ではなくわしとの話ならもっと色々して差し上げられるのだが……』だそうです。」
小早川隆景は膝を打った。
「おお、ならばここは密かに織田家との交渉ではなく、羽柴殿との交渉をはじめようではないか。」
そんな中、羽柴秀吉に聞こえてくる奥州の戦況は嘆かわしいものばかりになってきていた。
「なに?名取川を氾濫させられ、弾薬の殆どを失ったと?」
「はっ。山を攻めても真田の手のものに阻まれ進めないようで。」
「伊達は真田まで取り込んだのか。しかしまずい。ここは仙台攻めを取りやめて関東に戻るべきであろうな。」
「某もそのとおりだと思います。」
と秀吉の相手をしていたのは知将、黒田孝高である。続報はさらに悲惨なものであった。
「……奥州諸侯が裏切って信忠様の軍勢は全滅だと。それはそもそも降伏自体が偽装であったとしか思えぬ。なぜやすやすと奥州の奴らを自由に動かさせたのか。」
「兵数の奢りがあったとしか思えませぬなぁ。」
「……ここはこちらも動かねばならぬな。よし、安国寺恵瓊殿に交渉したいことあり、と呼ぶのだ。」
交渉の場は備中国分寺となった。この寺は今備中高松城に籠もっている清水宗治が寄進し、再興した寺である。
手勢を率いて国分寺に入った秀吉を安国寺恵瓊が出迎えた。部屋に入ると、立派な身なりをした武将がいる。
「秀吉殿、小早川隆景であります。」
「おお、小早川殿か。羽柴秀吉であります。まさか自ら参られるとは。」
と驚いた秀吉であったが、小早川隆景本人が登場したとなると毛利方も交渉に本気なのであろう、と手応えを感じたのであった。
「先の交渉では上様から厳しい条件が出されたが、わしはあれではいかんと思う。どうだろう?四カ国ではなく出雲・伯耆・備後の三国を加えた七カ国では?また伊予や豊前へ進むこともご自由に、ということで。」
「おお、それならば我らが毛利家は受け入れましょう。……ただし我らが和議を結ぶのは織田信長ではない、羽柴様、貴方と結びたいのです。そして同時に羽柴様との同盟も。」
「なんと。しかしわしは織田信長様の配下。わしと和睦ということは信長様とも、ということになると思うが。」
「今はそう考えていただいても結構です。しかし我らがあくまで盟を結ぶは羽柴様ということで。」
「過大な評価と期待をいただき、身がこそばゆい思いであるが、こちらからもお願いする。」
こうして『羽柴家と毛利家の』和睦と同盟が成立した。備中高松城は『織田信長の命で攻めていたので』ということで包囲は解かれ、堰が切られて城は浮城の状態を脱した。清水宗治は切腹するどころかよく城を守り通した英雄、とされ、毛利・羽柴家両家が参加する宴が開かれ、そこで大いに讃えられた。
「備中から毛利は手を引きますが、清水殿にはかならず相応の所領を与える所存。」
と小早川隆景。吉川元春は
「信長は気に入らぬが……わしも攻めきれなかったのだからこれでよし!羽柴殿、お主奥州の伊達家と親しかったな!今度鮭を持ってきてくれ!」
と両者心を許して宴もたけなわとなったのであった。
毛利との和睦を成し遂げた羽柴秀吉であったが、陣を引き払い岡山城に戻るとさらなる悲報が待ち受けていた。
「織田信長様、武蔵本応寺で明智光秀に討たれました!」
「なんと。」
「その光秀は徳川家康様に討たれたそうです。」
「な、なんと。」
慌てて毛利の様子を探らせるが、かえって安国寺恵瓊が岡山城に使者として訪ねてきた。
「我ら毛利はあくまでも羽柴様と同盟を結んだ所存。信長が死のうとそれは変わりませぬ。」
と告げてきた。羽柴秀吉は何度も安国寺恵瓊に感謝しつつ、兵を取りまとめてひとまず姫路城に入った。慌てては進行しなかったので史実の中国大返しよりは日数がだいぶかかったが、その分休息も取れて充実した直属の兵3万が姫路城に集結したのである。
今日から日曜まで一日1話投稿予定です。




