本応寺の変
織田信長は和尚に案内されて寺の本堂に入った。和尚は
「ではごゆっくりお休みくだされ。」
と言い、部屋から退出した。部屋には僅かな明かりが灯されているのみで、薄暗かったが奥の方に何人かの男がいるのが見えた。向こうからはこちらの姿が見えたようで、中央にいた男が立ち上がると声をかけてきた。
「信長様、ご無事でしたか。」
聞き覚えのある声に信長は男を見たが、その腫れ上がった顔からは今ひとつ思い出せなかった。
「……もしや明智光秀か?」
「さようにございます。」
「顔貌が代わっていて誰かわからなかったぞ。落ち延びる途中で落ち武者狩りにでも狩られたか?」
と心配する織田信長。すると明智光秀は激昂して
「何をいうか!俺の顔が形が変わるほど殴りつけたのは信長、貴様であろうが!」
「上様のことを呼び捨てにするとは、光秀、お前乱心したか。」
と森乱丸成利が冷たい見下した口調でいう。当の成利も光秀のことを呼び捨てにしているのだが。
「黙れこの太鼓持ち!そもそも信長よりも俺のほうが歳上じゃい。大体俺が足利義昭様とのやり取りや朝廷との交渉をしたおかげで信長は上洛できたのではないか。
そもそも今回の戦自体、付けなくても良い言いがかりを徳川や伊達に付けた信長が原因ではないか。自らの意に沿わぬ全て滅ぼしてしまえ、というのではいつになっても戦いが果てることはない!その上伊達を見くびりこのような事態になったのも我が献策をことごとく退けたためであろうが!」
と顔の傷が痛みだしたようで一度抑えて苦しみだす。
「ふん。貴様の小賢しい策など伊達政宗や徳川家康に通じるものか。そのくだらないことをグダグダ言う性格が我軍の士気の低下を招いたのだ。むしろ戦犯はお主よ、光秀。」
と信長は言い放つ。
「言わせておけば!」
と光秀はいきり立つが、信長は
「とはいえここは敵地。つまらないことで争わずまずは敵中から脱出しなければならぬ。光秀も先の無礼は容赦するから今日は休め。」
と言って横になろうとした。しかし光秀は
「貴様が許すと言っても俺の顔の傷は貴様を許さない!信長!覚悟!」
とついに太刀を抜いて切りかかってきた。
「上様危ない!」
と前に出た森成利は唐竹割りに真っ二つとなり、信長は本堂から逃れるべく扉の方へ駆け出そうとする。すると光秀の脇から素早く両翼に二人の男が扉の前へ走りよった
「(斎藤)利三!(明智)左馬之助(秀満)!逃すな!」
と号令をかけた光秀に応じて、信長の前で血路を切り開こうとした森坊丸、力丸兄弟を斬り捨てる。
「織田信長!もはやここまでと覚悟しろ!」
と鬼の形相で明智光秀は信長に斬りかかり、なにか言おうとした信長を袈裟懸けに一刀両断に斬り捨てた。
その立ち回りで灯りが倒れ、寺に火が燃え移って広がり始めていた。光秀は信長の死体の髻を掴むと、本堂の外に出て『ふんっ!』と投げ捨てた。そして庭に降りて号泣し始めた。
「ついに……ついに俺はやってしまった……信長様は俺を牢人から丹波の国持大名までに引き上げてくださったのに……あんなに常日頃殴られることがなければ……」
と泣き崩れる光秀の横に、寺の門から完全武装の騎馬武者の一隊が入ってくる。その大将と思われる武将は金陀美具足を着けている。
「明智光秀殿、とお見受けいたしますが。」
武将が誰何した。
「いかにも惟任日向守、明智光秀でござる。見ての通り織田信長公を弑逆した。」
とフラフラと立ち上がった光秀の背後では寺の本堂が燃え盛っている。光秀の顔をまじまじと見ていた武将は
「ふむ。確かに。なるほど。」
というと配下の者がゴザにくるんでいた死体を出させると、首を切って燃える本堂に投げ込んだ。
「な、なにを?」
と予想外の事態に明智光秀主従は慌てる。
「申し遅れました。某に見覚えがありましょう。」
と武将は面頰を外した。
「と、徳川家康殿……なぜここに?」
「『仏高力』は仕事をしないわけではないのですよ。光秀殿や信長殿の動きは伊賀忍者から服部半蔵に伝えさせておりました。」
「ではすべてはお見通しだったと……」
「いえ、信長公は捕えて人質にし、有利な条件で和睦を、というのが本意でしたが……死んでしまっては仕方ありませぬな。光秀殿、その生命貰い受けてよろしいか?」
「俺も武士なれば負けるとわかっていてもせめて手向かいして暴れてみせますぞ。」
光秀とその主従は身構えた。
「いや、そうではないのです。話を聞いてくだされ。」
と家康は話をはじめた。徳川家康としては織田家との和議を望んでいる。故に信長を討ち取ったのはあくまでも日頃の虐待に耐えかねた明智光秀によるものである。家康は信長を害するつもりなく、和睦の交渉に出向いたがすでに信長は討たれていた。その謀反を義の心で怒りを感じた家康は光秀を討ち取ったのである。
「それではやはり俺は討たれる運命では?」
「明智光秀ならそこで死んでおりますがな。」
と言って家康は程よく焼けて人相がわかりづらくなった先程の首を取り出させた。
「ちょうど討ち取った織田の雑兵が明智殿によく背格好も顔も似ておりましてな。だから信長を討った明智光秀の首はこれということで。」
「では俺はこれからどうすれば?」
「『明智光秀』はこうして死にました。貴殿は頭を丸めて天海、と名乗り我が参謀を務めてくださらぬか。私は信長公のように悪くはいたしませぬ。」
暫く考えた光秀は、どうせ断ったら討たれる、と天海に成り代わることを了承した。そしてふと思いつき家康に聞いた
「先程家康様は信長との和睦にこちらに来た、と仰っていましたが最初からその死体を持ってきておりましたな。和睦というのは名目で家康様は最初から……」
「それ以上は言わぬが花、でござるよ。」
と言って家康は片目をつぶり、ニコリと笑った。
こうして織田信長とともに武蔵江戸、足立にある『本応寺』は焼け落ちた。寺の僧侶や下人は無事に逃れたが、徳川家康はひどく憐れみ、後に本応寺に多大な寄進を行い再建したという。
ちなみに本応寺は東京都足立区に実在し、京都の本能寺と同じく法華宗の寺である。その開闢は13世紀で15世紀に開かれた本能寺よりも古い。
そして京の本能寺は、開かれた当初の名前は『本応寺』だったのである。




