二階堂盛隆、会津黒川城に入り、蘆名盛隆を称す
人取橋の戦いは、戦いの場では佐竹がむしろ伊達を押し気味、と評されたがその連合軍は夜間の間に謀略で雲散霧消してしまったのである。伊達政宗は援軍に来た蘆名盛氏に丁重に礼をした。
「止々斎様がいなければ佐竹は人取橋を渡り、私の本陣になだれ込んでいたことでしょう。この政宗、心から御礼をいたします。」
「ご謙遜を。貴殿なら義重が攻め寄ってきても跳ね返せたであろうがな!ガハハ!」
と老いても剛毅な蘆名盛氏であった。
「これで佐竹義重も一旦引き下がらざるを得ないだろう。残るは……」
と言い出した蘆名盛輝を帷幕に飛び込んできた安倍対馬安定が遮った。安倍安定は黒脛巾組を率いる鳥屋城主である。
「御注進!蘆名盛氏様出陣を見た金上盛備が二階堂盛隆と二本松の残兵を引き入れ、黒川城を占拠いたしました!二階堂盛隆は蘆名盛隆を名乗り、『正統蘆名』と言っております!」
一同は狐につままれたような心持ちであった。急ぎ金上盛備・二階堂盛隆対策に合議する。
ここで遠方からの援軍で所領を長期に渡り空けることが危険な最上義光と南部信直は自国に帰ることになった。
「最上様、南部様、ありがとうございました。ここからは我らで大丈夫だと思います。」
と丁重に礼を述べる政宗。
「おお、油断するでないぞ。金上盛備は都のものを唸らせたほどの智謀の者。二階堂盛隆も勇将でしられておる。」
「我らは仙台城で一休みさせていただいて帰らせていだだく。伊達殿!また!」
と最上勢と南部勢は帰国したのであった。
伊達政宗と蘆名盛輝・盛氏は改めて黒川攻めを話し合った。
「うーむ。長きに渡って過ごした居城を攻めるというのはなんていうか微妙な気分であるな。」
と盛氏。
「とはいえ盛隆らをのさばらせておく訳にもいきますまい。ここは会津に向かいましょう。」
中途、二階堂改め蘆名盛隆の本城であった二階堂城を通り、これを攻め落とした。蘆名盛隆はその戦力をまるまる蘆名の本城、黒川城に入城させており、二階堂城に残ったのは僅かなものだけであった。二階堂城の留守居は伊達・蘆名連合軍が迫ってくると立てこもるでもなく逃げおおせてしまった。そのため、二階堂城は人っ子一人ない無人の、打ち捨てられた状態で伊達軍に接収された。
無人の二階堂城に入った伊達政宗は宣言した。
「この城を『撫で切り』にいたす。」
「根切りですか……しかし二階堂方は女子供も残っておらず、牛馬まで連れ出して逃げ出した様子。後は鶏ぐらいしか……」
「そうだ。その鶏を撫で切りにするのだ。今晩は鶏鍋ぞ。」
こうして伊達・蘆名連合軍は鶏鍋に舌鼓を打ち、大いに行軍の疲れを癒やしたのである。
連合軍は留守政景を留守居に残すと、黒川に向かって再び進軍を始めた。
その一方で黒脛巾組は『伊達が二階堂城を撫で切りにした』との報をばら撒いた。それを聞いたものの中には
「二階堂城からは皆逃れ出たと聞く。根切りにされるようなものがいたのであろうか?」
と訝しむものもあったが、
「出たとは言っても急ぎで取り残されたものや、城に入った住人などもいたのじゃろう。さすが黒鬼とも言われる残虐無道な伊達政宗。恐ろしいことじゃ。」
と打ち消すものが多く、いつのまにか尾鰭がついて
「伊達は泣き叫ぶ女子供を堀に投げ込んだ。」
「降伏を申し出た城兵を串刺しにして塀に並べた。」
などと黒川城下では恐ろしい噂が流れた。そのため、
「伊達に逆らえば皆殺しじゃ。」
と城兵に怖れが広がり、逃げ出すものも出る始末であった。蘆名盛隆は意気揚々と
「悪鬼を討ち果たせば蘆名は天下にその名を轟かせられよう!」
と宣言し、金上盛備はそれを感極まった様子で盛んに拍手していたが、他の諸将は、元々盛氏出陣の留守居でいたのを巻き込まれただけでやる気が無いものも多く、醒めた目で二人を見ていたのである。
とはいえ、蘆名盛氏も蘆名盛輝も元々この黒川が居城であり、城を知り尽くされた相手に手をこまねいていては伊達と盛輝の思いのままになる、との判断で蘆名盛隆は打って出ることにしたのであった。
蘆名盛隆率いる正統蘆名軍と伊達政宗が率いる伊達・蘆名連合軍が相見えたのは磐梯山の裾野、摺上原と呼ばれる丘陵地帯であった。
伊達連合軍の蘆名勢先手は盛氏に従って出陣した勇将、富田隆実が5百騎を率い、それに猪苗代盛国が続き、伊達盛輝が本陣を率いていた。盛氏は味方相討つのが忍びない、と手勢とともに後詰めに着いた。伊達勢は片倉景綱が先陣、後藤信康、原田宗時が続き、さらに屋代景頼、白石宗実、浜田景隆、鬼庭綱元が続いていた。
対する正統蘆名軍は蘆名盛隆を本陣に先手は金上盛備と二本松城の残兵、それに佐瀬常種などが続いていた。佐竹の援軍もなく、本来は蘆名方だったはずの富田などが盛氏に従い、伊達が25000を動員したのに対して1万あまり、とすでに数の上での不利がより深まっていた。
「敵は多勢に奢っておろう!見よ、いつもは派手な黒白の出で立ちで目立ちたがり屋の伊達政宗の兵が見えないではないか!大方後ろに引きこもってガタガタ震えているのであろうて!」
と味方を鼓舞する蘆名盛隆。
「湯目景康の隊も見当たりませんな……まあ湯目勢は小勢でもあり、大方他の隊の寄騎にでもされたのでしょうな。風向きも我らの後ろから吹き、まさに天啓!一気に伊達と偽蘆名を押しつぶしましょうぞ!さすれば佐竹義重殿も戻ってこられましょう!」
と金上盛備は気勢を上げ、諸将も「エイエイオウ。」と鬨の声を上げた。
こうして会津の命運を決めた大戦、摺上原の合戦が始まったのである。
誤字報告いれていただきました皆様、本当にありがとうございます。
至らない作者ですみません。本当に助かります。




