Hello,hello.
ブゥーン、と低い音がした。モーターの音である。この音は蚊の羽音を思わせるので晴明は苦手なのだが、旧式のものだから仕方ない。
事前にメッセージを送って確認をとったからか、リサはすぐに電話に出た。
「やっほー、晴明。どうしたの?」
今までは寮のような場所が背景だったのに、現在は研究室になっている。二段ベッドが見られないのは恋しくはあったが、リサが研究において重宝されているということだから、嬉しい側面もある。
とはいえ、今の晴明にとってはデメリットの方が遥かに大きい。
「あー、大事な、話があるんだ。」
晴明は間が持たなくて、頭を掻いて誤魔化した。
リサはきょとんとした顔をしていたが、見当がついたらしい。少女のような顔で、少し体を揺らしながら待っている。
「実は、ドラマの放送日が決まったんだ。6月7日。
もし良かったら、日本に来てくれないか。」
晴明は、何度も頭で練習していた言葉を、一言一句違わず言い切った。
リサは体の動きをぴたっと止め、頷いた。
晴明は息を吐く。ついでに上体も反らした。
リサはけらけらと笑いながらそれを見る。勿論、リサとて恥ずかしさがないわけではないが、こうしてごまかすのがせめてもの照れ隠しだった。
「覚えてる?初めて話した日のこと。」
リサがなおにこにことしながら聞いた。
晴明は画面から目をそらし、またぼりぼりと頭を掻きながら言う。
「そりゃ、まあ。」
今よりも売れていなかった晴明は暇を拗らせていて、深緋のおさがりのパソコンで遊ぼうと決めた。とはいえ機械には全く疎い。仕方なく、どのソフトを開くか当てずっぽうで決めることにした。目を瞑り、適当にマウスを動かす。
そして、パッと目を開けると……。カーソルは、テレビ電話ソフトの上にちょこんと乗っている。
今思えばなぜ深緋がこんなものを入れていたのか分からないので、恐らく初めから入っていたものだろう。
晴明はゆっくりとダブルクリックし、開いてみた。
すると、どうやらこのソフト、連絡先を知っている者に電話ができる、というものではなく、SNSに近い仕様らしい。大量に並んだ名前から、誰か選んで連絡をし、気に入ったらその連絡先をお気に入り登録できる―もちろん双方の許可が必要だが―というようなものだった。
晴明はマウスのホイールをぐりぐりと動かし、名前を見ていった。
別に、今のこの耐え難い暇さえ潰せれば誰でも良い。再度連絡をとる気もさらさらない。ということで、必要な情報は年齢でも趣味でもなく、少なくとも数十分は会話できるか、ということだけだった。
だが、どうやらこのソフトは世界中で使われているらしく、日本人らしき名前は1つもない。TomにAlice、果てはアラビア語まである。
右上をちらりと見ると、Lemy Kokiakeとなっている。
後から性別が違うだのなんだの言われるのは面倒なので、30分程かけて名前を変更した。成程、どうやら基本は英語で名前が書かれるらしいな。
晴明は納得して、またリストを見ていく。すると、Lisaという名前のものがある。
実を言うと、ファミリーネームはいかにもアメリカンだったのだが、晴明は気づかなかった。ただ、リサ、という字面を見て、深く考えずに発信ボタンを押した。
"Hello?"
「は、はろー……。」
そこにいたのは、ハシバミ色の髪をし、パワーストーンのような青緑の目をした女性だった。
なんでリサって名前なのに日本人じゃないんだよ、と晴明は勝手に悪態をつく。
だが今更遅い。
"Hi!I'm Lisa.I like ghosts,monsters,or……like them."
早すぎて何を言っているかまるで分からない。
だが、どうやら晴明にも自己紹介を求めているらしいことはわかった。
「アイムハルアキ……あー、えー……。」
しかし、晴明が英語など話せるはずもなかった。
"Ah…….You canspeakEnglish?"
「ノー……。」
こんな会話をしたのにも関わらず、リサは晴明が英語を話せるようになるのを手伝ってくれた。
リサはリサで、友人も少ない寮生活の中、暇を持て余してしていたのだ。
晴明の素直な態度―実際は萎縮していただけだったのだが―を何故か気に入ったらしく、リサは晴明のことをブックマークしたい、と言う。それも、何度か簡単な英語で説明してもらってやっと理解した。
晴明はブックマークの方法も教えてもらい、お互いにブックマークした状態になった。
「アイ トライ ベスト!」
晴明は約束した。
本当に伝えたかったのは、英語を勉強して、次までには話がそこそこできるようにするよ、ということだったのだが、今はこれで精一杯だ。
「いやー、晴明が話せるようになったのは、びっくりしたなぁ。」
「ま、申し訳ないし、約束したからな。」
「約束?まあ、いいや。
でも、9割くらいは私への愛のパワーだよねー。」
「馬鹿言え。」
今となってはリサに仕込まれたおかげでファンタジー方面にだいぶ偏ったボキャブラリーながら、大抵の会話はこなせるようになっている。
晴明は、いつも待っている。
"Hello!"
のその声を。
そして、
"Hello."
と返せることを。




