CQCQ
今まではいきなりドアを開けて驚かせていたのに、今日ばかりはノックをした。袋の音がしないように、大きくドアを引いて、体をねじこんだ。病院のスタッフだと思っているのか、アンリの反応はない。
あるいは、眠っているのかもしれないな……。
晴明は紙袋を持った手を背中に隠して、名前を呼んだ。
「アンリー、元気か?」
数歩足を進めると、にやにや笑っているアンリがいる。良く見ると、足のギプスが外れている。
「冒険者だからな、元気だ!」
さすがにふわりふわりではあるが、足を忙しく動かす。
「退院近いみたいだな。」
晴明が曖昧に声をかけると、
「聞いてないの?来週。」
とアンリは察したのか答えた。
「ふーん、そうか……。」
もうこの病院に来ることもなくなるだろう。
晴明は紙袋を足元に置いて、ズボンの裾を握った。
「退院したら、家に遊びに来いよ。
宝物見せてやるからさ。」
アンリは布団を足元までめくって、それを足でけった。
晴明は、都合の良い返事をすぐにしてやれなかった。
実際のところアンリとは他人なのだから家の場所なぞ知らないし、知っていたとてアンリの親族にどう自己紹介すれば良いのだろう。
これが、最後になるんだ、と晴明はアンリの意図とは反対に理解した。
「考えとく。
そうだ、例のやつ持ってきたぞ。」
晴明は紙袋からトランシーバーを出してやる。アンリの目はきらきらと輝き、早くそれを渡せとばかりに両腕を伸ばした。
「なんだこれ?」
「トランシーバーだよ。通信機だな。」
アンリはレプリカをくるくると回してしげしげと見つめる。晴明はパイプ椅子に座って、その様子を見ていた。
「どう使うんだ?」
「電話みたいな感じだよ。そこを耳に当てて……。」
アンリはこのプラスチックの塊にはなんのギミックもないことが分かったらしい。とはいえ、軍用トランシーバーのレプリカなど初めて見るし、晴明が選んだものならさぞ面白いに違いない。
アンリはデタラメな命令をどこかに飛ばしている。
晴明はそれを見ていると、段々とアンリが遠くに行ってしまう気がしてきた。
「小説家なんだ。俺。」
アンリはしゃべるのをやめた。
「なんだよ、いきなり。」
晴明は首を横に振って、病院の窓から差し込む夕陽に気づいた。
もうあまり長くないらしい。
「大好きな人がいたんだ。もう会えなくなったけどな。
その人は、まだ若かったし、高校のやつらはその人のことを何も知らなかった。このままじゃ、その人は死んでしまう。
だから、小説家になったんだ。
俺の本を読んでくれた人が、その人のことを覚えてくれるように。」
晴明はボリボリと頭を掻く。
「でもな、ダメだった。俺の本の中にもその人はいなかった。
ああ、もうどこにもいないんだな。って思った頃には、俺はその人以外見えなくなっていた。
だけど、まあ、俺を呼び戻して周りが見えるようにしてくれたやつが何人かいるんだよ。
アンリ、お前もそういうやつは大事にしろよ。」
晴明はそう言ってアンリの頭を振り回すように撫でた。
「なんだよ、なんか晴明がどっか行くみたいだな。」
アンリは晴明の薄い手を放り投げて、首を回しながら言った。
晴明は、一度首を縦に振ったあと、横に振った。
アンリはにかっと笑う。
「確かに、なかなか会えなくなるかもしれないけど、そしたら、俺がこれで晴明のこと呼んでやるよ。」
トランシーバーを耳に当て、アンリが思いっきり叫んだ。
「もしもし、聞こえますか?」
病室に響いたそれは、余計に晴明の胸にしんとしたものを呼んだ。




