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もしもし、聞こえますか?  作者: クインテット
54/59

バトン

 完成した原稿を送りたい(むね)を伝えると、(ひいらぎ)は、(せわ)しく(うなづ)きながら、

「はぁ、はぁ、もちろんです。

 あの、鳴海(なるみ)さぁん、直近(ちょっきん)で予定が空いてる日、ありますかぁ?

 ドラマ関係者の方と打ち合わせして頂きたいんですがねぇ。」

 と言った。

 受話器越しに晴明(はるあき)(のど)をひゅっと鳴らしたが、柊には聞こえなかったらしい。

「まぁ、毎日空いていますよ。

 先方の都合に合わせて下さい。」

 晴明は震えた声で言い、ふんと鼻を鳴らす。

 柊は分かりましたぁ、と言い、メモを取る。

「今週末あたりになると思いますので、空けといて下さいねぇ。

 じゃあ、データ待ってますわぁ。」

 柊はそう言い、晴明のわかり、で電話を切った。

 分かりました、と見せかけて一度分かりませんと言ってやろうかと思ったが、自分の受話器を置く頃には晴明はすっかり忘れてしまった。

 そんなことよりも、早くデータを送りたかったのだ。


 パソコンの前に胡座(あぐら)をかき、データの送信ボタンを押す。退屈なルーティーンだ。

 今までは。

 打ち合わせも目前に迫り、いよいよ出版も現実味を帯びてきた。

 晴明の指はもはや、『木枯らし』を出版社に送った時よりも強張(こわば)っている。固まった関節をほぐすように()みながら、マウスのボタンを押し込んだ。

「送信中です。お待ち下さい。」

 画面に小さなウィンドウが現れ、そう告げる。

 晴明は前後に体を揺らしていた。勢い余って後ろに倒れ込んだが、しばらくそのままにしておいた。

 天井にも、影一つない。そんな、朝。


 結局、その週の金曜日に打ち合わせが決まった。

 ここのところ人に会っていないので、それだけで緊張する。

 その脚本家というのは、どんな人なんだろう。嫌な人じゃないといいが。

 晴明は好き勝手に脚本家を何人か妄想して、あれこれ批評した。少なくとも晴明の空想の世界に、晴明の神経を逆撫(さかな)でしないような脚本家はいなかった。

 晴明は珍しくバスの座席に座り、窓にもたれて、(くも)らせる。何度()いても溜息(ためいき)が止まりそうになかった。


「おはようございますぅ。

 時間ぴったりでありがたいですわ。」

ロビーで腕時計を凝視(ぎょうし)していた柊は、晴明が来ると無表情のまま片手を上げた。この様子だと、どうやら脚本家がまだ来ていないらしい。

「局のプロデューサーとか、他の関係者の方は……。」

「まだ来てないですねぇ。

 ま、局の人の車に便乗して来る、と白砂(しらさご)さん……あ、脚本家の方もおっしゃってたんで、来るのは同時でしょうなぁ。」

  晴明の問いに間髪入れずに柊が答える。

 晴明は苦笑して、そうですか、と言った。

 そうなんですよぉ、と柊はまた腕時計を(にら)み始める。

 晴明は壁に(もた)れかかり、右足をぶらぶらさせながら彼らの到着を待っていた。


「やあ、すみません、遅れました。

 脚本家、と言ってもひよっこなんですが……。

 白砂公成(きみひろ)と申します。」

「いやー、鳴海さん、柊さん、大変、失礼致しました!

 私、当ドラマのプロデューサーを務めます、竹内(たけうち)と申します。」

 初々(ういうい)しく(さわ)やかな白砂と、場慣れした様子の竹内。

 対照的な二人のうち、晴明が高く評価したのは白砂の方だった。

「いえいえぇ、ま、とりあえず会議室行きましょうかぁ。」

 柊が流れるように誘導する。

 晴明は何度か会議室に行ったことがあるので、しんがりを務めることにした。

 3人の足が速くても、一人で行けるから別に構わないのだ。

 せかせかと歩く柊を、3人で懸命に追いかけた。

 晴明はポケットに手を入れながら、遅刻といっても2,3分なのに、と内心ぼやいた。


「僕からは、脚本のチェックをお願いしたくて。」

 白砂はそう言って分厚い封筒を机の上に置いた。

 晴明は紙束を取り出し、一行一行丹念に読む。

 大元は『木枯らし』とほぼ同じだが、ある意味加藤である晴明の知る(よし)のない他の登場人物の心情も分かりやすく加えられている。

 確かに、あの時明音(あかね)はこう思っていたのかも知れない、と思わせるところもあった。

 じんわりと手汗をかきながら険しい横顔を見ている白砂のことなど晴明の目には入っていない。

 映像を浮かべながら、明音のことを多くの人に、ちゃんと知ってもらえるように。

 口調に違和感があれば直し、誇張(こちょう)があれば直した。

 俺が明音の伝記を書く。

 そんな一見チープな夢が、ようやく叶いそうだ。


 白砂との脚本に関する擦り合わせが終わると、今度は竹内と報酬やキャスティングについての話が始まった。

 特に報酬に関しては柊がちょこちょこ入ってきて軌道修正していった。

 出版社にも当然いくらか入るので、素人の晴明のせいで割りを食ってはたまらないと思ったのだろう。

 キャスティングは、オーディションで選考された候補者の中から、晴明がイメージに合う人を選んだ。

 選ばれなかった人のことを考えると胸が痛むが、致し方ない。


 こうして小会議は終わり、各自解散となった。

 柊から今後のスケジュールが渡され、晴明は一礼して出版社を出た。

 このまま帰ってもいいが、せっかくだし病院にも寄ろうか。そういえば、次行くときは何か持っていくと約束したな。

 晴明はついで精神でおもちゃ屋に足を運んだ。汗ばんだ体に、冷房が心地好い。


 冒険者になりたいと言っていたし、そういう類いのものが良いかな。というか、冒険者ってなんだよ。

 晴明はぶつくさ思いながら、子供の頃に見た映画からイメージを掘り起こした。

「ん?これとかいいかもしれないな……。」

  晴明の目に止まったのは、昔の携帯電話のように大きなトランシーバーのレプリカ。ランボー辺りが持っていそうではないか。値札を見ても、臨時収入前の今の晴明でも買えそうだ。

 子供がいるわけでもないのにレジに並ぶので多少萎縮(いしゅく)したが、何とか購入できた。

 また暑い外気にまとわりつかれながら、晴明は病院へと歩を進めた。


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