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もしもし、聞こえますか?  作者: クインテット
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 真っ赤な原稿用紙を見ながら打ち込まれた文字が、少しずつ画面を覆っていく。

 加藤(かとう)と、(あかね)のラブロマンス。

『木枯らし』の時は加藤は晴明(はるあき)で茜は明音(あかね)だったからラブストーリーでもなんとも思わなかったのだが、今回は茜は茜のまま、加藤はどこかの知らない男としか思えず、ちょっとした気恥ずかしさがある。茜のデートを尾行してそれを書き留めている変態にでもなったような気分だ。

 晴明はそうは言ってもキスシーンなどの類は入れていない。

 ただ二人で買い物に出かけて……その程度だ。それでも、やはりこそばゆい感じが首や背中に走る。産毛(うぶげ)が逆立ってしまう。

 晴明は(わざ)とらしく何度も声を出して伸びをしては、それをごまかした。


 そんな日々も、いつしか終わりを迎えようとしている。晴明の手に柔らかく握られた下書きは残り数枚となり、画面に表示されている文字数もかなりものだ。

 ラストスパートをかけようと、連日徹夜している晴明はかさかさとして重たい(まぶた)を何度も擦ってこじ開け、キーボードを押し込んでいく。(まばた)きする度に、そのまま夢の中に沈んでしまいそうになる。

 その頻度があまりにも狭まってきたので、晴明は仮眠をとることにした。

 何度も何度も上書き保存をし、その上でもう一度ファイルを開いてきちんと保存されていることを確認した上で、電源を切った。

 蒲団(ふとん)を敷くのすら億劫(おっくう)で、畳んであるものにそのまま倒れ込む。着地した瞬間は鈍い痛みが走ったが、それも柔らかな布団に吸収されたらしい。

 晴明は瞼が部屋の風景を消していくのに任せて、すとんと眠りに落ちた。


 目を覚ましたのは、眩しくて仕方がないからだった。

 夕方になり、位置と色を変えた太陽が、晴明の目を照りつけたのだ。

 一部だけが太陽熱で暑くなった顔をさすりながら起き上がり、

「熱っ。」

と文句を言う。

 恨めしげに窓の外を見ると、クチナシ色に染まっている。

 こんな時間まで寝込んでしまった罪悪感と同時に、目を奪われた。

 空は、刻一刻と色を変えている。

 柿色、橙色、茜色。太陽は止まろうとはしない。

 晴明は窓が完全に黒く染まるまでそれを見ていた。

 徹夜明けだったから。人は言う。徹夜明けだったから、こんな風になんてことないものが美しく見えたのだ、と。

 だが、晴明はそうではないのだ、と言うだろう。

 晴明は形容しがたい毛布のようなものにくるまれた心地がしていた。それが、心地よかったのだ。美しさよりも、心地よさに晴明は陶酔(とうすい)していたのである。


 パソコンの前に再び座った晴明は、そこから一度も休憩せずに、原稿を書き上げた。瞬きすら一度もしていない気がする。再び上書き保存を連打し、肩をごきごきと鳴らす。

 時計を見ると8時過ぎを指している。

 出版社に連絡して、明日データを送る旨を伝えようと思っていたのだが、いくらなんでも遅すぎるだろう、と晴明は考えた。

 小説の始末まで考えが至ると、落ち着いたのか急に空腹感が襲ってきた。冷蔵庫を開けると、キュウリの浅漬けがタッパに入っている。これだけではあまりに貧相だが、他のものを用意している間に空腹で目が回りそうなので、極力良く()んで満腹中枢を刺激してやりながら喉を通していく。

 今日はもう寝よう……。

 昼寝もしたものの、早起きのためにそう決意した。

 早く寝て、早く起きる。

 茜にそうするようずっと小言を言われてきたのは、この時のためだったのかもしれない。


 今度はきちんと蒲団を敷き、蛍光灯のひもを引っ張って電気を消した。窓からはぼんやりとだが月明かりが入ってきている。

 晴明は静かに目を閉じ、自分の部屋からどこか別の世界に行くような心地になった。

 見えないだけで、こんなにも感じられない。


 晴明は(せわ)しげに何度も寝返りを打ち、それから寝息を立て始めた。

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