カンパニュラ
ひとまず草案ができたので、それを持って出版社へ行くことにした。
今まではFAXで送っていたのだが、あのずっと機械音が流れる時間は苦手だったので、好都合かもしれない。
柊はせっかちではあるが、小説に関わればその性質は見る間に消える。
FAXを送ってから数日して、大量に推敲されたコピーが返ってくるのだ。ある意味、晴明はこの人のおかげで小説が書けているのかもしれない。
晴明はスニーカーに入った小石を振り落とし、出版社に入った。
エレベーターに入り、3階を押す。慣れていないからか緊張してきた。
前は勢いでえいやっ、と入ったのだが、今回は違う。ふぅっ、と無意味に息を吐いて、気合いを入れた。
「3階です。ドアが開きます。」
晴明は小さく踏み出した。もう一度、ふぅっ、と短く息を吐く。
「ドアが閉まります。」
エレベーターは上階へ上がっていった。
「おお、鳴海さぁん、時間ぴったりですねぇ。助かりますわぁ。」
柊はそう言って、衝立で囲ったスペースに晴明を呼び込んだ。晴明はおずおずと原稿用紙に書いた草案を渡す。
いつも、これに柊が色付きのペンで書き込んで、決定稿を晴明がパソコンで打ち込んでいる。
というのも、晴明はタイピングが致命的に苦手で、初めからパソコンに打ち込んでいると、時間がかかって仕方がないからである。何より、柊もアナログな人間のため、紙でもらいたいらしい。
「えぇと、これが草案ですね。」
柊は大事そうに受け取ると、封筒を開けて、ばららららと原稿用紙をめくる。
「ふむふむ、量は前作と同じくらいですかぁ。
じゃあ、直したものを改めてお渡ししますね。
できたらお電話しますから。」
柊はそう言って、コーヒーと晴明を残して席を立った。
「ありがとうございます!」
晴明は慌ててその背中に叫ぶ。柊は聞いているのか聞いていないのか、自分のデスクに戻った。
もうスイッチが入ったのかな。晴明は不服そうにがしがしと頭を掻き、勿体無いからとコーヒーを飲み干して出版社を後にした。
そのまま鬼灯荘に帰っても良かったのだが、また日を改めると着替えだの何だのと準備が面倒なので、バスに乗って病院へ向かった。
用事は一気に済ませたい。ある意味俺もせっかちなんだろうか。晴明はそう思いながら、ぼうっとしている。
いつか、茜ともこのバスに乗ったっけな。ふと見上げた広告を見て、思う。
もう一度、一緒に見たいな。大層なものでなくても、もう一度。
晴明は、いつの間にかそう思うのが明音とではなく茜とであることに気づいた。
少しずつ、前に進めてるんだな。晴明は、そう思うと、胸が熱くなった。
久しぶりに、明音のお墓参りにも行こう。そうなると、暗くならない内に病院を出ないとな……。
晴明がそう目算していると、目的のバス停をアナウンスが告げている。
晴明は慌てて降車ボタンを押した。
「よお、アンリ。」
晴明が声をかけると、アンリは閉じていた目をはっと開けた。
「おお、おじさん!」
吊り下げられていた足は下ろされている。
「おっ、良くなってきたんだな。」
「まあね!俺は冒険者だから、治りも早いんだ。」
アンリのピースサインに、晴明はははっ、と笑う。
「実は、仕事が一段落してな。
アンリの助けもこっそり借りてたから、今日はお礼に来たんだ。」
晴明がこう言うと、アンリは目を輝かせる。
晴明は咳払いをした。
「いや、おもちゃとかはないぞ。」
「ええー、期待するじゃんよ、ケチ!」
晴明は堪えきれなくなって吹き出し、次は何か持ってくるから、と宥めた。
「まあ、とにかくありがとな。
今日はこの後も用事があるから、そろそろ行くわ。」
晴明は席を立つ。アンリは今度は文句も言わず、それを見送った。
「あ、鳴海さん。」
病院の待ち合いで、テレビ番組の隅に映る天気予報に気を取られていると、背後から声をかけられた。振り返ると、件の看護士である。
「あっ、どうも……。」
晴明がぺこりと頭を下げると、相手もそれに倣った。
「今も、アンリくんのところに来てくださってるんですか。」
看護士はそう言う。
晴明はバレないようにしていたのに、と心の中で愚痴った。
「はぁ、まあ……。私は子供もいなくて退屈ですから。
そういえば、ご両親は来てるんですか? 私が行っても、いつも誰もいないんですが……。」
晴明の言葉に、看護士は首を横に振る。
二人揃って溜息を吐いた。
看護士は本当に気を揉んでいるらしく、晴明に声をかけたらしい。
「そういうことなら、私も時々顔を出すようにします。
じゃあ……。」
晴明はそう言って、病院を後にした。
アンリも確かに心配だが、あくまで他人だ。さすがに暗くなってから墓地を訪ねるのは、ぞっとしない。
病院からはさほど遠くないので、歩いて墓地へと向かう。その途中で誰かに会うこともなく、静かだった。
晴明は何度か鼻を鳴らしながら歩いた。
遠くの空は少しずつ赤くなってきている。
明音の墓前で両手を合わせ、目を閉じた。
墓地には他に参っている人はいない。明音と二人でいられる気がして、晴明にはありがたかった。
「明音と出会えて、俺は幸せだった。もう一度、会いたかった。
でも、気づいたんだ。俺は、明音と再会できなくても、幸せになれる。いや、幸せにしてもらえるってな。
明音のおかげで、俺は出会った人を大切にできるようになったよ。
だから、」
晴明は目を開いて墓石を見上げた。
「ありがとうな。」
明音の墓石の後ろには快晴の空が広がっている。
明音からの返事はない。多分、二度と。
晴明は立ち上がって伸びをすると、一度だけ墓石を振り返り、それから歩き出した。




