しょうがくせいガイドブック
スーパーのチラシの裏に、軽くメモを書いて、骨組みを作った。この時はなんて素敵な物語なんだろうと思えるのに、書き始めると苦痛だったりもする。
晴明はまさにそんな状況だった。
茜は帰ってくる。加藤が死ぬまで、ずっと一緒にいる。始発と終着は決まった。しかし、各駅が決まらない。
本当は、何でもない暮らしの中に、ただ茜がいればそれでいいのだ。だが、それだけでは物語としては不出来である。
本を開けば、別の世界に行ける。それが読者たちの常識。覆してはいけない方の。
「うーん……。」
何をしようかな。
晴明は小学校の頃の、夏休み前みたいだ、と思った。何をするかあれこれ考える。
海が見えるあの急カーブに、自転車でフルスピードで突っ込む。神社の木陰で涼みながら、ラムネを飲んで。平たい石を川に水平に投げて、何度も跳ねさせる。そんな映像がチラチラと浮かぶ。
そういうのも悪くない。
ただ、死ぬまで、がエンディングである以上、トリガーによってはヨボヨボの状態でそんな情景に放り込まれる可能性がある。
13歳の晴明少年、よしんば30歳の晴明ならばフルスピードでカーブを曲がりきれようが、さすがに還暦を越えると真っ逆さまに落ちてしまうだろう。
想像の中なら乾いた笑いも出てくるが、現実に起こりそうになったらそうはいかない。また未来のことで頭を抱えるなんて、まっぴらごめんだ。
小学生の時に戻れたらな……。
無邪気に、やりたいことを。物理も倫理も無視して思いつけて、実行に移せるのに。
小学生、小学生か……。
晴明は本当に童心に帰ったのかもしれない。小銭を握って、件のバス停に立っていた。
下手くそな口笛を吹きながら、坂を下っていく。イチョウの木を右手に、まっすぐと。
「よぉ、アンリ。叔父さんだぞー。」
今日もアンリは寝転んでいた。
晴明は少し緊張しているものの、表情に出るほどではないらしい。
「おぉ、もう来ないと思ってた。」
アンリはそう言って、表紙の擦りきれた本をばんっ、と閉じた。
「いやー、極力来ようと思ってな。
何読んでたんだ?」
アンリは、晴明の問いに待ってました、とばかりにふっふっふーと芝居がかった声で笑い、
「ぼうけんしゃガイドブックさ!」
と叫んだ。
晴明はついしーっ、と言いかけたが、自分が少年時代そういう大人が嫌いだったことを思い出してやめた。
表紙を見ると、ひらがなとカタカナでタイトルが書かれている。どうやら小学生向けの本らしい。
「へぇ、どんなことが書いてあるんだ?」
晴明が聞くと、アンリは目を輝かせながらページをめくり、内容を興奮ぎみに伝えてくれる。
晴明はそれを初めはにこにこと聞いていたが、気づけばその世界観に引き込まれていた。確かに、これを何度も読めば、冒険者になれるような気がしてくるかもしれない。
中身はファンタジーテイストでこそあるものの、ある程度現実に即して書かれている。
勉強するなりすれば、ここに出てくる七つ道具のレプリカくらいは作れそうだ。
「いいな、これ。」
「だろー?」
アンリはにやにやと笑う。
晴明は本題も忘れ、頷いていた。が、しかし。アンリがまた本を閉じて脇に置いたことで、はっと我に返った。
「そうだ、アンリ、退院したら何がしたい?」
晴明はこれを聞きに来たのだ。他力本願と言われるかもしれないが、他の人からの刺激も大事にしたい。そんな晴明の思いがある。
「冒険者になりたい!」
アンリは胸を張って言う。
晴明は苦笑いしながら腕を組み、
「うーん。もう少し今に近いのが欲しいな。
冒険者になるのはもっと後の話だろう?」
と言った。
アンリはふてくされた顔をしたものの、晴明の真似をして腕を組んで考え始めた。
「ばあちゃんに会いたい!
あとはー、映画も見たいしなー、
公園で遊びたいしー、いろいろあるな!」
アンリは暫くすると堰を切ったように語り始める。晴明は汚い字でこれを書き取っていく。
アンリの話は面白いし、茜が帰ってきたら、次の小説はアンリが主人公のファンタジー作品でもいいかもしれない。冒険者になった本をプレゼントしたら、きっと喜んでくれるだろう。
「でも、そんなこと聞いてどうするんだ?
もしかして、叶えてくれんの?」
アンリは瞬きを何度か繰り返す。
「んー、かもな。
ま、実は何がしたいか、浮かばなかったんだよ。ちょっとでも、ヒントになるかなと思って。」
晴明の言葉に、アンリはきょとんとしている。晴明も、自分が何を言っているのか、ちょっと分からない。
「で、見つかったのか?」
アンリが聞くと、晴明はそうだな……と言って、続けた。
「俺にはリサっていう友達がいるんだけど、その子に会わせたいかな。
多分……リサはすごく興味があるだろうし。」
アンリは、叔父さんがしたいことじゃないのかよ、と言ったものの、晴明はへらへらと笑っている。
「ははは、いいんだよ。
したいことばかり考えてたらな、してやりたいことばかり浮かんできたから。」
晴明の言葉に、またアンリは首をかしげる。その様子を見て、晴明はまた笑った。
「じゃあ、また来るからな。」
「当たり前だ!退屈なんだから、明日にでも来いよー。」
アンリはベッドに寝転んだまま、ぶんぶんと手を振った。晴明はそれに小さく手を振って返し、バス停まで早歩きした。
このことをリサに言ったら、どんな顔するんだろ。
そんなことを考えていたら、いつの間にか鬼灯荘方面のバスが目の前に停まっていた。




