Who plays hero?
翌日、16時に合わせてバスに乗り、晴明は病院へと出掛けた。
今日は念のため筆記用具を持ってきている。有力な情報が得られるとは思えなかったが、茜と出会ってからというもの予想外の出来事の連続で、もはや常識を当てにしている場合ではない。
晴明は運転席すぐ後ろの席を陣取り、画面に表示されている時刻をこまめに確認しながら、揺れに身をまかせている。
窓の外には弱い光で照らされた建物が所狭しと並んでいる。
ああ、もう秋になるんだなぁ。昼の短さをぼんやりと感じながら、晴明は少しの間目を瞑った。
15:48。晴明は病院に着いた。平日のあの時間は学生で混んでいるのかと思いきや、そうでもなかったのだ。
晴明は週間天気予報をぼんやりと眺めている。
待合室には人はほとんどいない。擦硝子の向こうの景色はオレンジに、暗くなっていく。
下がり眉の女性は晴明に気づいたらしく、小さく会釈した。晴明も慌てて返し、苦笑する。
何だか常連みたいになってるな、俺。
晴明ははねた髪を撫でつけながらその時を待った。
「きらきら星」のオルゴールが聞こえる。
突然のことに晴明が顔を上げ、辺りを見回すと、音源を見つけた。年季の入った壁掛け時計である。それは定刻になると「きらきら星」に合わせて人形が踊る仕組みのものだったらしい。
つまり、今、16:00になったということだ。晴明は口に空気を含んで頭をぶるぶると振る。
この時間はやはりシフト交代の時間らしく、受付の奥がざわざわし始めた。
晴明は何度もソファに座り直しながら、その時を待つ。
廊下の向こうから、昨日の女性が歩いて来るのが見えた。咳払いと共に、晴明の隣に座った女性は、相変わらず眉を顰めている。
「やはり、この病院の人間がやったわけではなさそうです。」
女性の言葉に、晴明は黙って頷いた。元より、あまり期待していない。
女性はそんな晴明の反応を怪訝に思ったが、構わず話を続けた。
「薄気味悪くはあるのですが……。
病院側としましては、原因不明といいますか……。
お力になれず、申し訳ないです。」
看護士はぺこりと頭を下げる。晴明はいえいえ、と頭を振った。
「もしよろしければ、病室を見せて頂いてもよろしいでしょうか。
何か、ヒントがあれば、と……。」
晴明はメモ帳とペンをポケットから出して、片眉を上げた。
看護士は困ったように肩をすくめ、
「そうしたいのはやまやまなのですが……。あいにくもう他の患者様が……。
あ、いや……待ってくださいよ……。」
と言う。それからしばらく考え込むような仕草をしていたが、ゆったりと顔を上げ、
「ちょっと、ご相談が。」
と言った。
看護士は階段裏の自販機の辺りに晴明を連れ込むと、これは私個人のお願いですよ。病院が頼んでいるわけではなく……。と前置いて、こう続ける。
「今、鳴海さんが使われていたベッドにいらっしゃるのが、アンリ・ゾグラフさんという男の子なんですがね。誰もお見舞いに来なくて……不憫なんです。
そこで、鳴海さん。遠い親戚ということにして、訪ねて頂けないでしょうか……。」
晴明は顎を手で包むようにして、頷いた。要するに、それでウィンウィンにしようということだ。
晴明としてはそのアンリという少年が気になった。
茜の後に入院した人間……。
晴明の好奇心を妨げるものは、よもやあるまい。
「分かりました。
では、さっそく行ってきます。
いろいろと、ありがとうございました。」
看護士は晴明の言葉に微笑むと、
「いえいえ、こちらこそ。
また何かありましたら、いらっしゃって下さい。」
と言った。
晴明は記憶を辿って、茜が伏していた病室を訪ねた。
入り口から見て奥の、窓際のベッドには確かにカーテンが引かれており、誰か寝ているらしいことは一目瞭然だ。
晴明は深呼吸をして、いくつかの会話をシミュレートした。
大丈夫、子供なんだから難しい質問なんてされっこない……。晴明はそう自分に言い聞かせたが、せめてどうして入院しているかくらいはさっき看護士に聞いておけば良かったな、と思う。何だかお腹が痛くなってきた。
晴明はとっとと済まそうと、病室に足を踏み入れる。
「んっ、んん。アンリー、元気かー?」
晴明は遠い遠い叔父あたりを装って、カーテンを優しく開けた。するとそこには、黒い短髪に黄緑の瞳の少年が横たわっている。
思っていたよりも日本人らしい見た目に、晴明はぎょっとした。リサのような、どこから見ても外国人という見た目を想像していただけに、虚を突かれたのだ。
「あー、うん。おじさん、誰?」
アンリは片足をギプスで固められた上で吊っており、どうやら骨折しているらしかった。
加えて、流暢な日本語にも晴明は驚いてしまい、すぐには返事できなかった。
「あぁ、君の叔父だよ。
どうだ?まだ、痛むかい?」
晴明は自分も質問することで、二人の間に流れた微妙な空気を誤魔化そうと試みる。
少年は鼻をすすって、
「大丈夫。俺は将来冒険家になるんだから、これくらい平気さ。」
と自慢気に言う。
晴明は思わず笑いだしてしまった。
「ちょ、バカにするなよ!」
少年はギプスの巻かれていない方の足をバタバタとさせている。
晴明は両手を上げ、
「いや、馬鹿にしたわけじゃないんだ。
和んだというか、最近大変なことが多かったんだよ、叔父さんは……。」
と言った。
5歳くらいの子どもが今の自分の説明を理解できるかは微妙だと思ったが、少年は思いの外ふーんと言っている。知ったかぶりではなく、本当に晴明の言葉を受け止めている調子のふーんだった。
「アンリは賢いんだなぁ。」
晴明は独り言のように言う。するとアンリはくすぐったそうに笑って、
「ばあちゃんのおかげさ!」
と言った。
晴明はアンリの言葉に納得して、鼻から息を漏らした。年齢の割に大人びていると思ったが、祖母の影響ならば納得だ。
晴明が小学生の頃、おばあちゃん子というものはやたらと難しい言葉を知っているし、大人っぽい雰囲気があった。
アンリもどこかしら老成した貫禄がある。両親が訪ねて来ないのも、そういう過信からくるものではないか。晴明はそんな風に勝手に推測した。
「まあ、元気そうで良かった。
俺はそろそろ帰るよ。」
晴明はそう言ってパイプ椅子から腰を上げた。
ざっと見た限り手がかりらしきものはないし、病室にそう長くいるものでもない。
「えぇー!なんでだよ! あと10分!」
「だーめーだ、叔父さんはバスなんだよ。
これ逃したら、30分待つはめになるんだから……。」
晴明は渋るアンリをなんとか説得し、病室のドアを開けた。
「また、くるよな?」
「さあ、それは分からないな……。」
晴明の背中にアンリが声をかけたが、晴明は体よく嘘をついてやることができなかった。
バスの心地好い揺れの中、暇を潰すものが何もないので、晴明は物思いに耽ることができる。
アンリは、子どもというものの純粋さを思い出させるのだ。
俺も小さな頃、あんな調子だったな……。
晴明はそんな風に思いながら頬杖をついた。
そうして2駅ほど行った時、晴明は突然頬杖を外してしまい、頭ががくんと揺れた。
トリガーだ。茜が戻ってくるトリガーは、アンリ少年だ。アンリが退院しなければ、茜はいつまでも戻ってこない。何と言っても、帰るベッドがないのだから。
晴明はそれに気づくと愕然として、降りるはずのバス停を乗り過ごした。
骨折……。全治1ヶ月ほどだろうか。
その間に、作品を完成させなければならない。そうでなければ、今度はまた別の患者がやって来て、茜が戻ってくるまでの期間がどんどん引き延ばされてしまう。
晴明はじんわりと手汗を書き始め、震える手で降車ボタンを押した。
「次、止まります。」




