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もしもし、聞こえますか?  作者: クインテット
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結び葉

 始まりは病室。消毒液の匂いが(かじか)むように充満(じゅうまん)している。

 新しい患者が入ってくるのだ。

 リネンのシーツは洗われ、消毒されているためその形貌(けいぼう)だけでなく生地(きじ)の奥まで白い。それは窓際にあるベッドにかけられ、日光を反射して一層照り映えて見える。

 ベッド脇には小机があり、そこにはまだ何もない。これからここはお見舞いの品や着替えでいっぱいになるのだろう。もしかしたらこっそりお菓子を持ち込んでくるかもしれない。これは献立通り、栄養満点の食事を提供している病院には顰蹙(ひんしゅく)を買われるかもしれないが、これから来る患者―仮にAとしよう―は特に消化器系に問題ないのである。

 というのも、Aはケガのために入院することになったのだ。

 パーテーションの向こうにはもう一床ベッドがあるものの、そこには誰もいない。

 Aはこれから一人、ここに横たわることになっている。


 晴明(はるあき)はペンを進め、(あかね)が生き返るシーンを書いた。続編としてはチープな出来かもしれない。

 人生にしてもそうだろう。死んだ人間が生き返ったら、一体どれだけの歴史、未来が変わるだろうか。

 とはいえ頭にもってくることで読者を驚かせようと思ったんです、という言い訳を晴明は思い付いていた。

 こういうのって大体、裏表紙とか帯に書きますけどねぇ、という(ひいらぎ)の声が聞こえたが、無視した。

 病室で嘆く加藤(かとう)の姿を自分に重ねている。

 だが、『木枯らし』の時とはその重ね方が全く違う。

 あの時は、加藤は自分だった。自分を主人公に仕立てあげ、茜との仮初(かりそ)めの逢瀬(おうせ)を楽しんでいた。

 だが、今は数cmずれている。

 加藤は加藤だ。いや、加藤は昔の俺なのだ。死を、避けられない運命を受け止めるのに精一杯で、動けなかった自分。だけど、今は歩き始められる。

 茜が、深緋(こきあけ)が、リサが、取捨選択(しゅしゃせんたく)してくれた。いらないものを教えてくれて、道端に落としていってくれた。もう重くない。手のひらは軽い。

 目的地のない、今まで自分が歩いたところしか描かれていない手描きの地図だけ持って、今、晴明は歩いている。


 病院から家まで帰ってこれるように、晴明は手を後ろで組みながら病院からの道のりを復習している。カメラを買う余裕はないので、いつも記憶に刻みつけているのだ。

 晴明はいつも自分の町、それかせいぜい修学旅行で行った町並みをモデルに物語を書く。

 ファンタジーなど頼まれても手を出す気はない。

 それが良かったのか、そのリアルな情景描写が好きだという読者は多い。

 誉められれば続ける。晴明はそんなスタンスでずっと書いている。


 病院からしばらく歩くとゆるやかな下り坂があった。晴明は少し息を切らしながら下りていく。

 アスファルトの上の白線は緩やかなカーブを描いている。がしかし、そこを曲がっていく車は一台もない。

左手は崖のようになっていて、たくさんの木々が並んでいる。鬱蒼(うっそう)、という言葉はあまり似合わない。どこかの雑誌が森林浴スポットとして紹介しそうな、若葉色の海がそこにはあった。

 どれもこれも爽やかな薄黄緑の葉を繁らせているのだが、一本だけ、様子の違う木がある。晴明が立ち止まって見てみると、それはイチョウだった。注視すると幹にプレートが取り付けられており、どうやらある学校の卒業記念に植えられたらしい。とはいえこの辺りは晴明の学区外で、学校名を見てもピンとこなかった。

 とにかく、これは小説に入れよう、と晴明は外ももを叩きながら心の内に決めた。

 下り坂はまだ続いている。


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