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もしもし、聞こえますか?  作者: クインテット
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俎上の魚

 昼下がり。

 呼び鈴の音でおもむろに立ち上がった晴明(はるあき)は、『木枯らし』を読んで(あかね)の死の真相を明らかにしようとしていたところだった。

 晴明が記憶している展開とはあまりにも違う。それで不審に思って読んでいたところ、ピンポン音で中止となったわけだ。

「はい……ってこきちゃん。おかえり。」

 お世辞(せじ)にも元気とは言えない顔の深緋(こきあけ)を迎え入れ、晴明は黙っている。お互い元より喋るのが好きではないのでままあることなのだが、今日は何だか気まずい空気が流れている。

「あの、茜さんは?」

 しばらく部屋の角の辺りを凝視(ぎょうし)していた深緋がそのままの体勢で言った。

 晴明は(きょ)を突かれて目線を右往左往(うおうさおう)させる。本当のことは言えない。だが、黙れば黙るほど怪しくなるだろう。

「いやー、消えた、というか……。

 いなくなってさ……。」

 晴明は亡くなったことはしばらく伏せておくことにした。そもそも、死んだかどうかさえ怪しい。今の晴明に分かる―正直に言える―のはこの範囲なのだ。

 深緋は眼鏡(めがね)の位置を直したくらいで、特に動揺(どうよう)は見せなかった。

「それで、探したんですか?」

 深緋は晴明を見()えるように居直ると、落ち着いた調子で言う。

「いや、何と言うか……。

 戻ってくるだろうから、いいんだ。信じてるというか、なんというか。」

 晴明はしどろもどろにそう答えた。

『木枯らし』はまだ読めていない。だから茜がどうなったのか、どうなるのか、皆目(かいもく)検討もつかないのだ。

「まあ、元から素性(すじょう)も分かっていない人でしたからね。

 急にいなくもなりますか……。」

 深緋はそう言って、どこか諦めている様子だった。

 深緋は前もそうだった。ないものはないのだと飲み込むのがずっと早い。


「会いたかったんですけどね。ちょうど。」

 深緋はふとそんなことを言う。

 晴明ははっと深緋の目を見た。相変わらず空っぽだが、その奥に水のようなものが見える。

「寂しいよな。」

 引っ張り出すなら今だ、と晴明は思いながら言う。深緋もすっと上瞼(うわまぶた)を心持ち開いた。

 晴明はわかっていた。

 深緋を確かに感情を表に出すことは少ないし、そもそも心が動く範囲も大して広くない。だが、決して無関心だとか無感情ではないのだ。四捨五入するようにそんな小さな動きは切り捨ててもいいかもしれない。その方が、人を見るとき、判断するときやりやすいから。

 だが、それではこんな小さな水を捨ててよいだろうか。そんなはずはない。

「まあ、そうですね。あんな人は他にいません。

 彼女は間違いなく太陽でした。」

 深緋は項垂(うなだ)れて言った。

「実を言うと、亡くなったのは叔父(おじ)さんなんです。芽張(めばる)叔父さんが、亡くなったんです。」

 晴明も息を飲む。

 親戚としか書かれていなかったから知らなかった。辛かったろうに。目の奥が熱くなるのを感じる。

 深緋にとって芽張がどれほど大きいかはよく知っている。


 彼は小さい頃から人付き合いが苦手で、親戚からも「変な子」として扱われていた深緋を引き取り、育てた人なのだ。

「それも含めて人なのにねぇ。」

 それが芽張の口癖だった。

 東京に行っても広島弁を隠そうともせず、豪快に笑う。

 晴明も何度か会ったことがあるが、全く老いを感じさせない人だった。

 深緋が高校を卒業してからは鬼灯荘を明け渡して広島に帰っており、二人ともその後は詳しく知らない。案外、何か持病があったのかもしれない。


 深緋はぎゅっと(くちびる)を噛み締めた。

「地元に残っていた親戚は、私を東京から連れ戻そうとしていました。

 まるで、私が東京に行ったから叔父が死んだみたいに。

 私はそれに耐えきれなくて、逃げ出してしまったんです。

 通夜には……行けませんでした。」

 深緋の自白に、晴明はどう答えたものか押し黙った。

 何ができるだろう。何かしたいんだ。だが、不意に最適解が浮かんだ気がして、ぼそっと、言った。

「それも含めて、人だろ、きっと。」

 深緋は誰にも気づかれないくらい静かに涙を(こぼ)した。

 晴明も上を見上げて、天井のホコリを眺めている。


「晴明さんが書く物語に終わりがあるように、人にも終わりがあるんですね。」

 深緋はその言葉を自明にするために、ゆっくりと震えた声で言った。

「うん。人は終わるよ。」

 晴明も濡れた頬を袖で隠しながら言う。その調子もまたのろまで平板(へいばん)だった。

「本みたいに、続編があればいいのに。」

 深緋は椅子に背中を預けてそう呟いた。晴明の耳に、その言葉が何故か大きく響く。何か細い糸のようなものがその言葉から伸びて、視床下部に突き刺さっている気がする。

 それでも涙で()れぼったく熱を持った頭では、その正体は掴めなかった。

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