さようならベテルギウス
晴明は、家に帰された。強制的に。
背中にはひそひそ声が刺さって、それでも抜く気にはならない。
バス停までの道のりが嫌に長い。ギリギリ夏といえる今日の気候は、余計にそれを増幅する。ザリッザリッとつっかけの裏をアスファルトが引っかいていく。
バス停の傍にあるベンチに腰掛けた。立方体の木のベンチ。ベンチというよりは、椅子に近いそれは4つある。何人か他のベンチに座っているものがいたが、誰も晴明に注意を払わなかった。
その方がいい。今は放っておいてほしい。
バスが来るのは14分後。ついさっき行ってしまったらしかった。
鉛色の雲が、風と一緒に流れている。ボツッボツッと雨が降り始めた。細い雨粒が、絶え間なく降り注いでいる。晴明は、傘を持っていない。
いっそ、濡れてしまいたい。このまま屋根の外へ出てやろうか。
晴明は自罰的になりながら少し腰をあげた。
だが、ここで濡れて、楽になってどうする。茜はあんなに苦しんだのに。自分だけ楽になる気か。そんな誰かの声が聞こえた気がした。
晴明はまた腰を下ろして、蜘蛛の糸のような雨を、おあずけをくらった子どものように見上げている。
バスの中はガラガラだった。平日の昼間なのだ、仕方ない。晴明は窓の外を見ながら、頬杖をついた。
家に帰ってみると、ドアのポストに何か突っ込んであった。
引き出してみると、深緋の字で、
「親戚の葬式で広島に行きます」
と書かれている。
晴明は葬式、という字面を見て丸めて捨てようとした。だが、ほんの少しついた皺を伸ばして、それぎりやめた。
元より茜がいなくなったことは深緋に指摘されるまで黙っていようと決めている。
だから構わないといえば構わないのだ。
別にいなくたっていい。でも、会いたかった。誰でもいいから、話がしたい。今日からスーパーから帰っても、誰も出迎えてくれないのだから。
リサとくだらない話でもしようと思って玄関に入ると、茜の分のつっかけが揃えて置いてある。
お出かけ用のちょっといい靴は、持ち主ごと消えた。
晴明は極力見ないようにしながら部屋にあがり、適当に着替えてからパソコンを起動した。
リサに連絡してみる。繋がらない。なぜか、今日ばかりは捕まらなかった。
かけ直すと理由を聞かれそうなので、諦めてそっと閉じた。
これで、晴明はひとりだ。
今、晴明と誰かを繋いでいるのは、茜の残留品だけ。少し残っている、その匂いだけ。
さようならは、もっと簡単だと思っていた。




