ラストシーン
救急車のサイレンが近づいてくる。
晴明はただ呆然と目の前を見ている。軽自動車から駆け寄った運転手も、また同じだった。
ただ、どうやら心象は違うらしい。
「うぅん……出血はないですね。
良かった……大事に至らなくて。」
晴明は歯をぎりぎりと擦り合わせた。
違う!
今すぐその拳をアスファルトに叩きつけたかった。しかし、そんなことをしては狂人だと思われるだろう。
茜から、血は出ないのだ。どんなに痛いか、運転手の男は知る由もない。
意識はない。
「ええ、そうですね……。」
晴明はそう絞り出すと、アスファルトに手を当てた。
「救急です。鳴海 茜さんですね?」
「はい、そうです。
早く……早く運んでください。」
救急隊員は浅くうなづくと、茜を担架に乗せた。
晴明と軽自動車の運転手は、救急車に同乗した。
救急隊員はこれだけの事故で出血が全くないのを訝っている。しかしそれを顔に出したり、ましてや口には出さなかった。
ただ意識回復のために、遮二無二心臓マッサージをし続けた。
救急車の中で聞くサイレンは、いつもより他人事のように聞こえる。なぜか、遠くで鳴っているかのような。
「さん。……みさん。鳴海さん!」
晴明ははっと我に返った。病院に着いたらしい。
茜はまたガラガラと運ばれていく。
晴明には、待つことしか許されなかった。
分かってたのに。救えなかった。いや、それにしても、こんな筋じゃなかった。こんなに早くなかったはずだぞ。もしかしたら、助かるかもしれない。
晴明は頭を抱えた両手の中でにんまりとした。
きっとそうだ。何かの間違いだよ。そもそも、今まで小説通りだったのがおかしかったんだ。
「あの……奥様、頭を強く打ったようで……。」
楽天家になりきろうとした三文役者の頬を強かに打ったのは、平手ではなく金属バットだった。
「えっ?」
「もう、意識を取り戻すことは……難しいかと。」
医師はそう言って、晴明から目を逸らした。いや、最初から。最初から逸らしていた目をもっと思い切り逸らしたのだ。
「そう、ですか。」
晴明はズボンをきゅっと握った。
「病室に移しましたが……。
奥様と過ごされますか?」
医師は言葉を熱心に選んでいたが、あまり効果はない。
「もちろんです。」
晴明はのそりと立ち上がると、医師に続いた。
茜は陽の当たる窓際で、静かに眠っている。
晴明は近くにあるパイプ椅子に座って、茜の左手を独占した。
冷たい。明音の、さっきわずかに触れられた手のひらとは違う。
俺の熱が移ればいいのに。晴明は握る強さを少し強くした。
少し、笑ってるように見えるな。晴明はそう思った。
筋書き通りだな。笑って、それから。
ふっ、と。
晴明の手が虚空を撫でて、病室のベッドに叩きつけられた。
「えっ?」
何もない。
「えっ?えっ?」
晴明は囈言のように呟きながら、ベッドをまさぐる。
冷たい。リネンの、あの冷たさ。
そうだ。『木枯らし』は。そうだったな。
加藤が、茜の笑顔に気づいて終わるのだ。
これが、あの子のラストシーンなのか?あんなに、いい子だったんだぞ。骨も残してもらえないなんて!あんまりじゃないか!
「うああああああああ!」
晴明は何度も拳をベッドに叩きつけ、獣のように叫んだ。
「鳴海さん!?どうされましたか?
あれ?奥様は?」
「いない!もういないんだ!」
晴明は狂ったように叫ぶ。
看護士は右往左往するばかりで、何もしない。
ただ叩きつけられた拳のリネンに触れる面だけが、時折冷たくなるだけだった。




