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もしもし、聞こえますか?  作者: クインテット
35/59

花束とか街路樹とか

晴明(はるあき)さん……?」

 (あかね)が心配そうに声をかけた。

 晴明は花束を握りしめ、地面を(にら)みつけたまま何も言わない。

「帰ろうか。」

 やっとのことで口を開くと、晴明は言った。

 茜は花束と墓場と、それから晴明とを交互に見る。ただ両足だけが大人しかった。

 晴明は鼻から息を吐き出すと、

「ここには、俺たちにできることはないよ。」

と言う。

茜にはその言葉の真意が分からなかった。

 それでも晴明の背中を追いかけて、小走りになる。

 茜の足音が晴明の胸で踏み鳴らす。晴明の心は少しずつすり減っていった。

 それでも、もうここにはいられない。

 明音(あかね)の墓前には真っ白な造花が踊っている。風に揺られている。ゆらゆら。ゆらゆら。

「行こう。」

 晴明はもう一度言った。

 風が()いでいく。

 下り坂のはずなのに、茜はじっとり汗ばんでいた。


「近道しようか。」

 晴明はそう言って、獣道(けものみち)に入っていく。

 8Doughnutを諦めれば、ここが使えるのだと言う。

 どうして諦めるのかな。美味しいのに。

 茜はそんなふうに思いながらも、その獣道へと分け入っていく。

 背の高い雑草によって覆い隠されたそれは、茜にとっては新鮮だった。コンクリートとは違い、土踏まずに食いこんでくるような感触がする。両足をくすぐるように雑草が寄り添ってきて、くすぐったい。

 晴明はそんなことは意に介さずとばかりにずんずん進んでいく。茜はなんとか追いつきたくて、少し小走りになった。

「晴明さん!」

「ん?」

「また、行きましょうね。」

「はは、どうしようかな……。」

 やっと追いついたけれど、道が細くて茜は晴明と並んで歩けなかった。

 晴明は雑草に飲まれないように花束を持ち上げながら進んで行く。茜はその様子を見ながら、やっぱり分からなかった。


 プッと吐き出されるように獣道が終わると、見慣れた光景がそこにあった。

「ここは……。」

 立ち入り禁止の看板の直後、やって来た終わり。

 丁字路を曲がらせまいと立っている立ち入り禁止の看板は、もう裏門は使われていないと告げている。それを無視して直進すれば。そう、ここは晴明の通っていた高校前だ。

 あの厄介な坂の中腹に辿り着く。

 晴明はズボンを軽く払うと、また歩き出した。茜もまたパタパタと追いかけていく。

 街路樹が2人を誰かの目から守るように茂っている。何故か不均等なそれは、見る人から見れば美しい。車の通りは少なく、それを好機とばかりに青いバンが飛ばしている。

「俺は好きだったんだけどね、ここ。」

 晴明は坂を見下ろしながら言った。

 白いタイルは砂で汚れていて、その輪郭はぼやけている。

 茜は坂と晴明を交互に見て、静かに(うなづ)いた。

「あっ。」

 晴明は小さく悲鳴を上げて、また黙った。

 茜は(まばた)きしながら晴明を見たが、相変わらず何も言わない。

「どうしましたか?」

 いつもとは違う晴明にびくびくしながらも、一応聞いてみた。晴明は黙って首を横に振って、歩き始めた。

 茜は今度は隣を歩けるようになったのでスキップをこらえながら歩く。

 タイルは先程の獣道から連れてきた砂で汚れていった。


「あー、この次の横断歩道を渡らないか?」

 信号待ちの途中、晴明は言った。

 茜はまた瞬きしたが、理由を聞こうとは思わなかった。きっと無言が返ってくるだろうと思ったから。

 晴明はそこから数100m先の横断歩道を目指して早歩きをする。

 地元の人以外誰も知らない、そんな場所。ここは信号が変わるまでが長くて、お年寄りはよく使うのだ。

 晴明は町内会の行事で初めてここを知って以降、重い荷物がある時なんかは使っている。

 だが。

「まじかよ……。」

 晴明は信号を渡れなかった。

 理由は単純。カラーコーンのせいだ。

「信号機を新しくするため、通行止め

  他の横断歩道をご活用下さい」

 そんな張り紙まである。

 晴明は花束を振り上げて、静かに下ろした。

「戻りましょうか。」

 茜はそうやって(うなが)した。

 そうだ。いつもの横断歩道、そしてここを逃せば、もう(しばら)く道路は渡れない。

 もっとも、交通法を無視して適当なところで走って渡れば話は別だが。そんなことをする気は晴明には起きなかった。

「戻ろっか。」

 晴明はそう言って、茜の手をパッと握った。

 暖かい。案外バッタもんじゃないのかもしれない。

 確かにそこにいて。何かのためじゃなく、ただそこにいる。それだけでいいや。

 晴明は理由を突き詰めるのをついにやめた。

 茜がどうしてここにいるかなんて、分かりきったことだ。晴明がここにいるから、それに他ならない。


 坂を登って行けば、地球が丸いのを感じる。

 茜は時々晴明の手をギュッと握り返したり、少し力を緩めたりしている。

 もう少しで、横断歩道だ。

晴明はゆっくり息を吸った。一歩一歩、足を踏み入れていく。

 茜は()れているが、手を離そうとはしない。

「茜、俺はなんだかんだ言ったけど、ここにいて欲しいんだ。」

「知ってますよ。」

 茜はいよいよ焦れて手を引いた。晴明は観念したように歩き始めた。

 (うつむ)いて、白、黒、白黒を確かめながら。

 3度目の黒の時だった。

 キキーッとゴムの擦れる音がした。鋭い音。それが晴明の耳を切った。

 見上げれば、茜がいる。当たり前だと思っていた。

 でも。

「さようなら。」

 どうやらそれは違ったらしい。

 茜の体は遠くに飛ばされた。

 白い軽自動車はつんのめるようにして止まった。

 晴明は音を立てながら呼吸をしている。

 何が起こっているのか、よく分からなかった。

 体が動かない。ただ心臓と肺だけがうるさく動いている。

「茜っ!」

 ようやく口について出たその名前は、少しだけ手遅れに聞こえる。

「俺は、茜に供えるためにこの花を買ったんじゃないんだぞ……。」

 晴明はそう言って、花束を投げて立ち上がると、茜の元へ駆け出した。

 白い花びらが、タイルに紛れて見えなくなった。


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