衝安の殿堂
晴明は深緋にバケツを借りて、ケチ臭くも近くの公園まで歩いた。
水を汲むためだ。
茜にはまだ内緒。口うるさいのもあるが、サプライズをしたかった。
ゴムサンダルとガサガサした足裏が擦れてムズムズする。夜風は晴明の両足の間をすり抜けるように逃げていく。久しぶりに銭湯に行った髪は汗か拭き残しか分からないが、水気をまとって揺れている。時々、バケツが足に当たってガランガランと音を立てる。
いささか明かり不足だ。その音だけで晴明はびくついて辺りを見回してしまう。
リー、リー、と虫の声がする。
晴明は公園に辿り着いた。昼間はちらほらといた子供たちも、今頃眠っている頃だろう。
「今の良い子は、9時にゃ寝ないか……。」
晴明はそう呟くと、よっこらしょと言わないように。いいぃーと言いながらしゃがみ込んだ。
一応きょろきょろと辺りを見回す。よし、誰もいない。
晴明はポリバケツを公園の蛇口の下に置き、思いっきり蛇口を捻った。ばだばだと勢いよく水が注がれていく。
晴明はその様子をぼうっと眺めている。
もう秋なんだなぁと膝の上で頬杖をつきながら思う。気づけば夜は長いし、風も冷たい。ただ星空はくっきりと近づいてきていて、今も赤白い星が輝いている。
バケツの1/4ほど水が溜まると、晴明は蛇口を止めてまた歩き始めた。
高校時代、雑学にはまっていた晴明は知っている。これは軽犯罪だということを。自分と同じような雑学者に捕まらないよう、さっさととんずらしようと、晴明は早歩きで家路を急いだ。
ゴムサンダルは時々すっぱ脱げそうになった。
茜は晴明の部屋に転がっていた3巻しかない少年マンガを何周も読みながら待っている。
「寝ないでくれよ。」
そう念を押して晴明は出ていった。
しかしどうして、と聞いても答えてはくれず。
どこか悶々としながら茜はページをパラパラとめくっている。
32ページに、お気に入りのセリフがあるのだ。30,31、ピンポーン。
インターホンだ。
「ただいま、帰りましたー。よし、行こう、茜。」
玄関まで出てみれば、晴明が青いバケツを持って笑っている。
えっ、どこに。茜がそう呟くと、晴明は靴箱をごそごそとやりだした。
靴にこだわりのない2人なので、靴は3足しかない。
そのため三和土に直接置いてあるのだ。
使っているはずのない靴箱に、何が。茜が晴明の手先に集中していると、出てきたのは。花火だった。
「あった、あった。
季節外れだけど、やろうぜ。」
晴明はわざと若者ぶった口調で誘うと、少し強引に茜の手を引いて鬼灯荘前の小さな駐車場に連れていく。
置かれたポリバケツ。ポケットからはチャッカマン。お徳用の花火セットから適当に2本取り出して、1本茜に差し出した。
茜は素直にチャッカマンの火に花火を突っ込んだ。押し出されるように光る、青白い光。
一方晴明は、茜の花火にそっと近づけて、黄緑色の光を放った。
「あっ、晴明さん、いけないんだ!」
茜はそう言って花火をちょいと晴明に向けかける。
晴明は危ねっ、と言ってよけた。
今日はちょいワルな気分だったのだ。きっと、お互いに。
火薬の匂いが辺りを包んでいる。
バケツの中で何本もの花火が縮れている。
晴明は花火で字を書いて遊び、茜はロケット花火を打ち上げていた。
もちろん深緋に許可はとっている。
「そういえば。」
「えっ?」
花火のシューッという音でかき消された茜の声を、晴明は何とか聞こうとした。
「そういえば!
なんでいきなり花火なんて?」
茜は大きな声で言う。
ロケット花火が小さく弾けた。
「ああー。」
晴明の花火がゆっくりとしぼむように消えた。
「安いんだよ。この時期。
売れ残った花火買いほうだーい。」
晴明はそう言ってバケツに花火を投げ込んだ。
本当は嘘だ。晴明はそう思いながら線香花火を取り出した。
本当は、小説にないことで楽しませたかった。物語は終わらせない。でも、幸せになってほしい。もし、俺が無力でも。ちょっと、笑ってくれたらいいな。
晴明はそんな風に思って、衝安の殿堂に駆け込んだのである。
「えー。なんだか、粋じゃないですね。」
茜はそう言って笑い、晴明が渡した線香花火に火をつけた。
晴明も同じように点し、並んでしゃがむ。
「なんか、線香花火って最後にしちゃうよな。
だから寂しげなのかも。」
そう晴明が話しかけると、茜はしっ、と言った。
ああ、そうだ。線香花火は喋ると早く落ちるんだっけ。
晴明も黙り込んだが、茜より先に落ちた。
バケツへと向かっていると、
「ああー。」
と残念そうな声。
思わずくすくす笑ってしまう。こんな幸せが続けばな。そしたら、いくらでも黙りこくれるのに。
晴明はそう思った。
花火は残り、3本だ。




