備えあれば憂いらしい
晴明は居間の真ん中で眠る茜を見ている。
「貧血でしょうね。」
未月はそう言った。
「持病。何なんですか。」
深緋が茜の眉間を凝視しながら言う。
晴明はふっと現実に戻された気がした。
その前は、どこにいたか知らない。
「俺も分からない。」
晴明は茜から目を逸らした。
だってだって。思ってしまったのだ。
これで信憑性が上がったな。と。
晴明は弱くて格好悪い自分に食われてしまいそうな気がした。こんなダサい奴に食われて。俺はカッコつけることもできないのかよ。
今度こそ、カッコいい男になりたかった。カッコいい男になって、君を迎えに行きたかったよ。タキシード着て、花束持って。
でも実際は。
毛玉だらけのスウェットに、両手に険しい顔した花。最悪だな。
「余命は。いつまでなんですか。」
深緋は茜の頬に掌をそって当てた。反応はない。
「そろそろ終わりだよ。貧血で倒れたから。」
晴明は自嘲気味に言った。
その言葉尻がどうにも深緋には引っかかったが、特に何も触れずにおいた。
具体的にどこが気になるかというと、口には出せなかったからだ。だがこの小骨にもならない違和感が、深緋の喉をせっついたのは確かだ。
「案外さ、早く終わった方がいいのかなとも思うんだ。
こんなに苦しむくらいなら、いっそ。」
晴明はなおも言う。
敗北感と劣等感は人を饒舌にする。たくさん喋らせて、口いっぱいに溜まった唾を後ろに吐きかけるために。
深緋はその言葉を聞くと、ふと立ち上がった。
晴明は生気のない目でそれを見ている。
深緋はわなわなと震えた。頬にうっすらと汗をかき、歯をくいしばっている。両手はぎゅっと握られ、もう白くなっている。
「何言ってるんですか。」
深緋は低い声で言った。
晴明ははっとした。
その声に聞き覚えがあった。
そうだ。1度だけ、深緋に本気で怒られたことがあった。あの時は、確か。
晴明がまだ高校生だった頃。
そして、深緋とは親しくなったものの、明音はまだその輪にいなかった、そんな5月のことだ。
晴明はいつも窓の外を見ていた。ここではないどこかへ、誰かが連れて行ってくれると妄想していた。それはかぐや姫が昇天したみたいに。突拍子もなく、神々しい。
こんな誰からも見向きもされない独房じゃなくちゃ、どこだって天国さ。晴明はそう思っていた。
そして、深緋と昼食を摂りながらこう零した。
「ああ、やっぱりダメだな。
このまんまじゃ孤独?
ひとりってことに、潰されそうだ。
学校、サボろうかな。
明日から、駅前で制服着たまんまタバコふかしてやるんだ。
そしたら、きっと誰かが見つけてくれる。」
深緋はそれを聞くと、椅子を教室の壁に叩きつける勢いで立ち上がった。
「何言ってるんですか!
あなたはいつもそうやって!
今は私がいるでしょう!?」
深緋ははあはあと肩で息をして、また何事も無かったかのように座ってお弁当を食べ始めた。
教室中がぽかんとした顔で深緋を見る。しかし、一時停止していたビデオがまた始まるかのように、普段通りの食事が帰ってきた。
自分以外の島のことなど、興味がないのだ。
「何言ってるんですか。」
深緋の声に、ふっと晴明は現在へと戻された。
「どうして幸せな展開にできないんです!
ハッピーエンドにも!?
あなた、作家なんでしょう!?」
晴明は目を見開いた。
そうだ。もうこきちゃんは、私がいるから大丈夫とは言わない。
だって、それはもう過去のことだから。こきちゃんは、1人で歩けと言っている。そうだよ。決心するのが遅すぎたかもしれない。それでも。
「ありがとう。目が覚めたよ。
俺は、俺は。この子を幸せにするよ。
いつか終わってもいい。
でもそれまでは。
笑って暮らせる世界にするよ。」
晴明はそう言った。今までより大きな声で。
深緋は立ったまま、静かに頷く。
茜は先程の晴明の声でか、ようやく目を覚ました。
「あれ?ここは……。」
「家だよ。俺たちの。」
晴明はそう言って、茜の鼻をつまんでうりうりとやった。
茜は抗議の声を上げたが、楽しそうに笑っている。




