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もしもし、聞こえますか?  作者: クインテット
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変わる代わる

 プツッ。

 静かな部屋にこの音だけが染み入った。そこからは少しの沈黙。

 先に口を開いたのは晴明(はるあき)だ。

「あの、折り入って相談したいことが……。」

 その言葉を聞くと、

「そうだろうと思ってたよ。」

と画面の向こうのリサが笑う。

先進気鋭(せんしんきえい)の超常現象博士、リサ様に任せなさい!」

 そしてこう叫んで、胸をドンと叩く。

 晴明は苦笑気味に、

「はいはい、ただのオカルトマニアだろ。」

と返した。

 するとリサはちっちと舌を打ちながら指を振り、

「私は先日、とうとう博士号をもらったのだ!

 いやぁ、顔が怖い教授を納得させるのは大変だったよお。」

と言う。

 晴明はへええとしか返せなかった。慄然(りつぜん)とした。

 人は変わる。変わっていく。

 そんな引力並の常識を今、目の前で手品さながらに見せつけられたのだ。

 本当はこういうものなのだ。変わらない、自分がおかしいのだ。

 晴明は自分で繰り出した思考が自分の脳に突き刺さったような気がして、どこかで見た―イノシシのような―珍獣を思い返している。


「あ、そうそう。相談だったね。何?」

 リサはひとしきり博士号をとる苦労について語っていたが、晴明はもちろん―全くと言っていいほど―聞いていなかった。

「ああ、それなんだが。

 実は、どんどん物語が進んでいってるんだ。

 今までは、バッドエンディングを変えるどころか、引き延ばすのがやっとってところだった。

 それが今じゃ、それさえ危うい。

 このままじゃ、本当に茜は……。」

 リサは画面越しでは晴明の震える頭を抱き締めることもできないのだと悟った。そっと背中をさすることでどれだけ晴明を慰められるか、よく知っているのだ。けれども、不可能である。

 届けられるのは、声と姿だけ。体温も触感も、届かない。

 きっと茜と晴明は今、そんな状態なのだ、とリサは思った。

 触れれば溶ける氷がある。では、それに姿を映すだけで、溶けろと言うだけで、果たしてその氷は溶けるのだろうか。


「ねえ、茜さん、ってさ。

 モデルっていないの?

 その人に会ったらさ、何か解決するか……。」

「死んだよ。」

 ()を言い切らないうちに、晴明が言う。

「茜のモデルは、俺の恋人だ。

 でも、亡くなったんだ。

 俺は、浅ましい男だよ。

 その恋人のことが忘れられなくて、作家になって。

 挙句の果てには、その小説のヒロインにその恋人の名前をつけて。

 口調まで真似して。

 一緒にやりたかったことを書いてった。

 俺は最初っから、小説家じゃなかったんだ。

 俺はいつまでも、牧明音(まきあかね)の恋人だよ。

 それ以上にも、それ以下にもなれない。」

 晴明はそう言って、スウェットの(すそ)(ひね)り上げた。

 リサはぱっと口を開いた。

 ここで黙っていては、氷は溶けない。

「そうかもしれないけど、そうじゃないよ。

 晴明の小説はそれだけじゃないでしょ。

 他の作品を書いた時の晴明は、紛れもなく小説家だよ。

 明音さんから離れられない過去の奴隷(どれい)じゃない。」

 晴明はそれを聞くと口角を上げて、

「ありがとう。

 でも、それは嘘を隠すために重ねた嘘だ。

 本当は俺は。ずっと高校生だよ。

 ぐるぐる、あの日々を回って抜け出そうともしない。」

と優しく言う。

 きっと正面を見た。

「でも、今は茜を助けたいんだ。

 俺が今やりたいのはそれだけだ。」

と、リサに言葉をぶつける。

 リサはそれを聞くと頬杖(ほおづえ)をついてこう言い放った。

「それはさ、どっちのアカネを助けたいの?」

と。

 晴明の顔からさっと血の気が引いていく。

 まるで、あの夢みたいだ。

「晴明はさ、あの、小説の茜のことが好きだから、助けたいんでしょ。

 それはわかるよ。

 でもさ、晴明がそこまで分かってて悩んでるのは……。」

 リサの言葉を、晴明は手で制した。

 ああ、分かってるんだ。

 茜のことは、恋愛的な意味ではなく好きだ。しかし明音には恋をしていた。

 この好きという曖昧な言葉のせいで、茜と明音を混同しているのではないか。

 それに、茜のどこが好きなんだろう。ちゃんと茜として見れているのかな。明音に似てるから好きなんじゃないのか。明音の、代わりなんじゃないのか。

 そんな疑問が離れてくれないのだ。


「晴明。私はね、晴明の気持ちは、どっちに対しても中途半端じゃないと思う。

 ちゃんと真剣だよ。

 だから、茜ちゃんのことも、晴明のことも、ちゃんと助けられるよ。」

 リサはそう言ってニコリと笑う。

 晴明もありがとうと言って笑った。

 晴明には、最後の文言が暖かった。

 リサは、晴明を心配してくれている。自分を助けろと言ってくれる。それが嬉しかった。

「じゃあ、レポートもあるから。

 そろそろ、ね。」

 リサは晴明の笑顔を見て安心し、1人で悩ませるのもある程度は必要だろうと優しく通話を切った。

 晴明の部屋の天井から、冷たい空気が降りてきて、晴明を包む。

 この部屋は、こんなに大きかったろうか。

 そうだ。『木枯らし』でも読もうかな。

 晴明は『木枯らし』の表紙をそっと()ぜ、結局やめた。

 この本は、リサの代わりにはならない。だって発刊されたら、もう変わらないのだから。

 それに、画面越しに伝わる温もり。それは、この本には再現不可能だ、と晴明は思った。


 翌朝、朝刊の2面では、北海道で溶け残っていた氷がやっと溶けたことが報じられた。


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