受付のミーナ その5
六日目。いよいよ婚活体験もきょう明日でおしまいだ。
さすがに残り二日しかないので、きょうもミーナは農場のお手伝いではなく、家にいてイズレンウェと仲を深めるつもりであった。
そのために軽くお化粧もして、この婚活体験の前に買った新たな一張羅であるワンピースも身につけた。髪もキチンとまとめた。
昨夜はイズレンウェから「なんでも」とか言われたので、なにを言い渡されるのか内心ドキドキだったのだが、顔を合わせても特に命令をされるわけではなかった。肩透かしである。
しかし両親が仕事に行ってから、彼の態度は一変した。
「じゃあ掃除な」
「へ」
部屋に呼び出されると、首周りがだるんだるんのジャージを着た彼にそんなことを命じられた。
「間抜けな顔してんなよ、掃除だ、掃除。ほら、さっさとやれ」
「でも掃除って……、まさか……、まさか!?」
ミーナが愕然とする。それはまさか、目の前に広がるこの腐海のことを言っているのか……? 本気で言っているのか。まだ出会って五日目の自分にここを掃除しろと……?
この部屋を長年かけて汚し続けてきたのは、彼自身ではないか。それを婚活相手に掃除させるなど、あの顔がいいエルフは恥じらいとか、申し訳無さとか、慎みとか、そういう心はないのか!?
ミーナはあまりにも自分の価値観と違うことを命じられて、思いっきり戸惑う。
「あ、あの、自分の部屋は自分でお掃除するのがいいと思いますけど……」
「嫌だよ面倒くさい。は、なんなの? なんでもやるっつったよね? 俺に口答えすんの?」
思いっきり不機嫌な気配を出す彼に、ミーナは「い、いえ、そうじゃないんですけど……」ともごもご口を動かした。しかし、ここを掃除、掃除か……。
牛たちの世話や、麦畑のお手伝いとはまったく違うお仕事をもらって、ミーナはなんだか嫌だなあという気持ちに襲われた。ここ数日が楽しかっただけあって、反動がひどい。彼の母親ですら手を付けられなかったような場所だ。
それに、せっかくおめかししてきたミーナは自分の格好を見下ろしてなんだか悲しい気持ちになった。こんなのなんの意味もない。彼は自分を見ていないのだ。
「わかりました。今やります……」
「いちいち言わなくていいから。そういうのウザい」
「はい……」
ミーナは汚れてもいいような服に着替え直してくると、部屋の掃除を始めた。もしちゃんと部屋を掃除しきったら、そのときは彼も自分を認めてくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら。
掃除は思ったよりもずっとハードだった。それは肉体労働というよりは、どちらかというと精神的な部分で、だ。
床に落ちている雑誌をつまみ上げると、なにやらでろっとした汚れが付着している。思わず叫び出しそうになる気持ちを我慢しながら、ゴミ袋に放り投げる。そんなことを繰り返してゆく。汚い。臭い。つらい。感情をなくしてしまいたかった。
朝に始めたはずなのに、終わったのは夕方だった。
あんまり考えたくはないが、もしかしたら三十年分の汚れが溜まっていたのかもしれない。封印されたダンジョンを攻略するようなものだった。相当手ごわかったが、しかしミーナはやり遂げた。
しかもただ片付けただけじゃない。イズレンウェが過ごしやすい部屋になるよう気を配ったのだ。本はちゃんと本棚にわかりやすいよう五十音順に並べたし、着れそうな服とこれはもう駄目だろうって服も選別した。着れそうな服はまとめて洗濯する予定だ。
「あたしってば、できる奥さんになっちゃいますね……!」
充足感はあったものの、手も足もベタベタしていて、なんだか全身に汚水をかぶったような気分だ。ゴミを外に運ぶがてら、外の井戸を借りて汚れを落とすとしよう。鼻の奥に異臭がとどまっているような気もするし。髪につかなくてよかった……。
居間のソファーに寝転んでいたイズレンウェに「終わりましたよー」と告げる。
「おっせえな」
「す、すみません。でもほら、見てきてくださいよ、ぴっかぴかですよ!」
「あっそ」
彼はそっけない態度を取っていたが、自分の部屋を見たら少しは喜んでくれるだろう。ミーナの胸の中にはある種の満足感があった。
さて、体を拭いてから彼の部屋へと向かう。リアクションが楽しみだ。
『oh! こんなにキレイになっちゃって! まるで見違えるようだYO! さすがミーナくん! 今まで冷たくしてごめんな! 俺の生涯の伴侶にはキミしかいない!
一生一緒にいてくれや!』
そんな風に求婚されてしまうのかもしれない。ミーナの掃除はイズレンウェのひねくれたココロまでもぴかぴかにしてしまったのだ!
自然とにやける頬を押さえたままイズレンウェの部屋に向かう。部屋は新築同然とまではいかないが、しかし三十年の汚れは吹っ飛んでいた。床がちゃんと見えるし、壁も拭いたし、乱雑に積み重ねられた本は棚に収まっていて、ミルフィーユみたいになっていた服もクローゼットにかかっている。
ミーナは手を後ろに組んだまま、てててとイズレンウェの横に並ぶ。褒めて褒めての姿勢である。彼の横顔を見上げて、顔色を窺う。
イズレンウェは眉をひそめていた。
「つっかえねえなー、お前……」
「えっ? な、なんで?」
一瞬なにを言われたかわからなくて、思わず聞き返してしまった。イズレンウェは心底呆れたようにため息をつく。
「お前さ、本を適当に棚に突っ込んだだろ。ハァ~~~……、これだから低能な女は……」
「え? え? た、タイトル順に並べましたよ!?」
ミーナは慌てて本棚を見た。ちゃんと整頓されて並んでいる。イズレンウェのためにそうしたのに。
「だからぁ、この本は出版ギルド順に並べるんだよ。なんでそれぐらい思いつかないわけ?」
「え、え……、そ、そんなの……」
そんなのわかるわけないし……。
「そんなのってなんだよ。むしろその程度のこともできねえのかよ。ほんっとに低能だな、お前。呆れるわ」
ミーナはぽかんと立ちすくんでいた。ショックが大きくて怒りすらわかなかった。はっと気がつくと、両手を広げて部屋を示す。
「ま、待って! でもほら、それ以外はどう!? ね、きれいになったでしょ!? なんかこう、それに関してはなんかこう、ないのかなっ? ね、ね!?」
「いや、部屋の掃除ぐらい誰でもできるだろ。誰にでもできることを誇るって、浅ましいよな。やっぱ女って頭悪いわ。つかお前、俺の服勝手に捨てただろ? ありえねえわあ」
「は、はあああ……?」
半日かけて部屋を掃除した自分に対する態度が、それ!?
ミーナは目を白黒させた。もしこれがクラウスでも、彼はミーナに感謝の言葉を言うだろう。なんてことだ。イズレンウェの失礼な態度はクラウス以下ではないか。いや、クラウスのために部屋を掃除するなんてありえないが。
まさか、まさかまさかここまでだとは思わなかった。
そこでミーナは本当にお礼を言わずにベッドに寝転がる、だらしないジャージ姿のイズレンウェを見下ろしながら思う。もしかしてこの人、性格が悪いんじゃ!
言いたいことは山ほどあったけれど、一度言い出すと堰を切ったように止まらなくなってしまいそうなので、ミーナはグッと耐えて言葉を飲み込んだ。握りしめた拳がミキミキと音を立てる。
納得のいかないことばかりだが、今は耐えるしかない。これもすべて顔のいい旦那を手に入れるために……。
そうだ、思えば彼の本に対する愛への理解が足りなかったのかもしれない。(ほとんどの本は床に投げっぱなしになっていたという点に目をつぶれば)、彼は本当に本を大切にしていたから、そういうことはあるある。ミーナだってエルフのことが好きだから、気持ちはわかるつもりだ。
ミーナは自分の気持ちを押し殺し、素直に謝った。
「ごめんなさい、イズレンウェさん。気をつけますね」
イズレンウェはこれみよがしにため息をついた。
「いいよ別に、期待してねえから」
心の中にふっと虚しさが湧き立つ。もし自分が彼と結婚したら、彼はずっとこんな態度なんだろうか。自分がなにをしても、それが当然の顔で受け止められるんだろうか。
だとしたら、アイナノアのポーション屋でバイトでもしたほうがマシな気がする。少なくとも彼女は、ミーナがなにかをしたら「ありがとう」と言ってくれるだろうから。
エルフにだったらなにをされてもいいと思っていたけれど……、ミーナに迷いが生まれる。これがミーナの夢見た結婚生活なのか。本当にこのまま結婚してもいいのだろうか。
気落ちした気分で、ガチャとイズレンウェの部屋を出る。
そこでミーナはぎょっとした。彼の両親がいたのだ。
「な、なにか?」
パパさんとママさんはミーナの両手に抱きついてきた。
「えっ、ちょっ、えっ!?」
「違うんです! あの子は本当は優しい子なんです!」
「そうなんだ、あれはちょっとしたあの、そう、つんでれ、ってやつなんだ! そうなんだ、だから見捨てないでやってくれ!」
「いや、そう言われても、あの……」
両方から『たのむよー!』とすがりつかれて、ミーナは途方に暮れた。
なるほど、わかってきた。
この両親からあんな息子が生まれたのは不思議でもなんでもない。周りがなにも見えていないこの両親だからこその、あの息子なのだ……。
そして、いよいよ七日目。最終日である。
ミーナは悩んでいた。せっかく手に入れた縁なのに、ここで手放してしまうのはあんまりにも残念だ。
しかし、婚活相談所の職員として仕事をして三ヶ月余りの体験は、ミーナをすっかりと変えてしまっていた。
もしミーナがミーナの相談を受け付けているのならば──。
──ミーナはイズレンウェを決して勧めはしないだろう。
わかりきったことだが、彼と一緒になったところで幸せになる未来は見えない。ミーナはエルフと一緒にいられればそれが幸せだと思っていた。だが、頭の中のもうひとりのミーナがささやくのだ。絶対にやめとけ。後悔するだけだぞ、と。
だがしかし、エルフで理想のパートナーを見つけ出そうと考えれば、どれほどの時間がかかるというのだろう。次のチャンスはもうないかもしれないのだ。
ここでイズレンウェを選んでしまうのかどうか。ミーナは決断を迫られていた。
ひとり悩んだミーナは、ぶらぶらと村を回っていた。しかし結論は出ず、諦めて家に戻ったところだった。
「どこいってたんだよ」
「あ、お散歩に」
玄関近くでイズレンウェと出くわした。彼の両親はお仕事に出ているので、今はふたりきりということになる。
正面から見ると、やっぱりカッコイイ。エルフの種族的特徴である長耳がツンと伸びていて、アーモンドのような瞳はエメラルド色に輝いている。
四六時中彼の顔を眺めることができたら、幸せなんだろうか。
それは心温まる夫婦の会話や、ふたりで手を繋ぎながらのんびりとお散歩をしたり、一緒に台所に立って料理をしたりすることよりも、よっぽど大切なことなんだろうか……。
三ヶ月前の、アドバイザーをする前のミーナだったら「幸せですよ!」と言い切れるだろう。でも今のミーナにはよくわからなかった。よくわからなくなってしまったのだ。トロールのパン屋のロックとアリスタや、アイナノアとヴァンキンスが幸せそうにしている姿を思い出すと、胸がチクチクと痛むのだ。
「なにぼーっとしてんだよ、こいよ」
「え? あ、うん」
彼に腕を引かれる。それだけでドキッとしてしまう。やはりミーナはエルフが好きだ。その想いは間違いない。
連れていかれたのは、彼の部屋だった。イズレンウェはベッドに座る。入口近くで立ちすくんでいるミーナに、彼は言った。
「じゃあ、ヤラせろよ」
「ふぁっ!?」
ミーナは思わず胸を押さえながら顔を赤くする。
今、イズレンウェはなんて?
「ちょ、あの、なんですかそれ」
「それぐらい知っとかないといけないだろ。相性っつーか、そういうのだよ。わかれよ、うぜえな」
「いや、でも、あたしたちまだ正式に婚約したわけでもないのにまずいと思うんですけど」
ライル婚活相談所では、婚前交渉は自己責任で、だ。禁止も許可もしていない。だがミーナ的には思いっきりノーである。
「は? いいの? 俺と結婚できなくても」
「だ、だって……」
ミーナは後ずさりをした。背中にドアが当たる。こんな展開まるで想像していなかった。
イズレンウェは怖い顔をしながらこちらを睨みつけている。うう。
「ほ、他のことにしませんか? お洗濯とか、あ、お菓子とか作ってあげます……?」
「なに言ってんのお前。そんなんより大事なことだろ。ホントなんにも考えてねえのな」
彼が強引に迫ってくる。どうしようどうしよう。腹にパンチでも一発入れてやればいいのだが、ミーナの体は動かなかった。
エルフとそういう関係になるのは正直、憧れだった。でも、相手がイズレンウェなのは嫌だ。だってどうせなんか馬鹿にされたりけなされるだけだし。その二律背反が、ミーナの体を縛っていた。
「ちょ、やめてください……」
「は? 拒否んの? いいの? 俺と結婚できなくても」
「うううう」
拒否りたい。拒否りたいのは山々だが、だめなのだ。
彼のその理想的な顔面で責められると、まるで俺様エルフに無理矢理襲われているようで、正直キュンとしてしまうのだ!!
相手はエルフの王子様で、富も名誉も持っていて、女になにひとつ不自由しない男。だが、突然人間族のミーナが気に入ったから、無理やり手篭めにしようとしてつい乱暴な口調をしてしまうのだが、本当はさみしがりやで優しい男……なんて設定が勝手に頭の中に生えてきてしまうのだ!
本当は全然違うのに!!
ミーナの全身からくたりと力が抜けてゆく。ここで彼の思うがままになったら絶対後悔するし、大切ななにかを失ってしまうだろうということはわかっているのに! 体が動かなくて!
「ううううう、誰か、助けて……」
「なに被害者ぶってんだよ、お前。婚活体験に来たのはお前だろ、ったく、これだから女は……。いいか、暴れんじゃねえぞ。今俺がやってやっからな」
「うー……」
強く目をつむった、そのときだ。
「まったく……、なんでこんなことになっているんだ」
第三者の声がした。それはミーナが聞いたことのない男の声だった。目を開くと、そこに立っていたのは──。
「っ!?」
思わずなにかを噴き出してしまいそうになった。長い金色の髪をもつエルフがそこにいた。尖った耳が髪の間から突き出ている。手足は透けるように白い。目の輝きは突き抜けるようなスカイブルーで、それが森の賢者と呼ばれるエルフとは違う──あるいは、もっと高貴な血族であることが知れた。
なんなんだ、この人は。
いや、聞いたことがある。金色の髪をもつエルフは確か……、すべてのエルフの始祖と呼ばれる、古エルフの一族だって……。
イズレンウェと比べても明らかに格が違うのがわかる。ほつれたジャージを着たイズレンウェの前、スーツ姿の彼はビシッと背筋を伸ばしていた。
そんな彼は色っぽい流し目で、その場にへたり込んだミーナを見下ろし。
「馬鹿だな、君は……」
そうつぶやいた。そのささやくような声はイズレンウェがミーナをバカにするものとはまったく違う、温かさにあふれていたのだった。
ライルの業務日誌:嫌な予感通りだ。
次回更新 → 明日12時(イズレンウェ編ラストなので間に合わせたい気持ちがとても強い)




