52 束の間
無言のまま回廊を進む。
暗闇に消えそうなほど細い月がそれでも人影を作るほど照らしてくれる。
新月が来る。
普段は気にもしないが嫌な予感がした。
「少し話したいんだが」
「外でお待ちします」
ロジエ達の部屋前で駄目元で言ってみれば、あっさりと護送の騎士が引いた。レクスは苦笑する。騎士としては罰則ものだ。
「看守が役に立たないな」
分かっていたけれど、とシエルも笑う。
サフィラスの騎士は全てレクスの直属の臣下と言ってもいい。ついこの間までレクスを旗印に命を預け戦っていたのだ。レクスをよく理解し信用しているのは貴族ではなく騎士や兵士の方だ。
看守を何人付けようが、レクスとシエルならば易く倒し逃げる事が可能なのは分かりきっている。そしてこの状況でそれをしない事も。
何よりもレクスが尊属殺、逆臣のような事をしないことも。
それでも騎士としては、疑いのかかった者から目を離し、仲間との時間など与えてはならないだろう。
クライヴの長ったらしい説教が聞こえそうだ。
「足元を掬われるか」
「そうだね。まさか大衆の面前で毒騒ぎ、しかも相手が僕らではなく王とは…そして信憑性ある理由とあの煽り方。悪巧者とはああいう者を言うんだろうね」
レクスがぽつりと言えば、シエルも感心したように返す。
「お前が言うと褒めているようだな。しかし、毒か。部屋に隠されていないか探った方がいいな」
この状況で部屋から同種の毒でも見つかれば、益々引きずり込まれるだろう。
「レクス様、大丈夫ですよ。あの解毒剤は兄様が特別に作ってくださった物ですから」
「ん? ああ、礼を言っていなかったな。ロジエ、気付いてくれてありがとう」
「そうではなくてですね!」
毒という単語に反応したのか心配そうに見上げるロジエの頬に手を添え礼を言えば、ロジエは礼が欲しいのではないと強く否定した。レクスは宥める様な柔らかな笑顔を向けた。
「ああ。わかっている。父は大丈夫だ。父も毒の耐性は持っているし、含んだとしてもごく微量、しかも解毒剤も直ぐに呑んだ。毒でどうこうという事はないだろう」
「ですが陛下はお身体が……」
「そうだな。毒の影響がどう出るか心配ではあるが、リアンを付けてあるしこれ以上の奸策はそう出来ないはずだ。だから、まずはこの状況だな」
「だね。君の溺愛ぶりを逆手に取られるとはね」
「お前の狡猾さもな」
「まあ、誑かすというのは強ち間違いじゃないからね」
「うん?」
「この間言った事だよ」
「ああ」
サフィラスの王太子を利用したというあれかと、合点して相槌をうつ。それについてはレクスは何も思っていない。大切なものを守るための手段だ。何かを犠牲にしたという事もない。何よりもだからこそロジエと出逢えたのだ。感謝したいくらいだ。
「とにかく今は大人しくしているしかないね。僕は下がるから、少しの時間だろうけど後は二人で」
シエルが部屋を出て扉が閉まると同時、レクスの背にとんと柔らかな温もりが触れた。背後から細い腕がレクスの腰に廻される。
「ろ、ロジエ!? どうしたんだ?」
「こんな時ですけれど、私の好きになった人は本当に素敵な人だなと、惚れ直しちゃいました」
「何か惚れ直されるような事をしたか?」
「兄様を信じると……、互いがいる限り争いはないと断言されました」
「その通りの事だろう?」
「そういう清廉さが素敵なんです」
きゅうっとロジエの腕に力が入る。けれどレクスはそれをそっと外した。
「ロジエ、後ろからでは俺が抱き締められない」
ロジエの腕の中で身体を回し、外した手はそのまま背に廻させた。笑みを向けるロジエの柔らかな唇を啄み、肩と腰に腕を廻して華奢な肩口に顔を預けた。
「ロジエ愛している。お前の事は必ず守るから安心しろ」
「はい」
「シエルがいるから大丈夫だと思うが、何かあったら迷わず俺のところに来い」
「はい」
コンコンと時間を促すように小さく扉が叩かれる。
「今行く」
レクスは短く答えてロジエを離した。頬に手を伸ばすと、白く小さな手が添えられる。
「直ぐに会える」
「はい。レクス様、愛しています」
愛を告げる可憐な唇にもう一度触れレクスは衛兵の待つ回廊に出た。歩き始めると小さく息を吐く。
「王の容態は分かるか?」
「多少の吐き気があるようですが、命に別状はないと先程報告が」
「そうか」
前後を歩く騎士に従いながら先ずは一つ安堵した。
「殿下」
前方を歩く騎士が振り返らず呼び掛ける。
「なんだ?」
「私は殿下とそのご友人を信じています」
「私もです」
後方の騎士も同意する。
「……さっきも思ったが容疑者の要求を簡単に聞いたりするな。どこで誰が見て聞いているかわからんぞ」
「構いません。殿下は容疑者等ではありません。これも殿下の護衛だと思っております」
「……感謝する。が、減俸だ」
騎士の足音が乱れた。レクスは小さく笑い「冗談だ」と言った。
*****
「プロド殿下、招待客の検分が終わりました」
「それで?」
「特に怪しい物は見つかっていません」
「何か情報は?」
「ありません」
「分かった。続けて」
プロドは自分の執務室で報告を受けた。報告に来た官憲を下げると燭台の灯りの届かない部屋の隅の暗がりに目を向ける。
「見つかるわけもないな」
「“天空の薔薇”は抽出の難しい毒ですからな。一般の者が常備していたらさぞかし問題でしょう」
闇が笑う。
「便利な目だな。暗闇で効いて」
闇から月明かりに照らされた場所に移動したのはゼノだ。
「昼の光に弱いので黒くしていますが」
「どうやって?」
「瞳に水で出来た光彩の膜を貼るのです」
「ふうん。必要になったら私もやろうかな」
「必要になるときが?」
「例えば蒼くすれば神の奇跡だという者もいるだろう?」
「なるほど」
民衆はそういった神憑ったことが好きそうだとゼノはあざ笑う。
「毒は仕込めたのか?」
「いえ。どの部屋もおそらくルベウス王子の張ったと思われる結界があり魔法で入ることは不可能。部屋付きの者の信頼も厚く、操れそうな者がおりませんでした」
「思った以上にレクスもルベウスの二人も皆に慕われているな」
「種は蒔かれました。不和は生まれます」
ゼノの瞳が赤く光った。




