51 生誕祭
数日は平穏に過ぎた。
プロドは会議に出席しても、必要以上に口を開くこともなく、領地分割の話をするわけでもない。
ロジエと擦れ違っても穏やかに挨拶をする程度。付き従うゼノも同様に。
けれど、それは王の生誕祭の夜会で起きた。
その夜は自身の生誕祭であるため、珍しく王がダンスを踊った。相手は王の希望でロジエが勤めることとなり、近い未来の父と娘の躍りは優雅でありながらも微笑ましく会場を和やかなものとした。
躍り終わると王はロジエを王族の為のテーブル席へと誘った。ロジエをレクスとシエルの間に座らせると自らはレクスとプロドの間に座った。
「相手をありがとう、姫」
「此方こそありがとうございます。とても楽しかったです」
「はは! レクスが妬いてしまうから世辞はいい」
王は朗らかに笑う。子供が三人とも揃っているからか楽しそうだ。
「流石に其処まで嫉妬深くはないつもりだ」
「つもり!なんだね。言いきれないんだね! お兄ちゃん」
「うるさいぞ。リアン」
「相変わらず仲が良いな。君達は」
「プロド兄様だって兄妹だよ!」
レクスとリアンの応酬に長兄のプロドも口を挟む。こうしていれば確執があるような兄弟にはみえないのだけれど。
「お兄ちゃんと兄様で距離を感じるよ、リアン。まあ、仕方がない。とりあえず乾杯しないかい?」
「そうだな。喉が渇いた。酒を」
王の声に侍女が酒を運んでくる。元々席についていたレクス、プロド、リアン、シエルはそれぞれ飲み物が配されていたので、ロジエと王の前に新たにグラスが置かれた。
「では改めて、父、グラント王の生誕を祝って」
プロドの音頭に各々がグラスを持ち上げる。
「ありがとう」と王が応えグラスを掲げた時。
酒の匂いに混じってふわりと漂う甘い香り
これは
この香りは……
「駄目です! 毒が…!!」
ロジエは手を伸ばし王のグラスを弾いた。
カシャンっと冷たく尖った音を立てグラスが割れ、白いテーブルクロスに赤いシミを作った。
ただならぬ様子にざわりと会場が波打つ。
「飲みましたか!?」
ロジエは戸惑うレクスを押し退けるようにして王に詰め寄った。
「いや、少し口に付いたくらいか……」
「これを噛んで呑んで下さい!」
ドレスの隠しから取り出した小さな銀製のケースから青い丸薬を取ると王に押し付け呑み込ませた。
「ロジエ!?」
「おそらく“天空の薔薇”という植物の毒で、私が呑ませたのは“青ケシ”から作られた解毒剤です。早く医師と薬師に処置を!」
その声に悲鳴とどよめきが起きた。
「会場と城門を封鎖しろ!」
レクスの指示に一斉に警備の騎士が動き出す。
「リアン、王に付いていろ。ウィルとジェドは二人の護衛を。衛兵!この酒を運んだ侍女を捕らえろ!! 黒髪の女だ!」
「殿下こちらの女でしょうか?」
衛兵が動くより先、女官長が黒髪の女を後ろ手に縛って連れてきた。クライヴが女をレクスの前に跪かせる。女は髪を振り乱すようにしてレクスを見上げ訴えた。
「殿下!! 私を捕らえるのですか!」
「どういう意味だ」
レクスが意味がわからず一瞥し問えば女は有り得ないことを口にした。
「王の杯に毒を入れろと指示されたのはレクス殿下ではありませんか!」
女の声に、騒然としていた会場が水を打ったように静まった。刹那、様々な声が遠く近くで交差した。
「!? 戯れ言を言うな!! 連れていけ!」
レクスの指示にクライヴが女を引き立てようとすればそれを制したのは、神妙な顔をしたプロドだった。
「待て。レクス、少し訊いてみよう」
「兄上!?」
「誰の指示だと?」
プロドは女の前に片膝を付くと視線を合わせ至極優しく問う。
「レクス殿下の指示です」
「下らない。何のために俺が父王を弑する」
もう一度言われた言葉にレクスは侮蔑を込めて女を見た。
「ルベウスに国を売るためだと申されました! その暁には私を側室にしてくださると!」
ざわつく会場の声の中に、「まさか有り得ない」というものと「なんということだ」というものが聞こえ、レクスは意思の力で聞こえない振りをした。
「俺が何のために国を売る?」
「ロジエ姫を得る為です! 殿下はルベウスの姫に心を奪われておいでです。姫が欲しければ王を弑して国を明け渡せとシエル殿下に言われたと! 殿下はそれが駄目だと分かってはいても、どうしようもないくらいにルベウスの姫に溺れていて! 陛下の寿命を待ってはいられないと!」
「婚姻は決まっているんだ。馬鹿馬鹿しい」
「出来ないのなら姫を連れ帰ると言われたと!」
「シエルがそんな条約を破るようなことを言うわけがないだろう!」
「殿下がそう仰ったではありませんか!」
レクスが怒りを込めて女を睨んでも、女は怯まなかった。それが却ってレクスを冷静にした。
王太子でありながらレクスはついこの間まで戦場の前線で戦い続けていた。その怒りの気迫や眼光は鋭く痛い程だ。事実遠巻きにしている者の中にですら後退りする者がいた。
レクスの怒気をまともに受け止められる者は少ない。それをこのただの侍女は見据えている。
レクスは声を落とし言った。
「愚にも付かない。シエル本人にもルベウス王にも過ぎた征服欲はない。シエルがその気ならとっくにサフィラスは攻め込まれ、俺は殺されている。シエルがサフィラスの内情を知るように俺もルベウスの事は聞いている。互いに信頼し合えばこそだ。俺とシエルがいる限り両国に争いはないと断言できる!」
しんと静まり返った会場で、静寂を破ったのはプロドだった。
「確かに、本当にレクスが、というにしても可笑しい。訊かれたからといっても、此処まで皆の前で全てを吐露するだろうか?」
そうだ。これでは嵌めようとしているとしか思えない。
援護するかのように言った後、プロドはちらりとレクスを見て、周りにわからないよう小さく笑った。
「ただ……それが全てシナリオ通りならば分からないけれど?」
「!?」
再び「でも」「まさか」「いや」と小波が広がっていく。
巧いことを言う。敢えて嵌められたというように仕向けたとでも言いたいのか。
「もしも君が本当にサフィラスを売ろうとしているのであれば、私も第一王子として黙っていられないな」
プロドはレクスに正面から対峙するように立ちはだかる。
「“疑わしきは被告に”という諺もあるくらいだしね?」
あくまでもレクスを容疑者として扱うつもりなのかと奥歯を咬んだ。
「僕も被告のようだけど、発言権はあるのかな?」
それまで黙っていたシエルがレクスの脇に立つと再度会場が静まった。
「公式の裁判ではないんだ。勿論どうぞ」
シエルは皆に向き直った。
「君達の知るレクスが女欲しさに国を売るような人物か良く考えるといい。彼はその実直さで国も女も手に入れ守ろうとするだろう。それに 疑わしいと言うのなら、余程」
シエルがプロドを見れば、彼は楽しそうに微笑んだ。
「余程?」
「レクスを落とし入れて得をする人物じゃないのかな?」
何度目のざわめきなのか。けれど今回が一番大きかった。そうだ、プロド殿下の方が、と言う声が小さく、風に揺れる木葉のように空気を震わし拡がっていく。プロドは笑みを無くさない。
「成程。どちらもどちらか。さてではどうしようか」
プロドが後ろを仰ぐと、黒い人影が現れた。その人物、ゼノは頭を垂れ申し上げる。
「結論を急ぐことはありますまい。ルベウスの姫が王に呑ませた解毒剤が本物で有れば、王は無事でしょうから」
「!」
それすらも利用するかと、目を見張った。
これでは王に万が一の事が有れば、ロジエの解毒剤が偽物であったか、最悪毒であったのではと疑われる。
「犯人探しを早急にしつつ、王の容体が良くなるまで各々ゆっくりと色々考えてみるべきでしょうな」
「色々?」
「王殺し、売国の容疑がかかった王子と正妃の子でなく王位を狙っているかもしれない王子。どちらが王位に相応しいか、とかね?」
プロドの軽々しいけれど重い内容にしんと静まりかえった会場で、最初に動いたのはレティシアだった。凛然とした姿でレクスとロジエの横に控えた。
「元敵国のシエル殿下やロジエ様と懇意にするレクス殿下を疑うか、わたくし達の自慢のレクス殿下が信じる彼らを信じるか。……簡単な事ではありません?」
毅然と澄んだ声にレティスアの父侯爵が動き娘の肩を抱く。静かにニーデルが動いた時には大きなどよめきが起こった。そして多くの者が徐々にプロドとゼノとは距離を取り始めた。
「我々は嫌われたらしいな、ゼノ?」
「動かない者もおりますよ。先ずは犯人探しと王の心配ですな」
色々と言いたい事はあるが、先ずはこの場を収めなければならない。ゼノの言う通り犯人を捜索する者も組織しなければならない。レクスは招待客に顔を向けた。
「本年度の王の生誕祭は開きとする。このような事態になった事は遺憾だが、出席者には協力を仰ぎ、後で話を聞くことになるだろう。城を出る前に検分を受けてもらうが了承して欲しい。知っていることは素直に話して欲しい。伝えたいことがあれば俺か…」
「ちょっと待て、レクス。君は駄目だ」
「何!?」
プロドがレクスを遮る。
「毒を運んだ者本人が主犯は君だと言っているんだ。調べが済むまでは君達は部屋で待機が妥当だと思うがどうだろう?」
この場は抑えるべきだと拳を握る。
言い返せば堂々巡りだ。客観的に見ればプロドの言うことは正しい。反対すれば、また揚げ足を取るつもりなのだろう。引くべきか、とシエルと視線交わした。
「……指揮と調べは誰が?」
「勿論私と言いたいが、官憲長と法務官辺りが妥当だろうね」
相応の人選だ。為人も信用できる。
「いいだろう。各自の部屋でいいか?」
「いいよ。分かったことは逐一報告してあげよう」
互いに譲歩し話を終えた。レクスはロジエを振り替える。
「ロジエ。送ろう」
レクスが手を差し出せば、ロジエは迷わず自らの手を重ねた。疚しいことは何一つ無い。こういうときこそ怯まずにいなければならないのだから。
「……これぐらいは許されるだろう」
「衛兵を付けるけれどね」
三人は数名の騎士に囲まれ会場を出た。




