50.5 余談 銀の番
シエルとロジエの過去話を少しとシエルにとってのロジエについてです。
九つの時、突然父に「お前の従妹だ」と銀の髪の小さな少女を紹介された。
「初めましてシエル殿下。ロジエと申します」
自分より幼い少女は礼儀正しく頭を下げた。
自分と同じ銀の髪に、見たこともない銀の瞳。背筋を伸ばし真っ直ぐに自分を見る姿勢。自分の母に似た容姿だが、それ以上に愛らしく整ったものだった。身に付けている衣類こそ庶民と同じものであったが、その身の美しさが際立っていることは隠し様が無く。王子として幾人もの貴族令嬢を見て来たが、彼女ほど気高く見えた少女はいなかった。
ロジエは母の妹の子で、両親を亡くしたため、ルベウス王家で預かることになったと説明された。王妃である僕の母は数年前僕の弟か妹を懐妊中、病気に罹りその子を流産、次子を望めない躰となった。ロジエを養女にと望んだが、彼女は頑として頷かず、王家の臣として使ってくれと言う。亡くなった母にそうしろと言われていたのではないかと、僕の母は寂しそうに言った。
ロジエ自身が養女となることを望まなくとも、事実王妃の姪であるということは王の姪でもあり、しかも王家が面倒を見るとなれば王族として扱われることに違いはない。父も母もロジエを我が子の様に扱った。子供ながらいつも穏やかな姿勢を崩そうとしないロジエが、ふとしたことで慌てたり笑ったりすることが可愛くて、そんな彼女に嵌りこんだようだ。
「ロジエ」
「はい」
「僕達と家族になるのが嫌なの?」
「嫌ではありません。お仕えしたいのです」
七歳の少女の言葉か。子供が何故庇護するという大人に甘えないのか。彼女は壁を作る。人の為に自分を使おうとするくせに、自分を守ろうとする者に負い目を感じている。
苛ついた。
誰にでも平等に接する彼女に支配欲めいたものを感じた。王子として特別扱いに慣れていた僕は皆平等というそれが不満だったのだろう。彼女は支配者達の束縛欲を掻き立てる。
だから自分の事を「兄」と呼ぶように仕向けた。自分は彼女の特別な存在なのだと分からせたかったのだ。
ある日の夕刻、ロジエの部屋付きの侍女がロジエが帰ってこないと慌てていた。今日の午後は歴史の教義があったはずだと勉強部屋へと向かう。ロジエは勉強好きで、黙っていれば様々な書籍の揃った勉強部屋に入り浸る事が多かった。居眠りでもしているのではないだろうか。
勉強部屋から聞こえる圧し殺したような泣き声に扉を開ければ、ロジエは慌てて涙を拭うと平静を装うとする。
「誰かに虐められた?」
「皆、優しいです」
彼女はいいえと首を振る。それはそうだ。ロジエを虐める奴は王家総出で潰しにかかる。彼女はいつのまにか僕達家族にとってそういった存在になっていた。
「ロジエ、僕は誰?」
「……シエル殿下?」
「違う」
「……兄様……」
「そう、兄だ。おいで」
広げた腕を見てロジエは情けない顔をした。もう一度、「おいで」と言えば漸く腕の中に入った。
「どうした? 教えて」
「夢……母様が殺される夢を……」
「………」
確かにロジエの母は殺されていた。けれど彼女には“急死”としか伝えていないはずだ。何か感じているのか……母からの警告か……。
「夢は唯の夢だよ。大丈夫。僕が一緒にいてあげる」
「人に迷惑は……」
「僕は兄だ。他人じゃない。甘えていいんだよ」
「兄……兄様……」
「うん。好きだよ、僕の可愛い妹」
抱き締められていただけのロジエの腕が僕の背に廻った。
「今夜、一緒に寝る?」
「……はい……」
小さな肯定の声。余程その夢に苛まれていたのだろう。僕が九つ、ロジエが七つ。教育を受けたわけではないが、僕はもう女性に対する知識も持っていた。けれど、それを行う気は当然まだ持てず。侍女も女官も一緒に寝ると言っても何も言わなかった。互いにまだ共寝が許される年で良かった。
「兄様……胸に徴が……」
ちらりと寝衣から見えた金の五芒星にロジエは言った。僕は寝衣を開けさせると徴を曝した。
「ルベウスの王の徴だよ」
「……私もあります」
「え?……」
驚く僕にロジエは寝衣を僅かに開いて徴を見せた。
「銀……」
「はい。色違いですね」
胸に銀の徴。聞いた事もないと内心驚く僕を他所にロジエは屈託なく笑う。
「本当に兄妹みたいで嬉しい……」
「兄妹じゃなきゃ男女で寝ないんだよ」
寝具に包まり、額に口付けて「おやすみ。いい夢を」 と言えば、初めて安堵の笑みを見せた。
彼女が安らげる場でありたいと心から思った。
次の日、父にロジエの徴の事を訊きに行った。父は「付いて来い」と言って、僕を勉強部屋の奥、隠し扉の向こうの部屋へ誘った。初めて入る部屋。部屋の存在すら知らなかった。壁一面の重装な装丁の古い書史。本から呼び掛けるような不思議な声のようなものを感じる。
「ここの書史には魔力が?」
「私は感じない。お前は本当に神の血を濃く継いでいるのだな」
僕は幼い頃から王族に備わっている神導力が大きかった。力そのものだけならば既に父を凌ぐ程に。先祖返りだと尊ばれたが、所詮は戦争で使うだけのつまらない力だ。
「さて、ロジエの銀の徴だが……結論から言うとわからないんだ」
父はテーブルに山と積んだ書史に手を置いて重く言った。
「調べても?」
「調べている途中だ。お前、王族の隠し文字の修得は?」
「済んでいます」
「早いな。私は十二だったぞ……まあ、いいか。だったら手伝ってくれ」
本来この部屋は王位を継承した者でなければ入れないという。僕が王位を継ぐことは確定済だから構わないと父は笑った。
調べて分かったのは、“銀の徴”は“王の花嫁”ということ。史書に残っているのは千年で二例だけ。千年前の徴持ちは確かに王の花嫁だったらしいが、子供を産み数年で亡くなっている。そして五百年程前の徴持ちは王女で神殿の巫女。彼女も若くして病死していた。銀の徴は短命なのだろうか。単なる“王の花嫁”というには出現率が低すぎる。
「“王の花嫁”か。シエルの嫁になるなら本当の娘になるな」
父はにこやかに言った。
「……ロジエ次第だよ」
「なんだ? お前はその気なんだろう?」
「だからロジエ次第なんだよ。それより、ここの本は全て読んでも?」
「いいぞ。今更だろう。分かったことは報告してくれ」
「はい」
王だけが入ることの出来る禁書の部屋。ここに無くてはならない本が一冊無くなっている。『知叡の書』の一冊。そして神より賜ったとされる“不老長寿の妙薬”もその存在すらわからない。
ロジエの両親の猟奇的な殺人方法。
ロジエの視る夢。
何処かに符合があるのだろうか。
無いなら無いで安堵できる。あるのならば対処が必要だ。
それを調べなければならない。
ロジエは僕を掛け値なしに慕ってくれた。
人は自分より優れたものを煙たがる。僕の聡明さは喜ばれるものであったが、当然疎む者もいた。多くはやや優秀な者だ。
「ミレン様。お時間があるなら、解析学について教えて頂けますか?」
にっこりというロジエにミレン卿は驚いて聞き返した。
「何故、私が? 教師やシエル殿下がいらっしゃるでしょう」
ロジエは首を傾げた。
「兄様がミレン様が詳しいと仰っていたので……。御迷惑なら」
「いえ! 迷惑ではありませんよ! ですが殿下がそのような事を……?」
「はい。暗号法ならマイルズ様、数値解析なら オハラ様、その分野ごとに詳しい方を教えてくれました……後、何故か男性に媚びる方法はアストン様が詳しいと……」
ミレンが笑った。
「ミレン様?」
「いえ、すみません。ここだけの話、私は殿下に嫌われているかと」
「どうしてですか? 兄様はむやみに人を嫌ったりしませんよ」
「そうでしょうな。でなければ貴女を私に近付けるわけがない。私が浅慮でした」
別に彼らを嫌ってはいないが、自分が厭われているのに近付く者はいないだろう。それだけのことだったのだが、自分にもそう思わせてしまう何かがあったのだろう。
「兄様も一緒に聴きますか?」
「殿下!? いらっしゃったのですか!?」
「ごめん。全部聞いていた」
「こちらこそ失礼を……」
「いや、いい。それより折角だから弁論をしてみたいんだがいいかな?」
「ではロジエ様の教義が終わった後で。手は抜きませんよ」
「こちらも。負けても泣かないでくれ」
ロジエが専門的に詳しい者を教えてくれと言うので答えただけで、こういった結果を生むとは思わなかった。屈託のないロジエの存在は僕にとってとても貴重なものだった。
女性を抱くような歳になったとき、二つの事に気付いた。
一つは相手に選ぶ女性がどこかしらロジエに似たところがあること。
もう一つは僕がロジエ自身にそういった欲をあまり持っていないこと。
ロジエは純粋に自分を兄として慕っている。それを絶対に裏切りたくない。もし、男として彼女を見れば、ロジエは受け入れてくれるだろうが、心で泣くだろう。彼女には肉親としての安らげる場が必要でそれが僕なのだ。だから彼女が望まなければ進んでロジエを抱こうとは思えない。
つまり、ロジエを男として幸せにするのは自分ではないということだ。
ただし、僕以上にロジエを幸せに出来るものがいればの話だが。
それでも彼女を大切にする姿勢は隠そうともしなかったので、何時からかロジエが正式に養女にならないのは僕の花嫁になるためだと囁かれるようになった。
“銀の番”とはよく言ったものだ。男と女という異性ではなく、近い例えで言うのならば双子の片割れ。ロジエは決して失くしたくない僕の半身だった。
国境近くの学舎に視察に行く母にロジエと共に付いて行った時。何処で仕入れた情報なのか、サフィラスの間者に襲われた。虚を衝かれ、母を守り遅れをとった僕の前にロジエが飛び出した。僕は咄嗟に精霊を召喚し、暗器を振り下ろす間者を切り裂いた。そう、僕はこの程度なら自分で充分に対処出来る。
「ロジエ!」
叱責しようと声をあげたのに、次の言葉を紡げなかった。
「や、……いや……死なないで……」
返り血を浴びて、ぽろぽろと涙を溢し縋り付く。
「……もう……一人になるのはいや……兄様……」
「ロジエ……」
「もう、戦争もいや……どうして?……死んでしまうのに……サフィラスにも……私のように思っている人がいるはずなのに……」
「ロジエ」
両親を殺された孤児のロジエ。本人はその事実を知らないはずなのに、これ程までに苛まれている。
「死なないよ。僕は神の血を濃く継いでいる。簡単には死なない。ロジエを遺して死なないよ」
「ずっと一緒ですか?」
「兄妹だ。絆は消せない。傍にいれなくとも生涯君を守るよ」
「守らなくていいから死なないで……」
「なら、君もだ。絶対に僕より先に死ぬな」
“王の花嫁”の短命。
二例では検証も出来ないが、そうだとしても。
ロジエは早死にさせない。
生きて幸せにしてみせる。
例え僕のものにならなくとも。
そう決めた。
戦争を嫌だというロジエ。僕も王も好きで戦争をしているわけではない。仕掛けられるから応戦するまでだ。
唯、その事に少しずつズレを感じ始めていた。そもそも医療院や孤児院、学舎は協定で不可侵となっている。サフィラスに問い質しても知らないという返答。認めるわけがないと言われればそれまでだ。けれど、休戦協定などで数度顔を会わせたサフィラスの王子は態度こそ無愛想だが、嘘を吐くようにも卑怯な事をするようにも見えない。“戦闘好きの殺戮者”。それが、こうも落ち着いて協議に応じるのだろうか。言うことも簡潔で筋の通った事ばかり。
憶測にしか過ぎないが、サフィラスの宰相が怪しいと思う。宰相でありながら協議の場に出てきた試しがない……そして“ゼノ”という名と精霊師という事実。それも含めサフィラス王子と一度個人的に話をしてみたいと思ってはいたが叶わずに時間が過ぎた。
そして転機が訪れる。
戦場でサフィラスの王子その人が斥候として現れたのだ。彼は言う。「そちらの非礼は流す」と。ーーー考える。その言葉とサフィラスの捕虜が異様に拷問に怯えていた事を。怯える捕虜を宥めたのもロジエだった。「兄様は不当な事はしませんよ」と。一度捕虜を返してみるかと思えた。
「兄様、お茶を」
話の途中、後方支援として随行していたロジエが天幕の外から声をかけてきた。彼女を敵国の王子になど見せたくはない。部下に外まで取りに行かせた。見ればサフィラス王子の視線は声の方にあった。
「レクス殿下、どうされました?」
「声が……いや、すまん。何でもない」
その時に突然感じた。
“王の花嫁”は“ルベウスの”ではなくてもいいのではと。
ロジエを守る
その誓いは絶対だ
僕の手で足りなければ他の手を借りてでも
必ず守り幸せにしてみせる
そう思い今に至る




